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2019年12月04日13:02

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環境が違えば、悩みが違って当たり前。

その人の能力、性格、体格によっても違うでしょうし、仮に同じ悩みであっても重さや受け止め方は異なるのかと。

そもそもの話、やって当たり前という概念がおかしいという指摘から、悩みが増えているのではないのでしょうかね。

それ、当たり前の事だから。

と言われれば、大変でしょうけど、

どうやったらできるのか?

という建設的な悩みで済んでいたのが、当たり前と言う考え方がおかしい!という主張が是となり、そもそも自分がやる事が正しいのだろうか?と、それ以前の話で悩んでいるように見えてしまうんですけどね。

共働きの母親の悩みが、

・子どもと過ごす時間が十分に取れない、子どもの成長を見守る時間が取れない
・子どもの困り事にタイミングよく気づけているか不安
・家事、料理に時間がかけられない。キャラ弁なんて無理
・結局、仕事も家庭もどっちも中途半端にしかできない……

という事なのですが、これって、悩むところではありませんよね。
働くと決めたら、当然こうなる話で、悩む前に、これを織り込んだ生活スタイルの確立を目指すべき話なんですよ。
これで悩むくらいなら、専業主婦をやれば良いだけの話なんですよね。

世の中に出て働くという事は、子供と過ごす時間が十分とれず、成長を見守る時間が取れず、子供の困りごとにタイミングよく気が付けず、家事や料理に時間がかけられないわけですよ。
だから、昔は、男性がこれらの事を奥さんに任せて、働きに出て、奥さんは、これらの事を行いながら、家庭を守っていたわけでしょ?

専業主婦の悩みは、働く女性に対しての単なる羨望と、愚痴にしか過ぎず、仮に本気でそれが悩みになっているのであれば、贅沢な悩みなのかもしれませんよね。

ハウスキーパーを雇う程の対価が得られる人達であれば、この悩みは変わってくるのかも知れませんけどね。

今は男性も家事をするのが当然とされ、家事の分担の話になってきているわけですが、

>>・結局、仕事も家庭もどっちも中途半端にしかできない……

と言う人が、家庭に二人になるだけの話のように思いますけどね。

突き抜けた収入があって、問題をお金で解決できる人と、収入がボチボチの凡人で、力業で問題を解決していかなければならない人達と、同じ次元で語っているから色々とおかしくなって来るのではないのでしょうかね?

最早日本は、1億総中産階級と言っていた日本ではないんですよね。
富裕層と、一般層と呼ばれる貧困層の二極分化に向かっているんですよ。
日本で数%しかいないとされる年収1千万程度でも到底富裕層と呼べるものではないわけですよ。
その程度では、ちょっと贅沢すれば、すぐに苦しくなるわけです。
夫婦共に1千万を超え、家庭収入が2千万を超えてくれば、やっと人を雇って家事・育児を任せる事が出来るわけですよね。

夫婦で働いて、生活がきついと言っている人達もいるわけですが、恐らく、生活水準が高い人達の生活と同レベルの生活を求めているから苦しい思いをしているのではないのでしょうかね?
収入に見合った生活を求めれば、ひょっとしたら、どちらかが、専業或いは、パートタイマー程度の仕事で、子供の面倒を見られて、家事を行えるのではないのでしょうか。

耳に心地の良い言葉に踊らされて、ありもしない幻想を見せられているだけなのではないのでしょうかね?

べき論から逃れた結果、全てが自由意思で決定できるプレッシャーに押しつぶされて、ストレスを抱えて生きるのと、べき論に乗っかって、どうやって取り組むかを考える人生と、どちらが幸せなのでしょうか。


■「働くママと専業ママ」はどちらが大変?それぞれの悩みとストレス
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=5888334

働くママと専業ママはどちらが大変? それぞれの悩みとストレス
女性の生き方や役割は様々ですが、出産してからも育児をしながら働く「働くママ(=ワーママ)」も、育児に専念している「専業ママ(=専ママ)」も、それぞれに違うストレスや悩みを抱えています。

ワーママにとって、多くの悩みの根幹にあるのは「とにかく時間がない!」という気持ち。よくお聞きする具体的な悩みやストレスとしては、

・子どもと過ごす時間が十分に取れない、子どもの成長を見守る時間が取れない
・子どもの困り事にタイミングよく気づけているか不安
・家事、料理に時間がかけられない。キャラ弁なんて無理
・結局、仕事も家庭もどっちも中途半端にしかできない……

などがあります。

一方で、専ママの悩みの根幹には「気分転換できない!」というものがあるようです。よくお聞きするのは、

・子どもはかわいいけど、1日中世話をするのはしんどい
・考えるのは家庭や子どものことばかりで、視野が狭くなってしまいそうで不安
・生活が緩んで緊張感がない……社会に置いていかれそうで怖い
・主婦業・母親業は大変なのに、なかなか仕事のように評価してもらえない

といったものです。

ワーママと専ママは、それぞれが抱えている不安やストレスから、お互いに対して羨みやネガティブな思いを感じてしまうこともあるようです。

人それぞれですが、ワーママは専ママに対して「子どもの成長にじっくり寄り添えそう」「子どもが手間取っても、待ってあげる時間があっていいな」「手作りや手料理に時間をちゃんとかけてそう」「せかせかせずに子どもと歩調を合わせて、のびのび子育てができそう」「保護者会やPTAの仕事ができないことがあるので、専ママに対して肩身が狭い」といった気持ちを持っていることが多いようです。

これに対して専ママからは、ワーママに対して「自立した女性という感じがする」「社会と関われていて、自分を磨けそう」「子どもと少しでも離れる時間が持てるのは羨ましい」という声、なかには「いつも忙しそうで、子どもと過ごす時間があるのかしら?」「どうして働いている人のために、保護者会やPTAの仕事を負担しなきゃならないのだろう……」という声も聞かれます。

引け目や羨みはお互い無意味! 人と比較することのデメリット
ワーママと専ママは、お互いが「自分にないところ」を持っているもの。そして、人はつい「自分にないところ」に目が行き、それを持つ人に引け目を感じたり、羨みややっかむ気持ちが出てしまったりすることもあります。

しかし、そういった気持ちは全て無意味です。人の生き方は十人十色。自分のアイデンティティに従い、それぞれの人生を堂々と歩んでいけばいいはずです。

とはいえ、「比較が無意味と言われても……」とスッキリしない方は多いと思います。そこで、比較することが無意味な理由とエピソードを2つ見てみましょう。

比較が無意味な理由1. 子どもは自分のママがいちばん好きだから
そもそも、子ども自身は「ボク(わたし)のママがいちばん好き!」と思っています。

時に子どもたちは、「○○ちゃんは、ママがいつも一緒にいてくれていいなー」「○○ちゃんママは、○○のお仕事をしているんだって! かっこいいねー」などと言うかもしれません。

言われたママは、一瞬思い悩んでしまうものですが、結局どちらの子もやっぱり「自分のママがいちばん!」と思っています。

かつて、私の息子が幼児の頃に「○○ちゃんのママって何でもできるんだよ! すごいんだよ!」と、友だちのお母さんをやたらと褒めたことがあります。

あまりに褒めるので、本気でそんなママがいいと思っているのかと、「じゃあ、本当は○○ちゃんのママの子だったらよかったのかな?」と息子に聞いてみたら、息子は「う〜ん」と考え、「やっぱりこのママがいい!」と言ってギュッと抱きついてきてくれました。

このように、他にどんなにステキなママがいても、子ども自身は「自分のママがいちばん好き!」と思ってくれているのです。

比較が無意味な理由2. 重要なのは、ママ自身の考え方と行動
もう一つ、働くママや専業ママを苦しめるのが、根拠のない育児論や迷信です。

「ワーママの子は、お母さんがそばにいない寂しさがあるから性格がゆがむ」「専ママの子は、お母さんがそばにいて何でもやってくれるから、甘ったれて自立できない」などと言われて、気落ちした方もいるかもしれません。しかし、こういった偏った意見は全くのナンセンス!

私は長年、大学生など若者のカウンセリングをしていますが、性格にちょっと癖のある子でも、その母親が「ワーママだから」「専ママだから」という根拠は全くありません。

同様に年齢の割に甘えが多く自立に少し時間がかかりそうな子も、その母親が「ワーママだから」「専ママだから」という根拠は全くありません。

むしろ子どもの成長に影響するのは、親個人の考え方と行動です。ワーママであれ専ママであれ、もし他人や世の中を斜めに見る考え方をし、それを子どもに伝え続けていれば、子どもはもろにその影響を受けてしまいます。

もし過干渉で何でも先回りして準備してしまえば、子どもの自主性は育ちにくくなってしまいます。

したがって、「働いているから」「働いていないから」といった単純な理由で、子どもの特性を決めつけることはできないのです。

人と比較せずに人生を輝かせる「3つの視点」
ワーママも専ママも、相手と自分を比較してくよくよと思い悩んだり、イライラしないこと。それぞれが、自分の人生をしっかりと進むために役立つ「3つの視点」があります。

1. 考え方をポジティブにすること
物事の良い面を見ようとする視点は、子育てにおいて最も大切なことです。ポジティブな考え方ができれば、どんな苦境におかれても自分の力で、あるいは人と協力して切り抜けていけます。

愚痴や悪口が多く、世の中を斜めに見て、将来の不安ばかりを口にするようでは、子どもにもポジティブな考え方を伝えることはできません。

したがって「ワーママだから専ママだから、これができない、子どもにこんな悪影響がある」とネガティブに考え、それを子どもに伝えるのではなく、ワーママも専ママも「みんな違ってみんないい」と考え、子どもにもそう伝えていきましょう。

ママが自他の良いところを認めていけば、子どもも自然に自他を認めていけるようになります。

2. 大らかになること
「ワーママだから専ママだから」という狭い考え方でいると、子どもは「ボク(わたし)はお母さんがワーママ・専ママだったから、こうなったんだ」と考えるようになってしまいます。すると、苦手はずっと苦手のまま。しかも、親を怨むようになってしまうかもしれません。

そもそも、人に苦手なこと、うまくできないことがあるのは、当たり前のこと。

「今はこれが苦手かもしれない。でも工夫をすれば、きっとできるようになるよ」「すぐに結果が出なくても、続けていけば上手になるよ」というように子どもの成長を信じて、温かく大らかに見守っていきましょう。

すると、子どもも親の言葉を信じて、大らかに成長していくことができます。

3. 「お互いさま」と思うこと
損得勘定で物事を捉え、目先の利得ばかりを考えるのではなく、「人と人とは『お互いさま』で成り立っている」という視点に立つことも大切です。

そもそも、ワーママも専ママもどちらも大きな目で見れば、お互いが他人や地域、世の中のためにがんばってくれているありがたい存在です。

「あの人は働いているから」「あの人は仕事をしてないから」という考え方に縛られず、目の前に困っている人がいたら、手が空いている人がシンプルに手を貸してあげましょう。

そして、自分が困っているときにも、一人だけで何とかしようと考えないで周りにシンプルに助けを求めていきましょう。

すると、子どもにも「誰かに助けてもらったら、ありがたくその厚意を受け取っていいんだよ。いずれあなたも、別のことで誰かを助けて恩返しができる。こうして世の中は、お互いの『親切』で回っているんだよ」と教えることができます。

3つの視点を意識して、自分にも子どもにも健やかな毎日を
ここでご紹介した3つの視点に立てば、「ワーママ」も「専ママ」も、お互いのメリット・デメリットを比較したり、相手や自分が良い・悪いと評価することもなくなります。

ワーママにも専ママにも、それぞれいいところがあります。ワーママの子も専ママの子も、自分のママだけでなく友だちのママからもたくさんのことを学び、成長していきます。

そして、現代は人々のダイバーシティ(多様性)で成り立つ時代です。だからこそ、母親同士もお互いのダイバーシティを認めていきましょう。

「ワーママと専ママは、みんな違ってみんないい。違いがあるからこそ、お互いに協力し合って生きている」という考え方に立つことができれば、自分も楽になり、子どもたちのためにもなるでしょう。

ぜひ、ワーママも専ママも上記の3つの視点を意識しながら生活し、お子さんにも積極的に伝えていっていただければと思います。
(文:大美賀 直子(公認心理師・産業カウンセラー))
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