この母親は、過保護が行き過ぎて過干渉の親なだけですよね。
極端な話、何処にでもいる母親ですよ。
ただ、子供に干渉するにあたり腹の括り方が弱かっただけの話なのでは?
意に反する事をされれれば、子供であっても反発はするんですよ。
しかも黙ってコッソリされていたら、例えそれが善意であっても伝わるわけがありませんよね。
本当に子供の為を思った行動であるのであれば、その時、その場で言うべき話だっただけの事です。
20年前に子供にされていたはずの反発を今されているだけの事ですよ。
少なくとも、20年間は、その事で子供から反発を食う事は無かったわけですから、帳尻はあると思いますよ。
で、毒親。
そもそもの毒親とは、親の行動は子供を成長を思い願っての事という概念が大前提で議論されている中、その前提が崩れてしまっている親の事を言っていたわけです。
躾の体罰なのか、単なる暴行なのか。
躾の一環なのか、単なる束縛なのか。
躾のための上下関係なのか、単なるマウント行為なのか。
同じような行動であっても、米国では、1980年代後半、日本においては2000年前後から、実は、違うのでは?それは躾じゃなくて虐待だよね。という話が持ち上がり、子供の為にならない、体罰や行動の抑制、支配的な家族関係について、躾ではなく虐待という認識に変わって行ったわけです。
それを題材とした米国の著書
邦題「毒になる親」
から取ってつけられた名称です。
昨今は、自分の事しか考えず、自分の生き方を第一義として、それに子供を合わせるような育て方をしている方が増えていて、その行動が、子供の行動の過度の束縛や、感情に任せた体罰や、自分のいう事を聞かせるための支配的な環境構築を行っている親がいて、表面に見える部分だけを言うのであれば、旧来の過保護や過干渉と同じような状況であるため、一纏めに、毒親と言ってしまっているように見受けられます。
ただそれ以前の、過保護や過干渉は、あくまで子供の成長を願って親の愛情が行き過ぎた状況であり、本来言われるべき毒親とは全く性質が異なる話なわけです。
ですから、その当時のアドバイスとすれば、子供の事を考えて控えめにという話が主体だったわけです。
本格派の毒親に、このアドバイスは有効ですか?
そんなわけありませんよね。
それにも関わらず、一纏めに話をしてしまうから、おかしな話になってしまうのでは?
仮に、本格派の毒親に対する意見を、単なる過保護や過干渉の親が見たらどう思います?
あぁ、それは自分の事じゃないのね。
と、この本文の方のような認識になり、子供の反発が出ると、何で!!!となってしまうわけですよ。
言葉には意味があり、それぞれ的確に使っていかないと、アドバイスもへったくれも無いのでは?
カテゴライズを嫌い、勝手にカテゴライズするなと言う方々が増えている一方で、言葉の定義を無視して、勝手にカテゴライズしている人達がいるわけです。
大学進学と、青春の1ページ
天秤にかけた際に、どちらがその子にとって重要なのか?という話ですよ。
自分のイベントシーズンい復縁を求めるクソみたいな女が天秤に掛けられる価値があったか無かった。と言う部分において、人生経験が豊富な母親が
否!
と断定して、無事大学に進学できたのですから、感謝すべき話ですよね。
適当な所で矛を収めて笑い話にすべき内容だと思いますけどね。
それが出来ないのは、
毒親
というカテゴライズのせいだと思いますよ。
■彼女からの手紙を勝手に処分…「毒親」ではないと猛烈反論する62歳母に鴻上尚史が「やっかいな問題」だと言った理由
(AERA dot. - 10月01日 16:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5809554
鴻上尚史の人生相談。高校生だった息子に届いた彼女からの手紙を隠して捨てたことが数年後にばれ、息子が冷たくなったと吐露する62歳の母親。息子のためにしたことがなぜ毒親呼ばわりなのかと納得できない相談者に鴻上尚史が問う「どこまで子供の立場を尊重するか」。
【相談44】息子を思う親心が、毒親呼ばわりされなくちゃいけないのですか?(62歳 女性 みどり)
アニメグッズを捨てた母親を恨む男性の投稿を読んで、私と息子のことのようで心が波立ちました。Twitterなどでもみなさん、その親御さんのことを「毒親」だと非難ばかりしています。でも、息子のことを思ってした親が、そんなに悪者で毒親呼ばわりされなくちゃいけないんでしょうか。
私は息子が高校生のときに、ポストにあった息子の彼女からの手紙を、読んでしまったことがあります。その頃、息子はその子とつきあいだしてから、帰宅が遅くなり、その子とのデートのためにバイトをするようになり、あきらかに利用されて振り回されていました。交際に反対しても聞く耳をもってくれませんでした。
手紙には、その子から別れ話を切り出したことの撤回と、誕生日に◯◯に来てほしいと日時が書かれていました。私は、その頃落ち込んでいる様子だった息子を思いながら、その子は誕生日プレゼントが欲しいだけなんじゃないかと、猛烈に腹がたち、もちろん迷いはありましたが、心を鬼にして、その手紙を数日隠してから捨てました。
それから8年経って、社会人になった息子にそのことがばれました。同窓会でその子と会ったらしいのです。
「なんでそんな勝手なことしたんだよ」と言われて、つい「知らないわよ。でもあの子に利用されてただけだったじゃない。あのままじゃ大学だって落ちてたわよ」と言い返してしまいました。
私の買い物に車を出してくれるようなやさしい息子だったのに、それからは素っ気なくなり、一人暮らしを始めてしまいました。音信不通になったわけではないですが、あそこから息子との関係は変わってしまったと思います。
もう息子は30代後半で、いまだ独身です。数年前に「結婚しないの?」と聞いたら、「よく言うよ」と蒸し返されました。まだあの時のことを許していないのかもしれません。
手紙を捨てたことを、悪いことをしたのかもしれないという気持ちもありますが、正直なところ、それで結果はまた勉強もするようになって大学もうかったじゃないかと、やっぱりよかったのだという気持ちのほうがおおきいです。一時の恋愛で人生をだめにしないようにと、息子のためにと親心でしたことがそんなに恨まれることでしょうか。なんで還暦も過ぎていつまでもこのことで気に病まないといけないのかと情けなく思うのです。
【鴻上さんの答え】
みどりさん。ずっと気に病んでいるんですね。息子さんはもう30代後半ですから、20年近くですね。
みどりさんは、手紙を捨てたことは、「やっぱりよかったのだという気持ちのほうがおおきい」のですよね。自分ではよかったと思ったことをしたのに、息子さんが全然理解してくれないことが納得できないし、悲しいのですよね。
息子さんは当時高校生で判断力が未熟だから、私が判断しないといけない、それが親の務めだと思ったんですよね。
みどりさんは、「息子のことを思って」いれば「ポストにあった息子の彼女からの手紙を読んで捨てる」ことも許されると考える親なんですね。
世の中には、「息子のことを思って」いても「ポストにあった息子の彼女からの手紙を読んで捨てる」ことはしてはいけないと考える親もいます。
どちらが正しいと断言することはあまり意味がないでしょう。正しいか間違っているかではなく、自分が親の立場になったらどちらを選ぶか、だと思います。
それは、親として、「どこまで子供の立場を尊重するか」ということでしょう。
僕にも子供がいますが、僕は子供が、どんなに危ない恋愛をしていると見えても、子供の手紙を勝手に読んで捨てることはないと思っています。それは親であっても、人間としてやってはいけないことだと思っているからです。子供の日記を勝手に読むとか、引き出しを勝手に開ける、なんてこともやってはいけないと思っています。もちろん、見守っていて、ハラハラドキドキはすると思いますが、なんとか我慢しようと思っています。
それは、まあ、恋愛の真相なんてのは当事者にしか分からない、と思っていることも大きいです。どっちがどっちを利用しているか、どれぐらい負担をかけているかなんてのは、当人同士じゃないと分からないと僕は考えています。
と書きながら、例えば、もし、自分の子供が国や民族で人を差別するヘイト・スピーチを話していたり、あきらかにカルトな新興宗教に入ろうとしていたら、とことん説得するし、それでもダメなら引きずってでも止めようとすると思います。その時は、「子供の立場を尊重」している場合ではないと、僕は考えます。
でもね、みどりさん。どちらのケースでも、子供にとってはたまったもんじゃないと思うのですよ。
当人は自分の判断でやっていると思っているのに、親から一方的に「お前の判断は間違っている」と断言されるのですから。子供が、その時点で親をうらんだり、反抗するのは当然だと思います。
それでも、親としては、自分の判断に間違いはなかったと思えば、胸を張って、子供との遠くなった距離を受け入れるしかないと思っています。淋しいことですが、そのまま、疎遠になることもあるでしょう。
「あの時は、お母さんの判断が理解できなかったけど、今はよく分かるよ。あの時、手紙を捨ててくれて、本当にありがとう」なんて言葉は、ドラマでも出てこないと思います。そんなセリフを書いたら、視聴者や観客、読者から「ご都合主義にもほどがある」と責められるでしょう。
それは、本当にそれが有効だったかどうか、誰にも断言できないからです。
手紙を捨てた結果、「また勉強もするようになって大学もうかったじゃないか」とみどりさんは書きますが、行動と結果は完全にはイコールではないでしょう。
息子さんは、彼女とつきあいながら、受験が近づけば本気で勉強したかもしれません。「彼女と再びつきあうこと」は、「勉強をしなくなり大学に落ちること」と100パーセント同じことではありません。みどりさんの頭の中では、それは完全につながっていますが、息子さんには息子さんの判断と人生があります。受験が近づいたのに、同じように遅くまでバイトをし、「彼女に利用されて振り回され」続けるかどうかは、息子さんが判断することです。みどりさんが断定することではないのです。
「その子は誕生日プレゼントが欲しいだけなんじゃないかと、猛烈に腹がたち」とみどりさんは判断しましたが、それを判断するのはみどりさんではなくて、息子さんです。
大人になった息子さんが怒るのは、「黙って捨てた」という行為の中にある、「僕が試行錯誤すること」「僕の人生の可能性」を否定されたと感じた結果だと思います。
「あなたは未熟なんだから、間違いなく私の考えた結果になる」という断定が、自分の人生を否定されたように感じたのだと思います。
ちなみに、「毒親」という言葉は、子供側からの言葉です。言われた親側は納得しません。子供を虐待した親も、必ず「しつけだった」と言います。自分は子供のためを思ってしたのだ、それが結果的にエスカレートしただけだと。
「あなたのためにしているの」という思い込みと言い訳があるから、「毒親」問題はやっかいなのです。
ですから、「アニメグッズを捨てた母親」が「毒親」と呼ばれることをみどりさんは怒っていますが、子供側の判断と親側の判断が違うのは、当り前なのです。
さて、みどりさん。ちょっと仮定の話をしたいのですが、ある日、息子さんが「結婚相手」を連れてきたとします。彼女はみどりさんには、「息子さんの金目当ての女」のように見えて、息子さんはただ「利用されて振り回されている」と感じたとしたら、どうしますか?
今、息子さんは30代後半だそうですが、20代だったら、みどりさんはどうしたでしょうか?
自分では納得できない相手を受け入れましたか? それとも、「あの女はやめた方がいい」と拒否しましたか?
20代だとまだまだ判断が未熟だから、私がちゃんと判断しないといけないと思ったでしょうか?
では、今の30代後半の息子さんだとどうでしょうか?
もし、みどりさんが胸を張って「私が手紙を捨てたのは、息子が高校生だったからだ。今は、どんな女性を連れて来ても絶対に反対はしないし、すべて受け入れる」と断言できるのなら、みどりさんと息子さんの距離は、縮まることはなくても、これ以上離れることはないと思います。
でも、「本当は反対したいんだけど、もう30代後半だから、世間の目はあるし、とりあえず、結婚は認めるけど、生活や孫の問題に関してはちゃんと応援して、見てあげないと」と思っているのなら、息子さんとの距離はもっと離れる可能性があると思います。
みどりさん。どちらの気持ちですか?
息子さんの気持ちは、「アニメグッズを捨てた母親を恨む男性」と同じように、今のままでは変わることはないと、残念ながら思います。
みどりさんとしては、とても悲しく辛いことでしょうが、あの当時の自分は正しいことをしたんだと、受け入れるしかないと思います。
高校生だから、そうしたんだ。成人してからは、もう、私は息子を「一人の人間として尊重している」という場合は、ひょっとしたら、息子さんが結婚した場合は、変わるかもしれません。息子さんに子供ができて親になった場合、息子さんから、「許しはしないけど、少しは理解できる」という言葉が出るかもしれません。
いずれにしろ、仮定の話です。20年近く前のことをあれこれと気に病むより、ご自分の人生を楽しむことをお勧めします。いつまでも、息子さんのことを気に病んでいたら、息子さんも気にしてしまうと思いますから。
まだまだ、人生、先が長いんですから。
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