実際にはあるんですけどねww
発達障害をお持ちのお子さんに、絶対行ってはいけないセリフと、何の障害も無い子供とは別なのでは?
「どうせやらないんだから」
「またサボるつもりでしょ」
「今、何歳だと思っているの!」
「まだ終わらないの?」
「あら今日はもうできてる! めずらしいこともあるのね」
「まったくダメな子(弱虫、グズ)なんだから」
「ほんと、最低!」
「バカじゃないの?」
「どこかに行っちゃいなさい」
「橋の下で拾ってきたのよ」
むしろ、これを言わないと響かない位のお子さんだっているわけですよね。
ネガティブな言葉を使わないというのは、基本路線なのでしょうけど、そうは言っても、言わずに歪むくらいなら、言った方が歪みが少ないという話もあるのではないのでしょかね。
良し悪しはあるのでしょうけど、まっすぐに成長した方が、実りが豊かな野菜があるわけですよ。その一方で、形が悪い方が美味しい果物もあるわけです。
野菜ですら育ち方や結果は、千差万別なわけですよね。
遥かに高等な人間が、選択肢の幅も無い「絶対」に縛られてよいはずが無いんですよね。
親は子を見て、どういう子に育って欲しいという願いを持って当然で、その願いに沿った子育てをしても何ら問題は無いわけです。
ですが、資質や環境で、その願い通りに行かない事も当然あるわけですよ。
その時に、どうするのか?というだけの話なのでは?
仮に発達障害を持っているという診断が出た場合、今は、障害者であることをオープンにし、周囲へ理解を求めるのがトレンドの様ですよ。
障害を持っているから特別扱いしてくださいと言って良いようです。
昔は、普通に寄せるよう、周囲に溶け込めるよう、親も子も努力を強いられ、その結果、心にもない暴言を子供にぶつけてしまったり、子供もまた、その言葉で傷ついたりしたのですが、今はもうその様な気遣いは不要の様です。
障害を持っているのなら、障害を持っていますと言い、周囲に配慮させればよいのですから。
四肢に異常があったり、目が不自由な方は、普通に接してくださいと言うのに、五体満足の人が、配慮を求めるというのは、何とも違和感を覚えてしまうのですが、そういう世の中になったようです。
ストレスの全てが悪いわけじゃないんですよね。ある程度ストレスをかけないと、精神論ですが、根性が育たないんですよ。
根性が育っていない人達が、社会に出てくるから面倒な話になっているのでは?
ここでまた、逆の意味での精神論で子供にストレスをかけない育児を推奨するのですかね?
社会に出れば、情け容赦ない言葉が飛び交うんですよ。
その時に、罵声に耐性が無かったらどうなります?
親は子に感情をぶつける事もあるでしょう。
ですが、それはそれですよ。
愛情をもって罵声を浴びせ、世の中に出たときに少々の事で挫けない根性を養うのも親の務めなのではないのでしょうかね?
■子供に悪影響!絶対、言ってはいけないこと
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=5796611
親の失言の数々……、意外にすごいこと言ってます!
普段、お子さんにこんなことを言ったりしていませんか?
「どうせやらないんだから」
「またサボるつもりでしょ」
「今、何歳だと思っているの!」
「まだ終わらないの?」
「あら今日はもうできてる! めずらしいこともあるのね」
「まったくダメな子(弱虫、グズ)なんだから」
「ほんと、最低!」
「バカじゃないの?」
「どこかに行っちゃいなさい」
「橋の下で拾ってきたのよ」
うっかり失言も含めれば、「言ったことある……」という方も多いのでは? ではどんな時にこのような言葉が出てしまうのでしょうか?
こんな時に陥りやすい! 失言が起こる2つのパターン
子どもへの失言は、叱る場面で出やすくなります。その状況は様々ですが、次の2つのパターンにざっくりと区分できます。
負のスパイラル型
「ママが注意する⇒でも子供は言うことを聞かない⇒ママがイライラする⇒子供がさらに意固地になる……」。このような悪循環があると、その過程で上のような飛躍した発言が出やすくなります。
睡眠不足など、体力的な疲れの影響もありますが、どこかでその負のサイクルを断ち切らないと、失言でさらに負のスパイラルが加速することに。
ため込み型
「子供を傷つけてはいけない」「いい妻、いい母親でいなくては」と背負い込み、限界まで達すると失言が飛び出すことがあります。
このようなケースは、普段は「顔で笑って、心で泣いて」の状態なので、どれだけため込んでいるかに周りが気づきにくく、突然の大爆発で周囲を驚かせてしまうことに。
自己嫌悪に陥るのはまだいい方、もっとも悪いのは……?
失言をしてしまったことに対し、「言い過ぎて、自己嫌悪です」と感じる方がいらっしゃいます。たしかに言い過ぎることはよくないですし、自己嫌悪も非常に不快な感情です。しかし、自己嫌悪に陥るのは、失言に気づけているからこそ。反省の一過程なのです。
もっともいけないのは、「悪気なく言っている」「常習化している」という振り返りのないタイプ。失言が子どもの心に突き刺さる重みに麻痺してしまうと、躊躇なく悪い言葉を浴びせてしまいます。
親の失言、心理学的に見ると2つの悪影響が!
では、親からの失言が慢性化してしまうと、子供の心にはどのような影響が及ぶのでしょうか?
自己効力感の低下
冒頭に書いた失言例。はじめの5つがこれにあたります。共通するのは、「どうせうちの子には無理」という気持ち。そのレベルの期待感で発言してしまうと、「どうせやらないんだから」「またサボるつもりでしょ」となってしまいます。
自己効力感とは、その子が自分の力を信じられる気持ちのこと。「どうせダメだ」と再三言われていたら、あった自信さえなくなってしまいます。
自己肯定感の低下
冒頭の失言例のうちの、後半の5つがこれに該当します。どれも言葉で子供のことを全否定してしまっています。もちろん親ですから、どんなことを言っても、内心では子供のことを愛おしく思っているでしょうし、ましてや全否定するなんていう気持ちはさらさらないでしょう。
しかし、実際に「ダメな子」「悪い子」と言語化され、それが子どもの耳に届くと、やはり悪影響は免れません。心の中ではどんなに「愛している」と思っていても……。自己肯定感とは、自分の存在を価値あるものと肯定する気持ちのことですが、周りからどう見られているかで、その子の自己像が変わってきてしまうものなのです。
立場を逆転させて体感してみると分かりやすい
子供を傷つける発言かどうかは、立場を逆転させるとよく分かります。例えば、次のようなことをご主人から言われたらどうでしょう?
「お〜、今日は家がキレイだな。めずらしいこともあるもんだ」
こう言われたら、カチンときますね。「いつもは片づいていない」というニュアンスが込められているからです。ではこれはどうでしょう?
「そんなの無理だって」「おまえって最低な嫁だなぁ」
こんなこと言われたら、自ら、「出て行きます!」ということになりかねませんね。
このように、主語や背景を変えて、その言葉を自分に投げかけると、言っていいか悪いかが瞬時に見えてきます。言われて頭にくる場合、「自分がどう言われたいか?」を考えてみてください。
頑張って掃除した時は、
「めずらしいこともあるもんだ」
よりも、
「キレイな家で嬉しいよ。掃除が丁寧だよな〜」
と言ってくれたら嬉しいですし、「次も頑張ろう」と思えます。
なにかチャレンジしようとしている時は、
「無理だろ」
よりも、
「応援しているよ」
の方が、ずっとずっと前向きになれます。
子供に言っていいこと悪いこと
お子さんに対しても同じ。「私が子供時代、お母さんに何て言われたかったかな?」を考えるのです。
・「どうせやらないんだから」「またサボるつもりでしょ」と私を放り出さないで! それよりも、「こっちで一緒にはじめようよ。持っておいで」と寄り添ってほしい
・「まだ終わらないの?」とできていないページを数えないで! それよりも、「もう少しで終わるね」「お、すごく進んだね」とすでに終えたページを見て励ましてほしい
・「もう終わったの? めずらしいわね〜」とダメ感を漂わせないで! それよりも、「頑張ったね」と素直に努力をほめてほしい
・「まったく何をやってもダメな子なんだから」「あなたは最低」と全否定しないで! それよりも、「ここが間違っていたんだね」と具体的に問題点を一緒に見てほしい
・「どこかに行っちゃいなさい」「橋の下で拾ってきたのよ」……これは失言中の失言なので、置き換えはありません。頭から抹消してしまいましょう!
毒舌や失言はだれもいい思いをしません。子供を傷つけ、親も気持ちがよどみます。うっかり出そうになったら、なんとかそれをのど元でストップさせ、発言をぐっと飲みこむ努力を! それができれば9割方、成功です。
失言は一瞬の心のスキから滑り出るものなので、一呼吸置くことさえできれば、上でご紹介した「私だったら……」 という発想に持っていくことが容易になってきます。
(文:佐藤 めぐみ(子育てガイド))
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