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2019年09月17日14:00

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取り合えず、慣れるところから始めてみれば?

少なくとも数百年、事によると万単位の年月続けられてきた事を今更変えるのですかね?

忍耐と根性で乗り切り、仕組みが何故あるのかを考える。

そういう話なのではないのでしょうかね。
今更の話になるのであれば、母親がやらなければならないのか?という話自体が今更で、イクメンだのなんだのと煽っているわけですから、母親を家庭に置き換えて語って見れば良いんですよ。

家事育児、家庭が絶対やるべきなの!? 外注したらどうなる?

そうすれば、問題点が見えてきますよ。
何故問題があると社会の仕組みを変えようと全体論に持ち込もうとするのでしょうか。
大多数の人達が、その仕組みの中でやっているわけですよね。
先日、校則の問題で出ていましたが、大人側が、理不尽な校則に甘んじる大多数の生徒とその親に対して言及していました。
もうね、馬鹿なの?と。
大多数の人達がそれに甘んじているのであれば、それは許容されルールなわけですよ。
それが許容できないのが少数派なのであれば、その少数派が立ち上がって何かをすれば良いだけで、部外者がその少数派を「積極的に」支援する必要なんて微塵も無いんですよね。
むしろ、理不尽と思い、それに甘んじる必達に不満を持つのなら、何故その人達が甘んじているのかを考えるべきなんですよね。

で、本題にはいるわけですが、問題は、何故母親一人で家事育児を行う事に不満が生じているのか?という話なんですよ。

それが出来る体制があって、それを崩す際に、それが崩れた後の事について何も考えていなかったからでしょ?

何故その様な事が生じてしまったのか?と言えば、答えは簡単で、部外者が少数派の意見をくみ上げ口を挟んで強引にその体制に持って行ったからですよ。
今また同じことを繰り返すのですか?と言う話と、何故そうなったのかを考えるタイミングなのでは?という話にならないのが不思議なんですよね。

男女雇用均等法が施行され、女性がフルタイムで働く事が推奨されるようになれば、結婚後も夫婦共働きが前提になるわけですよね。
する事をすれば、当然子供ができるわけで、共働きで、どうやって子育てをするのか?という議論が全くなされてなかったわけですよね。

そういった状態での家庭環境って3つしか無いわけですよ。

1.夫婦共働き
2.専業主婦と夫
3.専業主夫と妻

オプションで、

どちらかの実家の近くに住み、実家の支援を受ける。

これが基本線の全てなわけですよね。
1を選択したならば、夫婦で分担したとしても圧倒的に家事・育児に避ける時間が無くなるわけですよ。そこに旧来の家庭の常識を持ち込んでも無理があるわけですよね。
洗濯一つとっても、集合住宅であれば、土日祝日しかできないでしょうし、掃除だって、平日は難しいわけですよね。
ならどうするの?という話なんですよね。
ところが、巷に溢れる体験談的な情報の大多数は、自分の状況を明かさないアドバイスなわけですよ。
共稼ぎの家庭に、専業主婦の常識は通用しないわけで、或いは、働いていても短時間勤務や、パート、或いは、夫が通勤30分圏内で毎日ほぼ定時上がりなどの人達の意見と、残業上等!仕事どんとこい!!!的な夫婦との生活の意見が合うはずが無いんですよね。
更に言えば、子供と接する時間が違い過ぎるわけで、そこも本来であれば、参考にもならない話しか無いわけですよ。
ところが、溺れる者は藁をも掴むを地で行く方々がいらっしゃるようで、前提条件の確認もせずに、方法論だけを拾い、実践する人、絶望する人達が居るわけです。

で、場当たり的に、外注ってどうよ。と言う話を持ち出されてもね。という話になるのでは?

外注だって別に構わないと思いますよ?

家事の外注を受けるサービスを提供する会社が出来てきているんですから。

ただね、その前に考えるべきことがあるのではないのでしょうかね?

専業主婦、専業主夫のいるご家庭と、共働きのご家庭では、本来であれば見ているところが違うはずなんですよね。
そうなれば、人生の楽しみ方そのものが違うはずなんですよ。
共稼ぎの家が、それらの全てを網羅し、全力で楽しもうとするから無理が生じているだけなのではないのでしょうか。

生き方を選択したわけですから、その生き方に見合った人生設計があって然るべきで、更に言うなら、こういう生き方をしたいという欲求があって、その欲求に見合った選択をすべき話なんですよね。

言ってしまうと、フルタイムで働いている方々が、平日の浦安ネズミーランドを楽しむ親子を羨むことが仮にあったとするならば、それ自体が筋違いな話なわけですよ。
また、専業主婦や専業主夫がいるご家庭が、共働きのご家庭に育児に口を挟むのも筋違いなんですよね。

生き方が違うんですから。

仮に口を挟むのであれば、共稼ぎをしなければならない状況に対して、意見を申すべき話なんですよ。

共働きのご家庭のお話の様ですが、

・朝晩の食事づくりと片付け……1日1.5時間程度
・掃除……1日換算15分
・洗濯……1日20分(乾燥機でシワになるものを干す、とりこむ、畳む等)
・子どもたちの送り迎え……1日1〜1.5時間程度(スムーズに帰路につけないときは時間がかかる)

という事の様です。
どういう男性と結婚したの?という話なのではないのでしょうかね?

>>そこで、一番エネルギーを必要とする「食事づくり」は、家事代行の方に1週間まとめてつくってもらい、時間のかかる「子どもたちの送り迎え」+「子どもたちの夕食」は、週1回ファミリーサポート(※以下「ファミサポ」と省略)さんに外注してみました。

もうね、何とも言い難いのですが、時間が取れないから、せめて食事の用意位は自分で頑張る処なのでは?
1週間分誰かに頼んでまとめて作ってもらう位なら、自分がまとめて作ったって良いわけですよね。
土日どちらか潰せば、それくらいは簡単にできるわけですよ。
ここを読んだ瞬間に、綺麗事を居ているけど、要するに面倒な事をしたくないだけなのね?と思ってしまうんですよね。
子供と接する時間が無いからこそ、食事だけは自分で作るのではないのでしょうかね?
何も自分一人で作る必要は無いわけで、子供と或いは、夫を交えて、1週間分作ればよい話なんですよ。
一緒に作れば、そこに会話が生まれるわけで、日々の話も、旨い不味いの話が一方的では無く親子共通の話題になるわけでしょ?

外注にしたところで、母親は母親なんですよね。
ただ、出来る事が限られてくるだけの話で、自分が出来ない所をお金を払って補ってもらうのは自由なわけですよ。
共働きを選んだ時点で、旧来の価値観の母親にはなれないのは明白なわけですから。
だからと言って、

「母親たるもの〜するべき」からの解放

にはならないのでは?
すべき事の内、出来ない事を外注にするだけの話で、すべき事は、すべき事として、意識していく必要はあるのではないのでしょうかね。





■家事育児、母親が絶対やるべきなの!? 外注したらどうなる?
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=5790618

忍耐&根性で乗り越えず、「しくみ」の見直しへ
ちびっ子の育児中は、とにかく余裕なし。思考停止の状態で、目の前に発生する「やらなきゃいけないこと」にひたすら挑む日々……続いてませんか?

ワンオペ育児ならなおさらです。知らないうちに体力と気力の限界をむかえ、ゲンナリして回復しない。じきに疲れていることにも気づかなくなるけど、去年の写真と比べると、確実に老けたと感じる……。

そんな育児を忍耐と根性で乗り切ってきた方、そろそろ無理ゲーから降りて、生活をまわす「しくみ」を考えてみませんか。

家事育児を「絶対、やらなきゃいけない」のか精査する
目的は、心身ともに健康な状態で子どもと一緒に生きていくため。言い換えれば、毎日のくらしを今より快適にするために、毎日のやるべきことを「自分(親)がやったほうがいいこと」と、「自分がやらなくてもOKなこと」にざっくり分けて考えてみます。

人によって違うでしょうが、正直、私の場合は以下でした。

自分(親)がやったほうがいいこと
・子どもと話して、ふれあうこと(メンタルケア)
・仕事

自分がやらなくてもOK
・朝晩の食事づくりと片付け……1日1.5時間程度
・掃除……1日換算15分
・洗濯……1日20分(乾燥機でシワになるものを干す、とりこむ、畳む等)
・子どもたちの送り迎え……1日1〜1.5時間程度(スムーズに帰路につけないときは時間がかかる)

つまり私の場合、家事のほとんどは「私がやらなくてもOK!」と感じ、自分以外の人間がやれば、1日約3時間が浮くことが判明しました。

そこで、一番エネルギーを必要とする「食事づくり」は、家事代行の方に1週間まとめてつくってもらい、時間のかかる「子どもたちの送り迎え」+「子どもたちの夕食」は、週1回ファミリーサポート(※以下「ファミサポ」と省略)さんに外注してみました。

食事づくりの時間は毎日ゼロ、とまではいきませんが、メインディッシュと副菜があるから気持ちが軽い。余裕があるときは、お味噌汁やおひたしを添えればOK。おふくろの味は、たまにつくるカレーや煮物で伝えることにしました。

また子どもたちのお迎えは、私よりもファミサポさんのほうが、すんなり帰路についてとてもスムーズ。なかなか帰ろうとしない子どもにイライラすることもありません。

さて、上記を試して約1カ月。

家事代行を利用してから、子どもへ怒ることが減り、私が休日に作り置きするエネルギーも生まれました。子どもたちはファミサポさんが大好きになり、つくっていただくごはんもよく食べています(ファミサポさんはお料理上手!)。

夕方に時間ができた私はといえば、最初は慣れずにソワソワしたこともありましたが、カフェに駆け込み、滞っていた仕事を進めたり、ボーっとして贅沢な時間を過ごすことができました。このありがたみ……深すぎます。

「母親たるもの〜するべき」からの解放
家事育児の一部を外注して気が付いたのは、「母親たるもの〜するべき」という固定観念から自分を解き放つ作業でもあったということでした。

・母親たるもの、できたての手作り料理を食べさせるべき。
・母親たるもの、家庭の家事はやるべき。

などなど、ないようでほんの少しはあった固定観念を「やりたくても心身共に無理」と納得し、「ウチはウチ、ヨソさまはヨソさま」と割り切る。そうなると、人間とってもラクになります。

外注にかかるお金についても追い風が吹いています。2019年10月から保育料が無償化となり、条件によってはベビーシッターやファミリーサポートの援助も受けられることになります。

我が家の場合、ファミサポは援助外ですが、保育料を差し引くと、月約1万円の出費で上記のサービスが利用できる見込みです。

日常の家事や育児にこだわりがあるならば、自分や夫婦で生活をまわせばよし。労力不足であれば、プロに頼んでもよし。親がつぶれないようにいったん立ち止まり、あなたには何が必要なのか、納得できる答えがみつかるといいですね。
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