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2020年01月13日22:34

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誤解だらけのイラン問題 ウクライナ旅客機を撃墜した「革命防衛隊」の正体

1月8日、イランの首都テヘランで、ウクライナ民間機が撃墜される大事件が起きました。当初、イランは旅客機側の技術的なトラブルだったと主張していましたが、1月11日には一転して「誤射による撃墜」と認めました。

コピーライト 文春オンライン 墜落したウクライナ機(2020年1月8日) コピーライトAFLO
 その誤射をしたのは、革命防衛隊航空宇宙軍でした。事件後、現場で撮影された写真に革命防衛隊が保有するロシア製地対空ミサイルの一部が写っていたり、撃墜時に偶然撮影された映像が流出したりしたことで、ごまかしきれなくなったからでしょう。
 しかし、当初ごまかそうとしていたことに、イラン国内でも批判の声が出ています。テヘランの大学では政府批判のデモも発生しました。イランでは2019年11月にも政府批判のデモが発生していて、弾圧の過程で1500人もの参加者が治安部隊に射殺されたといわれていますが、今回はどうなるか注目されています。
 イランと米国の緊張は、1月3日に米軍がイランの革命防衛隊特殊部隊「コッズ部隊」のソレイマニ司令官を殺害したことで、急速に高まっていました。「第三次世界大戦か!?」という声まで聞こえるほど報道も過熱していますが、実際のところ、イランと米国の対立構造は複雑で先行きは不透明です。
 なかでもイランは「大統領と最高指導者がいる」という特殊な権力構造を持ち、紛争の前面に出て来る軍隊も「イスラム革命防衛隊」という国軍とは別の軍事組織となっていて、非常にわかりにくくなっています。
 報道を見ていても、とにかく革命防衛隊ばかりが前面に出てきています。殺されたソレイマニ司令官は革命防衛隊の最高幹部。報復としてイラクの米軍基地をミサイル攻撃したのも革命防衛隊。間違ってウクライナ航空機を撃墜してしまったのも革命防衛隊……。ではこの革命防衛隊とは何者でしょうか?
ロウハニ大統領には一切、軍の指揮権はない
 報道ではしばしば「革命防衛隊は国軍とは違い、ハメネイ最高指導者の直属の部隊だ」と解説されています。しかし、それは誤解を呼ぶ解説です。それだと「ロウハニ大統領は国軍を指揮するが、革命防衛隊は最高指導者の統帥権を盾に、イラン政府の意向に従わずに勝手に独自で動く」といった勘違いをされてしまいます。実のところは、指揮系統的には両軍は同格なのです。
 イランでは国軍も革命防衛隊も、政府(大統領)の下にはありません。どちらも最高司令官はハメネイ最高指導者で、指揮系統にロウハニ大統領はいないのです。イランの軍事組織の指揮系統は以下のとおりです。
 まず、最高司令官はハメネイ最高指導者です。しかし、最高指導者はすべての問題を自分で判断しているわけではなく、側近の助言に頼ります。その側近組織が「最高指導者室」。最高指導者室はいわゆる官房組織で、その中に、安全保障政策・対外戦略を統括する「最高指導者軍事室」があります。現在、その室長はムハマド・シラジ准将が務めています。そして、最高指導者軍事室の下に、「イラン・イスラム共和国軍総参謀部」が配置され、その統括者として「イラン・イスラム共和国軍総参謀長」がいます。現在、モハマド・バケリ少将がその任にありますが、この役職が、イランの軍部の制度的なトップになります。
 そして、そのイラン・イスラム共和国総参謀部/総参謀長の統括下に「国軍」「イスラム革命防衛隊」「警察治安部隊」が置かれています。つまり、イランのすべての国家暴力装置がイラン・イスラム共和国軍総参謀長、最高指導者軍事室を通じて最高司令官のハメネイ最高指導者に繋がるという指揮系統になっているのです。しかし、実際には革命防衛隊のステータスは国軍よりもずっと高いものです。それは革命防衛隊の成り立ちに関係があります。
革命防衛隊は「イスラム革命」覇者のシンボル
 そもそも革命防衛隊が誕生したのは、親米派政権を打倒するためのイスラム革命が起きた1979年。当時は、そのカリスマ的指導者だったホメイニ師の私兵でした。当初は、革命政権の中からイスラム保守派のライバルになりそうな勢力を暴力で排除する役目を担いましたが、翌80年にイラン・イラク戦争が勃発すると戦線に投入されます。
 その際、既存のイラン国軍は、革命で打倒された親米派の旧政権の流れを汲んでいたので、政権を握っているホメイニ派から警戒されます。そこで革命防衛隊に優先的に予算や装備が支給され、やがて堂々たる軍隊に成長していきました。いわば革命防衛隊はイスラム革命を勝利した”本流”の軍隊なのです。かといって国軍は肩身が狭いとか、両軍が対立しているということではありません。
 実質的には、革命防衛隊と国軍を合わせてイランの「軍部」と見なすのが適切です。しかし、そのステータスや実力から、革命防衛隊が1軍で国軍が2軍のような関係性になっています。現在、革命防衛隊の司令官はホセイン・サラミ少将。国軍司令官はセイード・ムサヴィ少将です。そして、殺害されたソレイマニ司令官もそうですが、現在のイラン軍部の最高幹部は、ほぼ例外なくイラン・イラク戦争の生き残りであり、戦友意識で結ばれています。
 国軍は徴兵兵士が多く、総兵力は約40万人。内訳は陸軍が35万人(うち志願兵13万人、徴兵22万人)、海軍が1万8000人(うち海兵隊2600人、海軍航空部隊2600人)、空軍が2万5000〜3万5000人(うち防空軍1万2000人)です。ちなみに、イランでは国軍全体が「ARTESH」すなわち英文でいう「ARMY」と呼ばれているので、国軍のことを時に報道では「イラン陸軍」と報じていますが、正しくは「イラン国軍」のことです。
国内ではイスラム保守派の独裁を維持するための暴力組織
 他方、イスラム革命防衛隊は兵力が約15万人。内訳は陸軍が十数万人、海軍が2万人、航空宇宙軍の人数は不明。ソレイマニ司令官の「コッズ部隊」は数千人とみられていますが戦闘部隊ではない裏の組織なので、人数ははっきりわかっていません。
 他に、革命防衛隊の中には有志の民兵組織「バシジ」が組織されていて、常備部隊で約10万人いますが、有事にはさらに数十万人の動員が可能とされています。バシジはイラン・イラク戦争時には前線に投入された軍事組織ですが、現在はどちらかというと国内で革命防衛隊の威厳を示す大衆組織のような存在で、反イスラム的な動きを弾圧する圧力団体でもあります。体制を批判するデモが起きた時は、真っ先に弾圧部隊として投入されています。
 このように、バシジを含め革命防衛隊は、対外的な軍事組織であると同時に、国内でイスラム保守派の独裁を維持するための暴力組織でもあります。ただし、イラン国内では40年におよぶイスラム革命賛美宣伝が徹底していますので、革命防衛隊は国内では恐れられながらも、社会ステータスが高く、表面上は国内でも人気が高いとされています。ただし、強権支配の体制なので、人々の心の奥は誰にもわかりませんが。
イラン有数の財閥のような存在でもある
 また、革命防衛隊は核兵器開発、弾道ミサイル開発なども担当しています。密売も含め、兵器の輸出も行っています。さらに、さまざまな傘下企業を持ち、広範囲に経済活動も行っています。石油産業、建設業、金融業、不動産業、運輸業、輸出入業などの基幹産業で特権的な地位を与えられており、いまやイラン有数の財閥のような存在でもあるのです。
 革命防衛隊の傘下企業の代表が、1989年に設立された「ハタム・アルアンビア社」(KAA)です。建設業をメインとして不動産業や石油産業も行う複合企業で、核開発施設の建設を請け負って成長したほか、政府から独占的に数々の大型建設事業を請け負いました。こうした財政面での優遇も含めて、イスラム革命防衛隊はイラン社会では別格的な存在になっています。
コッズ部隊はテロ工作機関
 さて、そんな革命防衛隊で、ソレイマニ司令官が率いていたコッズ部隊は、報道では「精鋭部隊」と報じられていますが、それも間違いです。コッズ部隊は、海外でイランの支配圏を拡大する謀略工作を担う「工作機関」です。その過程でしばしば「テロ工作」も行うので、「テロ組織」でもありますが、国家の軍事組織の正式な機関なので、そこは「工作機関」でいいでしょう。
 コッズ部隊は80〜90年代には主に、外国で反体制組織のメンバーを勧誘してイラン国内の訓練施設で鍛え、武器や資金を与えて本国に戻し、彼らが現地で行うテロ活動を監督する活動を行っていました。しかし、2003年のイラク戦争でスンニ派のサダム・フセイン政権が瓦解した後は、イラク政界で主導権を握って体制側となったシーア派勢力への浸透を図り、特にシーア派民兵に武器と資金を流してコッズ部隊の配下のネットワークを拡大していきました。その工作は90年代後半にコッズ部隊司令官に就任していたソレイマニが主導しています。
ソレイマニは英雄ではなく悪魔そのもの
 そして、ソレイマニが黒幕として操ったイラクのシーア派民兵は、スンニ派住民に過酷な弾圧を行っています。たしかにイラクに限っては残虐集団「IS」の放逐にシーア派民兵は貢献していますが、その後に乗り込んできたシーア派民兵の弾圧は大量殺戮そのもので、イラクのスンニ派住民からは「ISという悪魔がいなくなったら、親イラン派民兵という次の悪魔が来た」と言われるほど苛烈なものでした。
 さらにその隣国であるシリアへも、ソレイマニは諸外国の配下を送り込んでいます。レバノンの武装組織「ヒズボラ」、イラクのシーア派民兵(中核は「殉教者大隊」。指揮官のアブ・ムスタファ・シェイバニは元親イラン派民兵「バドル軍団」幹部で、現在はコッズ部隊工作員)、さらに同じシーア派のアフガニスタン人であるハザラ人の傭兵部隊は、シリアで反アサド独裁に立ち上がったデモ隊の殺戮や、反体制派の住民の殺戮、反体制派の強い町を包囲・封鎖しての大虐殺など、戦争犯罪を厭わない冷酷で残忍きわまりない工作を進めてきました。
 シリアでは2011年以来すでに50万人以上もの人々が殺害されるというカンボジア内戦以来の大規模殺戮が行われてきましたが、その多くの戦争犯罪にソレイマニは責任があります。
 なお、こうしたソレイマニの悪行はイランでは一切報じられませんから、イラン本国では彼はあくまで「ISと戦った英雄」と宣伝されています。しかし、シーア派民兵に殺戮され続けているイラクのスンニ派住民、あるいはシリアの大多数の住民にとっては、悪魔そのものといえます。
イラン大使館が感謝ツイート
 1月9日、駐日イラン大使館は公式ツイッターで「日本の世論と国民に対し、ソレイマニ中将の殉教に際しイラン国民に哀悼の意を表されたことを感謝する」と書いています。
 日本の報道では、イランでの英雄ぶりを無批判に紹介したため、ソレイマニがさも正当な英雄であるかのように報じられているものもありますが、彼はテロリストであり、さらに言えば戦争犯罪人の大虐殺者です。こうした客観的事実を押さえずに、イラン本国での英雄扱いぶりを報じたため、イラン大使館から「感謝ツイート」をされてしまったというわけです。

いまこそ知っておきたい「親日だけど問題国家イラン」をめぐる国際政治のウラとオモテ へ続く
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