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2017年07月16日09:01

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「バビロンから出てくる」警告のニュースレター「角笛」81号より

「バビロンから出てくる」 by エレミヤ
 
本日は、「バビロンから出てくる」という題でメッセージしたいと思います。
 
終末の日に正しく歩もうとする神の民にと り、大事なことはバビロンから出てくる、脱 出することであると聖書が警告していること を見ていきたいと思います。
 
テキストは以下の箇所です。
 
黙示録 18:4 それから、私は、天からのもう 一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。 この女から離れなさい。(この女から出てき なさい:KJV訳)その罪にあずからないため、 また、その災害を受けないためです。
 
この箇所は新改訳では、「この女から離れ なさい」と尐し異なった訳になっています。 しかし、KJV訳では、「この女から出てきなさ い」と語っています。KJV訳は大多数の聖書写本(majority text)を反映させた正統的な訳で すのでこちらの訳を採用したいと思います。
 
<バビロンから出ることの意味合い >
 
繰り返しますが、ここでは、わが民として神に属する民に対して、「この女から出てく る」すなわち、バビロンから出てくることが 命じられているのです。このことの意味合い を考えてみたいのです。 私にはこう読めま す。
 
このことばを通して神は終末の日に全ての 神の民がすでにバビロンに入っている、その 中にいることを語ると理解できるのです。聖 書的な表現をするなら、終末の日の神の民は すでにバビロン捕囚されていることを聖書は 暗示している、そう理解できるのです。
 
このような言い方は唐突に聞こえるかもしれません。私の言わんとしていることを理解いただけるでしょうか。例をあげて説明したいと思います。たとえば、警官が犯人に対し て「部屋から出てきなさい」と命じるとき、 それは、すなわち、犯人が部屋の中にいることを意味するのです。外の庭を歩いている犯人に対して「部屋から出てきなさい」とはい わないからです。
  
 また、目覚まし時計が鳴ってもベッドから出 てこない子供に対して母親は、「早くベッド から出てきなさい」と語ります。もうすでに ベッドから出てきて顔を洗っている子供に対 してはそうはいわないのです。ですので、何 度も繰り返すようで恐縮ですが、「この女か ら出てきなさい」という短いことばを通して 聖書が暗示していることがら、を正しく正し く理解しなければなりません。
 
その結論は確かに私たちの常識と異なるかもしれませんが、しかしどのようなときでも 聖書が正しいのです。神はこのことばを通し て終末の日にわが民と呼ばれる神の民もそう でない神の民も皆、誰もかれもすでにバビロ ン捕囚されていることを暗示し、語り、知らせているのです。このことを理解しなければなりません。
 
聖書は神の知恵により書かれた書です。したがってどのように小さなことばにも意味合 いがあるのです。そして私たちは黙示録の小さなことば「わが民よこの女から出てきなさ い」という小さなことばから重大な事実を悟 るのです。それは、終末の日にバビロン捕囚 が再現され、すべての神の民がバビロンへ捕 らえ移されてしまう、否すでに捕らえ移され ている、という重大なことを悟るのです。
 
<バビロン捕囚とは何か>
 
そのようなわけで黙示録は明らかに終末の日にバビロン捕囚が再現することを暗示しま す。ですので、私たちがもし終末の日を正しく理解しようと望むならこのバビロン捕囚と いうことを理解するべきです。それでは改め て、バビロン捕囚の意味合いは何でしょう か?考えて見ましょう。
 
このことを理解するためには私たちは旧約聖書の記述に戻る必要があります。 以下の箇所を見てみましょう。
 
 2歴代36:10 年が改まるに及んで、ネブカデネザル王は使者を遣わし、彼を主の宮にあった尊い器とともにバビロンに連れて行った。 そして、エホヤキンの兄弟ゼデキヤをユダと エルサレムの王とした。
 
36:14 そのうえ、祭司長全員と民も、異邦の民の、忌みきらうべきすべてのならわしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された主の宮を汚した。
 
 36:15 彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに、 使者たちを遣わし、早くからしきりに使いを 遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の御住まいをあわれまれたからである。
 
 36:16 ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者 たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もは や、いやされることがないまでになった。
 
 36:17 そこで、主は、彼らのもとにカルデヤ人の王を攻め上らせた。彼は、剣で、彼らの うちの若い男たちを、その聖所の家の中で殺 した。若い男も若い女も、年寄りも老衰の者も容赦しなかった。主は、すべての者を彼の 手に渡された。
 
 36:18 彼は、神の宮のすべての大小の器具、 主の宮の財宝と、王とそのつかさたちの財宝、 これらすべてをバビロンへ持ち去った。
 
ここには、ダビデ以来の王朝の子孫である王も民もみな、バビロンへ捕囚されたことが 描かれています。そして、このようにして神 の民が異邦の地であるバビロンへ捕囚されたのです。しかし、何故捕囚されたのか?捕囚 のその理由として、「神の使者たちを笑いも のにし、そのみことばを侮り、その預言者た ちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤 りが、その民に対して積み重ねられ」たゆえ であることが書かれています。
 
 
 そうです、旧約の神の民は神への反逆、不信のゆえに神の怒りをかい、結果、バビロン へ捕囚とされてしまったのです。それが、バビロン捕囚の理由なのです。
 
<新約の神の民もバビロン捕囚される>
 
既に見たように、黙示録は新約の神の民も 再度バビロン捕囚されることを暗示していま す。それでは、その理由は何故でしょうか? 何故、新約の神の民は、バビロン捕囚されるのでしょうか?私が思うには、その理由は旧 約のバビロン捕囚の理由と同じです。 すなわち、新約の神の民も、「神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その 預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねら れ」たゆえバビロン捕囚されるのです。
 
このことは本当でしょうか?尐し考えて見ましょう。私の理解ではこのことは本当であ り、新約の神の民は、神のみことばを侮り、 その教えを守ろうとしていません。そして、 それゆえに神の怒りが積みあがっている、そ のように思えています。
 
そんなはずはない、という人もいるかもしれません。例を挙げてみましょう。たとえば、 アメリカのキリスト教会では、神のことばを侮り、同性愛を受入れつつあります。しかし、 この罪は聖書の中で、ソドム、ゴモラの罰とともに神が禁じている罪です。さらに聖書の 十戒のことを考えて見ましょう。十戒には、 何が命じられ何が禁じられているのでしょう か?そこには殺すな、姦淫するな、むさぼる なと書かれてないでしょうか?しかし、アメリカのキリスト教会は戦争の殺人を肯定し、 アメリカのクリスチャンは離婚や姦淫を犯し、 さらに大いに欲やむさぼりを追い求めていま す。この教会は「その御言葉を侮」っていな いでしょうか?いいえ侮っています。そして、 それゆえ、この国においてバビロン捕囚は実 現しているのです。
 
<現代のバビロンとは何か?>
 
さて、ここで根本的なことを考えて見ましょう。すなわち、現代のバビロンとは一体何 をさすのか、ということを考えてみたい、と 思うのです。
 
このことに関して私の理解では、それはア メリカのキリスト教会である、と理解してい ます。そう思う根拠は以下のことばです。聖 書は女、バビロンが獣と不可分な関係であることを語り、女が獣に乗っていることを語り ます。以下の通りです。
 
黙示録17:3すると私は、ひとりの女が緋色の 獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持 っていた。
 
以前私たちはこの獣が国としてのアメリカ であることを見ました。獣がアメリカの国な ら、それに乗っている女も獣と無関係ではな く、関係があります。したがって、女はアメ リカのキリスト教会と理解するのが正しいと 思えます。
 
繰り返しますが、私たちはアメリカのキリス ト教会、それは、聖書に従った忠実な教会でも、神に喜ばれる教会でもなく、逆にそれは、 神の前にバビロンという名前で呼ばれている、 と理解しているのです。そしてその理解は正 しいだろうと思っています。
 

 
何故なら、アメリカのキリスト教会で語られている教えは聖書由来のものでなく、曲げ られた教理だからです。そして、そのリバイ バルの霊は神からの聖霊ではなく、逆に悪霊だからです。
 
たとえば、艱難前携挙説は聖書が本来語っている教えではないのですが、アメリカで 大いに宣伝されています。また、アメリカを基点に広がったヤベツの祈りは魔術来のものであり、神に願いを強制する魔術的なものな のです。
 
<バビロンは全ての国のクリスチャ ンを汚れに導く>
 
バビロンの問題は単にアメリカのキリスト教会のみがバビロン化しているという問題だ けではありません。そうではなく、そのアメ リカのキリスト教会の影響の中で世界中のキ リスト教会がバビロン化される、という問題 があるのです。それは私が言っていること、 警告していることではなく、黙示録が警告し ていることです。黙示録はこのバビロンによ り、すべての国々が汚されることを語ります。 以下の通りです。
 
黙示録18:3 それは、すべての国々の民が、彼女の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒 を飲み、地上の王たちは、彼女と不品行を行 ない、地上の商人たちは、彼女の極度の好色 によって富を得たからである。」
 
 
バビロン、アメリカのキリスト教会により すべての国々の民が影響を受け、神の怒りを 受けるようになる:このことは事実であり、 現在全ての国のキリスト教会はアメリカ由来 の偽り教理また悪霊リバイバルに汚されてい ます。
 
良くも悪くもアメリカのキリスト教会は世界のキリスト教会をリードしており、その影 響は全世界に及んでいるからなのです。
 
<バビロンに捕囚されることの意味合い>
 
それではバビロンに捕囚されることの意味 合いは何でしょうか?それにはどのような問 題があるのでしょうか?バビロン捕囚、そのことに関するたとえの意味合いは深刻なもの であると私には思えます。深刻?このことを 考えて見ましょう。
 
旧約の神の民がバビロンに捕囚される、捕らえ移される、というとき、それは彼らがア ブラハム以来の先祖の約束の地から抜き取られ、追い出される、という意味合いがあります。
 
そしてその約束の地から抜き取られること のたとえの意味合いは深刻です。神の約束の 地が新約において意味すること、そのたとえ の意味合いはクリスチャンに対して神が約束 した御国、帰るべき天の故郷を意味するもの だからです。
 
そして、バビロンに捕囚された人々に対してはその天の御国を受け継ぐとの約束は破棄 され、彼らは入るべき天の御国に入らない、 そのことが暗示されているのです。大変深刻な意味合いがあるのです。そしてもう一つの ことがあります。バビロン、それは異郷の地である、ということです。それは、神の備え た地でもなく、場所でもありません。同じく 現代のバビロンであるアメリカのキリスト教会で語られている教えや霊は本来神が備えた ものでなく、それは異郷のものであり、異教 の教えなのです。トロント、ペンサコーラの 霊は神からの霊でなく、悪霊由来のものなの です。(角笛HPのトロントCDのページを 参照ください)
 
 
<バビロンの罪の共犯者とならない >
 
終末の日において全ての国のクリスチャン がアメリカの影響の下でバビロン化し、バビ ロン捕囚されることは事実です。しかし、そ れとともに聖書は私たちがそこから出ること を命じています。もし、そうせず私たちがこ の女、バビロンから出てこないなら、バビロンの罪の共犯者となることを聖書は語ります。 以下の通りです。
 
黙示録18:4 それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。 この女から離れなさい。その罪にあずからな いため(共犯者とならないため:KJV)、また、 その災害を受けないためです。
 
ですので、我々は理解しなければなりませ ん。もし、我々がこのまま、アメリカ由来の 偽り教理にとどまり、その悪霊リバイバルを 受入れているなら、それだけで、私たちは罪 に加担するもの、罪への共犯者となることを 知るべきなのです。そして、その罪への罰と して私たちはバビロンと同じ罰を受けるよう になる、それを理解するべきなのです。
 
今は全世界のキリスト教会がバビロン捕囚 されている時代であり、全世界の教会が アメリカ由来の偽り教理に影響されており、 悪霊リバイバルに影響されています。
 
そのことは事実なのですが、私たちはしか し、自分で教理を吟味し、霊を吟味し、どの ように歩むべきか決断するべきです。今のま ま、バビロン、アメリカのキリスト教会の教 理や霊にとどまることは聖書的には、罪への 加担者、共犯者と神にみなされ、いずれその 罰を受けるようになるからなのです。
 
<バビロンから出てくることが薦め られている>
 
エレミヤ書は、このこと、バビロンから出ることを以下の様に語ります。
 
エレミヤ 51:6 バビロンの中から逃げ、それぞれ自分のいのちを救え。バビロンの咎のた めに絶ち滅ぼされるな。これこそ、主の復讐 の時、報いを主が返される。
 
ここに書かれているように、バビロン、ア メリカキリスト教会の影響や教理、霊から抜 け出ることが正しいことであり、聖書が薦め ていることなのです。そして、そのことは実 は私たちの命、永遠の命にかかわることなの です。それで、「バビロンの中から逃げ、そ れぞれ自分のいのちを救え。」と書かれてい るのです。逆にどこまでもアメリカキリスト 教会由来の偽り教理にとどまり、悪霊リバイ バルにとどまるものは、ともに害を受け、滅 びを受けます。「バビロンの咎のために絶ち 滅ぼされるな。」と書かれている通りなので す。
 
これらのバビロンに関する聖書の警告を正 しく理解し、終末における正しい歩みをしま しょう。
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