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2017年07月09日11:20

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「常供のささげものは取り除かれる」 警告のニュースレター「角笛」80号より

「常供のささげものは取り除かれる」 by エレミヤ
 
本日は、「常供のささげものは取り除かれ る」という題でメッセージしたいと 思います。終末を預言するダニエル書では、 終わりの日に常供のささげものが取り除かれ ることについて書いてあります。以下の通り です。
 
ダニエル8:11 軍勢の長にまでのし上がった。 それによって、常供のささげ物は取り上げら れ、その聖所の基はくつがえされる。
 
 8:12 軍勢は渡され、常供のささげ物に代え てそむきの罪がささげられた。その角は真理 を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、 それを成し遂げた。
 
 8:13 私は、ひとりの聖なる者が語っている のを聞いた。すると、もうひとりの聖なる者 が、その語っている者に言った。「常供のさ さげ物や、あの荒らす者のするそむきの罪、 および、聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう。」
 
本日はこれらの箇所の意味合いを見ていきた いと思います。
 
<常供のささげ物とは何か?>
 
そもそも聖書でいう常供のささげ物とは何を 意味するものなのでしょうか?
 
このことばが使われている聖書箇所を見てい くとき、その意味合いも見えてくるでしょう。 たとえば、以下です。
 
 
民数記4:16 祭司アロンの子エルアザルの責任 は、ともしび用の油、かおりの高い香、常供 の穀物のささげ物、そそぎの油についてであ り、幕屋全体とその中にあるすべての聖なる ものと、その用具についての責任である。」
 
この箇所によるならば、、常供のささげもの とはすなわち、穀物のささげものであり、ま た注ぎの油のささげものであることがわかる のです。
 
  
 
 民数記28:10 これは、常供の全焼のいけにえ とその注ぎのささげ物とに加えられる、安息 日ごとの全焼のいけにえである。
 
この箇所によるなら常供のささげものとは、 すなわち、全焼のいけにえであることがわか るのです。
 
<常供のささげものは現在はもう存 在しない>
 
このように、常供のささげものとはすなわち 穀物のささげものや、注ぎの油さらに全焼の いけにえであることがわかりました。しかし、 これを終末の日にそのまま適用するなら問題 があります。何が問題かというと、このこと です。そもそも終末である現在においては、 かつての神殿は存在しません。またそうであ るがゆえに、神殿でささげられるべき穀物や、 油さらに全焼のいけにえはもうささげられて いないからです。
 
財布に入っていない一万円札を盗むことは 不可能です。同じくささげられていない常供 のささげものを中止することは不可能です。 したがって、「常供のささげものがとりあげ られる」とのことばを現代において文字通り に解釈するのは、矛盾があります。したがっ てこのことにはたとえの意味合いがあるよう に思われます。
 
 
<主はたとえの理解を語られた>
 
私たちの主はみことばの理解に関連してた とえの理解に関して語りました。また、たと えを理解しない、できない弟子たちを叱責さ れました。以下のとおりです。
 
マルコ 4:13 そして彼らにこう言われた。 「このたとえがわからないのですか。そんな ことで、いったいどうしてたとえの理解がで きましょう。
 
また、以下の箇所では主が語られた全てのこ とばはたとえであることも語られています。
 
マルコ 4:33 イエスは、このように多くのた とえで、彼らの聞く力に応じて、みことばを 話された。
 
 4:34 たとえによらないで話されることはな かった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、 すべてのことを解き明かされた。
 
主のすべてのことばはたとえなのです。そ して聖書全巻は主イエスを証しするものなの で、聖書のあらゆる箇所でたとえが使われて いるのです。したがって、このダニエル書の 箇所も、たとえを理解することが必要と思え ます。
 
<第3神殿が再建される可能性は 0%>
 
主イエスのことばに逆らって何が何でもた とえを理解しない解釈者もキリスト教会には、 存在します。彼らの言い分によるなら、これ から第3神殿が再建され、その後、常供のさ さげものが復活するそうです。なんとも気の 長い話です。しかし、常識的に考えるなら、 エルサレムに再度神殿が再建される可能性は ゼロであると思えます。
 
その理由はこうです。聖書的によるなら、 エルサレムの神殿はどこに建ててもよい、と いうものではなく、建てるべき場所は、決ま っています。それは、モリヤの山の上です。 そして、そこには、もうすでにイスラム教の 黄金ドームが建っているのです。ここは、イ スラム教の3大聖地の一つなので、この寺院 が移転することなどありえないのです。彼ら にこの場所を移転しろ、ということは、たと えば、日本人に対して、 「皇居を移転して更地にしろ、その場所にデ イズニーランドを建てる予定だから」という ようなもので、とんでもない侮辱の要求であ り、誰一人受入れるはずのない話なのです。
  
 
                        
この様に第3神殿の建設ということは現実的 にはありえない話なのです。私たちはこのこ とのたとえの意味合いを見ていくべきと思わ れます。
 
<常供のささげもののたとえの意味 合い>
 
常供のささげもののたとえの意味合いは何 でしょうか?たとえば、常供のささげもので ある穀物のささげものの意味合いは何でしょ うか?
 
私の理解ではこうです。穀物のささげもの とは具体的には麦をささげることであり、そ れは、パン、すなわち、みことばや、メッセ ージと関連するたとえです。同じく注ぎの油 は、神の油、すなわち、聖霊と関係すること がらであり、たとえです。また、全焼のいけ にえとは、神の火である聖霊により肉を焼き 尽くされたクリスチャンの奉仕をあらわすた とえと理解できます。
 
<毎週の礼拝メッセージが取り除か れる>
 
このささげものに関してダニエル書11章 では、毎日のささげもの(daily sacrifice) として、毎日、毎週、定期的にささげられる ものであることが強調されています。以下の 通りです。
 
ダニエル 11:31 彼の軍隊は立ち上がり、聖所 ととりでを汚し、常供のささげ物(daily sacrifice) を取り除き、荒らす忌むべきもの を据える。
 
毎日また毎週の様に神の前にささげられる穀 物のささげものとは何を意味するのでしょう か?私の理解では、その意味合いは、教会で 毎週の様にささげられている神へのパンのさ さげもの、すなわち、礼拝のみことばのメッ セージのたとえと理解できます。
ですから、「常供のささげ物が取り除かれ る」というとき、教会が地上に存在しなくな ることを意味しているわけではないのです。 また、クリスチャンが全世界から消えうせる ことを語っているのではないのです。 しかし、教会の礼拝でもっとも大事なこと、 神のことばに沿った正しい礼拝メッセージは 教会から消えうせ、取り除かれるようになる のです。具体的には、獣の国の支配の下で、 教会で語られるメッセージに対して、検閲や 制限が加えられ、正しいメッセージは取り除 かれ、除外されるようになるのでしょう。 別のことばで言えば、イエス以外に救いはな いとか、同性愛は神が禁じているなどの正し いメッセージに対して、検閲がかかり、スト ップがかかるようになるのでしょう。
 
<すでに教会メッセージに対して干 渉が始まっている>
 
教会のメッセージに対してアメリカの国が 干渉したり、制限を加えるようになる、とい えば、そんなはずはない、という意見がある かもしれません。しかし、このことは、実は もうすでにアメリカで起きつつあることなの です。
 
今年アメリカでは注目すべき事件が起こり ました。それは、ジョージア州のセブンスデ ーアドベンチストの牧師Dr. Eric Walshがそ の礼拝メッセージの内容や、ノート、メモ、 聖書の書き込みなどの内容を提出するよう、 ジョージア州から要求される、という事件が 起きたのです。
 
彼は州の健康アドバイザーとして雇われてい たのですが、彼が週末に聖書のメッセージを 行っていたことを理由として解雇されました。 そのことに関する訴訟の中で、ジョージア州 はこの要求を行ったのです。しかし、教会や、 牧師の説教メッセージの内容に関して国や州 が干渉するということはかつてなかったこと なのです。この事件を通してアメリカという 国や、その州がキリスト教会の牧師がどのよ うな内容のメッセージを行っているのかとい うことに興味を持っていることがわかりまし た。さらに彼らはできれば、メッセージの内 容を検閲したいと思っていることが理解でき ました。
 
アメリカにおいては、すでに同性愛に反対 するクリスチャンが逮捕されたり、路上で路 傍伝道する牧師が逮捕されたりしています。 彼らが教会のメッセージを検閲するようにな れば、同性愛に反対するようなメッセージに 対して、禁止したり、罰するようになること は明らかです。
 
ですので、ダニエル書で預言されている未 来、すなわち常供のささげものである教会の 毎週のメッセージが獣の国において検閲され、 制限され、禁止されるようになるとは、今 まさに実現しつつあるのです。
 
<どのような日が来ようとしている のか>
 
さて、常供のささげものが取り除かれる日 とは具体的にはどのような日なのでしょう か?上記、ダニエル8章のことばから見てい きましょう。
”ダニエル8:9 そのうちの一本の角から、ま た一本の小さな角(強い角:70人訳)が芽 を出して、南と、東と、麗しい国とに向かっ て、非常に大きくなっていった。”
 
ここでは、常供のささげものが取り除かれ ることに関連してまず、一本の強い角に関し て語られています。ですので、終末の日に教 会から正しいメッセージが取り除かれるその 最大の原因、理由は、この終末の獣の国、す なわち、アメリカの横暴に原因があるのです。
 
 8:10 それは大きくなって、天の軍勢に達し、 星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、こ れを踏みにじり、
 
この獣の国アメリカの権力はさらに強大な ものとなり、ついには、天の軍勢すなわち、 天的なクリスチャンに対して影響を与えるよ うになります。その結果彼らは地に落とされ、 この世的なものとなります。結果、クリスチ ャンは、離婚はOK, 中絶もOK, 同性愛もOKと いうこの世の人と変らない、道徳観に変えら れていきます。
 
8:11 軍勢の長にまでのし上がった。それによ って、常供のささげ物は取り上げられ、その 聖所の基はくつがえされる。
 
軍勢の長とは、神の軍隊であるキリスト教 会の頭、トップを表します。教会のトップ、 頭はいうまでもなくキリストです。しかし、 この日、獣の国アメリカの強権の下で、教会 に圧力がかかり、キリストが追い出され、反 キリストが教会のトップに据えられます。
 
そして、それとともに「常供のささげ物は取 り上げられ」ます。すなわち、「キリスト以 外に救いはない」などの正しいメッセージは もう教会では語られなくなるようになるので す。「その聖所(神殿)の基はくつがえされ る。」とはキリスト教会の土台が覆され、ひ っくりかえされることを語ります。
 「キリストは神」「救いはキリストから来 る」「十字架により罪が許される」というよ うな重大な教理がみな、教会から追放される ようになるのでしょう。
 
8:12 軍勢は渡され、常供のささげ物に代えて そむきの罪がささげられた。その角は真理を 地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、そ れを成し遂げた。
 
「常供のささげ物に代えてそむきの罪がささ げられた」とは、すなわち、神の前にささげ られた正しいメッセージの代わりに、神への そむきの罪のメッセージが教会内で語られる ようになることを示します。すなわち、「キ リストは神でない」「十字架により罪が許さ れることなどない」「地獄も裁きも存在しな い」などの神の前には、罪としかいえないメ ッセージが教会で語られるようになるのです。
 
「その角は真理を地に投げ捨て」とは、聖書 の真理、神の前に正しい真理は、獣の国の強 権の下で、追放され、虚偽であると語られる ようになることをさすと思えます。
 
「聖書は神のことば」であるという真理も投 げ捨てられ聖書は誤りの多い本である、と 偽りが広げられるようになるのでしょう。
 
ダニエル11章からも見てみましょう。
 
ダニエル 11:30 キティムの船が彼に立ち向か って来るので、彼は落胆して引き返し、聖な る契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。 彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた 者たちを重く取り立てるようになる。
 
この箇所はかつての日、アンテイオコス・ エピファネスを通してすでに実現しました。 しかし、それは、また終末の日に再現する ことがらとも理解できます。
 
終末の日においても、反キリストは、「聖 なる契約」すなわち、クリスチャンとキリス トとの間に交わされた永遠の命の契約にいき
りたち、それを解消、消滅すべく働くでしょ う。また、「聖なる契約を捨てた者たちを重 く取り立てるようになる。」とのことばどお り、キリストとの契約を捨て、長子の特権を 売り払ったエサウの様な俗悪なクリスチャン を、教会の高い位置につけるようになるので しょう。
 
11:31 彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりで を汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす 忌むべきものを据える。
 
その日、反キリストは、聖所(神殿)である聖なる教会を汚し、同性愛容認などの罪の 教理を受入れさせるようになるのでしょう。 そして、常供のささげ物である毎週の正しい メッセージを取り上げ、禁止させます。 キリストのみに救いがある、などとの 正しいメッセージは取り上げられ、検閲され、 禁止されるのです。
 
キリストは教会から追い出され、そして、 その代わりに荒らす忌むべきものである反キ リストを教会の神として立てるようになるの でしょう。
 
このような恐るべき未来を聖書は預言しま す。これらの災いが起きるその理由はみな、 教会の背教のゆえであり、私たちの不従順の ゆえに許されるのです。歩みをただし、この 時代における正しい歩みに入りましょう。 
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