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2017年06月18日20:44

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「獣は聖徒に打ち勝つ」 警告のニュースレター「角笛」77号より

「獣は聖徒に打ち勝つ」  by エレミヤ
 
本日は「獣は聖徒に打ち勝つ」という題でメッセージしたいと思います。終末の日に獣 の国が聖徒であるクリスチャンや教会に打ち 勝つようになる、ということを見ていきたい と思うのです。
 
獣が聖徒に打ち勝つ、このことは、以下のダニエル書に記載されています。
 
“ダニエル 7:21 私が見ていると、その角は、 聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝っ た。”
 
ここで書かれている聖徒ということばは、 70人訳のギリシャ語のhagiosということば で、以下のロマ書で使われている聖徒という ことばと同じです。
 
ロマ8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の 思いが何かをよく知っておられます。なぜな ら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒の ためにとりなしをしてくださるからです。
 
ここで書かれている聖徒とはクリスチャン のことですから、ダニエル書に書かれている 終末の日の聖徒もクリスチャンをさすことが わかります。したがってこのダニエル書が預 言しているのは、このような未来です。 すなわち、終末の日に獣の国の力が強くなり、 クリスチャンや教会がその獣の国に敗れてい く、という日が預言されているのです。
 
このようなことばは、我々クリスチャンの 「世に勝つクリスチャン」という常識とは、 違います。しかし、聖書に預言されているこ となら、これは実現する可能性があります。 それでこのことを本日は見ていきたいと思う のです。
 
<聖書の多くの箇所が終末の日のクリスチ ャンの獣への敗北を預言している>
 
さてこのようなこと、終末の日にクリスチ ャンが獣の国に敗北するということは望まし いことではないのです。しかし、他にもいく つかの聖書箇所がこのことを預言しています。 それを見ていきましょう。
 
ダニエル8:9〜12 の箇所もこのことを預言しています。テキストに沿って順に見て行きましょう。
 
ダニエル8:9 そのうちの一本の角から、また 一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、 麗しい国とに向かって、非常に大きくなって いった。
 
8:10 それは大きくなって、天の軍勢に達し、 星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、こ れを踏みにじり、
 
この箇所にはたとえが使われています。星 の軍勢とは以下のことばから理解できます。
 
創世記 22:17 わたしは確かにあなたを大いに 祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂 のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。
 
この箇所からわかるように、星の軍勢とは アブラハムの子孫であるイスラエルの民を表 すたとえなのです。そして新約の時代におい ては、それは、新約のイスラエルであるクリ スチャンをさすたとえです。ですので、「そ れは大きくなって、天の軍勢に達し」とのこ とばの意味合いはこういうことです。すなわ ち、獣の国であるアメリカが強くなり、つい には、教会やクリスチャンにまで影響を及ぼ すようになる、ということを語っているので す。
 
このことは今盛んにアメリカで行われてい ることです。獣の国アメリカの政府は、教会 やクリスチャンの歩みかたに干渉していま す。同性愛に反対することは、性的尐数者に 対する罪であるとして、クリスチャンを迫害 し、場合によっては逮捕さえしているので す。軍勢ということばからわかるように、今 アメリカで起きていることは戦いであり、戦 争なのです。それは、一時的なものでも大統 領が変ったからといって中止されるムーブメ ントでもありません。逆にそれは、用意周到 に用意された戦争であり、キリスト教が敗北し、キリスト教の教理が壊滅する までは終わらない戦争なのです。
 
「星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、 これを踏みにじり」
 
星の軍勢が地に落ちるとは、すなわち、天 的な存在であるクリスチャンが地、すなわち、 この世的なものに落とされる、ということを たとえで語っています。オバマ大統領は、同 性婚は合法であると宣言しました。ということは、それに反対するクリスチャンは非合法 であり、法を守らない犯罪人であるというこ とになるのです。このようにして、獣の国は 法律で脅して教会をこの世的なものへと変え ようとしています。聖書に従い、同性婚の司 式を拒否する牧師が訴えられつつあります。
 
8:11 軍勢の長にまでのし上がった。それによ って、常供のささげ物は取り上げられ、その 聖所の基はくつがえされる。
 
ここで書かれているのは、獣の国が対キリスト教に対して起こした戦争の未来の結果で あり、結末です。ここではキリスト教が敗北 し、軍勢のトップの座を獣の国に奪われるこ とが描かれています。軍勢の長、すなわち、 教会の長は誰か?それはすなわち、王の王で あるキリストのことです。すなわち、驚くべ きことには、教会のキリストの座が奪われ、 その座に獣の国の反キリストが座すようにな ることをここでは語っているのです。
 
「常供のささげ物は取り上げられ」
 
常供のささげ物とは旧約の時代においては、 穀物のささげものや油のささげものです。た とえの意味合いとして新約においては、穀物 は命のパンであるみことばやメッセージに通 じ、油は聖霊に通じます。すなわち、その日、 教会から、正しいメッセージが取り去られ、 聖霊の働きが取り去られることが描かれているのです。
 

「聖所(神殿)のもといはくつがえされ」
 
ここでは、神への礼拝の場所、神殿として の教会が覆されることが描かれています。
 
8:12 軍勢は渡され、常供のささげ物に代えて そむきの罪(罪のささげもの:sinoffering;70人訳)がささげられた。その 角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふる まって、それを成し遂げた。
 
ここでは、教会において罪のささげ物がささげられるようになることが描かれています。 すなわち、罪のあるメッセージが教会で語られるようになることが預言されているのです。 具体的には、牧師が聖書が罪であると禁じて いることを正しいと容認します。「同性愛は 聖書的に全く正しい」「神は同性婚を祝福し ておられる」などの冒涜的なメッセージが教 会で語られるようになるのでしょう。このよ うなメッセージは今すでに一部の教会では語 られているかもしれません。しかし、これか らさらに全世界の教会でこのように冒涜的な メッセージが語られるようになるのでしょう。
 
さて、黙示録も同じような日、すなわち、 教会が獣の国に敗北する日を預言します。 (黙示録13:5〜7)この箇所を見ていき ましょう。
 
黙示録13:5 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間 活動する権威を与えられた。
 
ここでは、獣の国アメリカにけがしごとを いう口が与えられることが描かれています。 アメリカはすでに冒涜的であり、政府は学校 において、軍隊において、公共機関において、 神やキリストに関して語ることや祈ることを 禁じつつあります。この傾向はさらに進み、 さらに冒涜的になっていくのでしょう。そし て、42ヶ月すなわち、3年半の艱難時代も アメリカ主導で始まります。
 
 13:6 そこで、彼はその口を開いて、神に対 するけがしごとを言い始めた。すなわち、神 の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。
 
「その幕屋、すなわち、天に住む者たち」 とは聖霊の幕屋である天的なクリスチャンを さします。彼らは聖書に従い、同性愛を拒否 し、妊娠中絶に反対します。それゆえ、獣の国アメリカは、このような聖書に忠実なクリ スチャンを敵視し、ののしり、非難します。 これは、すでにアメリカで起きていることで す。中絶に反対してデモを行うクリスチャン はこの国で犯罪者呼ばわりされ、逮捕されています。
 
 13:7 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打 ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、 民族、国語、国民を支配する権威を与えられ た。
 
ここでも獣の国が聖徒であるクリスチャン たちに打ち勝つことが描かれています。ですので、聖書は繰り返し、繰り返し終末に関し て一つのことを語ります。それは、終末の日 に獣の国が対キリスト教、対クリスチャンに 対する戦争を起こすことです。そして、その 結果、残念ながら、教会もクリスチャンもこ の戦争に完全に敗北することです。そして教 会におけるもっとも大事な教理は捨て去られ、 さらにキリストの座さえ、敵に奪われるとい う徹底的な敗北をする、ということが書かれ ているのです。
 
 

<何故クリスチャンは敗北するのか?>
 
上記の様なことを聖書は語っているように 思えます。しかし率直な疑問として、何故終 末の日にクリスチャンは獣に勝利を得ること ができず、敗北をするようになるのでしょう か?その質問に答えるのに、以下のことばが 参考になるかもしれません。
 
ルカ19:41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、
 
 19:42 言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。 しかし今は、そのことがおまえの目から隠さ れている。
 
 19:43 やがておまえの敵が、おまえに対して 塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄 せ、
 
 19:44 そしておまえとその中の子どもたちを 地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石も ほかの石の上に積まれたままでは残されない 日が、やって来る。それはおまえが、神の訪 れの時を知らなかったからだ。」
 
ここには、旧約の神の民であるユダヤ人の 都エルサレムが、ローマにより徹底的に破壊 される日に関して預言されています。神の民 であるユダヤ人が何故、神を知らない異邦人 ローマとの戦争に敗北するのか?都も神殿も 徹底的に破壊されるような大きな敗北をする ようになったのでしょうか?
 
その理由は明白です。それは、エルサレム に住むユダヤ人たちの罪のゆえです。彼らが 神の遣わされたキリストを受け入れず、逆に キリストを捕らえ、犯罪人として有罪宣告を 行い、ついには、十字架で殺してしまったか らなのです。それゆえ神の怒りは燃え上がり、 その怒りの中で、ユダヤ人たちはローマとの 戦争に敗北し、都も神殿も徹底的に崩壊して しまったのです。
 
そして、同じパターンが終末の日に再現す ると思われます。なぜなら、終末を預言する 黙示録の中に主が大きな都すなわち、終末の 背教の教会の中で再び十字架につけられるこ とが預言されているからです。以下のとおり です。
 
黙示録 11:8 彼らの死体は、霊的な理解では ソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通 りにさらされる。彼らの主もその都で十字架 につけられたのである。
 
ここには、その日、大きな都すなわち、背 教の教会が同性愛を受入れソドム化すること、 この世の論理を受入れエジプト化すること、 そして、その中で聖霊となられた主が十字架 につけられることが描かれているのです。
 
そして、この終末の日に主の十字架が再現 するゆえ、神の怒りが背教の教会に対して燃 え上がるのです。それゆえ、教会は獣の国と の戦争に対抗することも勝利を得ることもで きず、逆に徹底的な敗北をするようになるの です。かつての背教のユダヤ人たちがローマ との戦争に勝つことはできず、逆に徹底的な 敗北を喫したようにです。終末の背教の教会 も獣の国との戦争に勝つことはできなくなる のです。その敗北は、教会の背教のゆえであ り、さらに主を再び十字架で殺し、さらに2 人の預言者をも殺すからなのです。終末の日 の教会の敗北には理由があるのです。
 
<仮庵に入ること>
 
このような日、背教の教会が冒涜的になり、 反キリストさえ拝むようになったとき、私た ちはどうすれば、よいのでしょうか?以下の 箇所がその答えと思われます。(マタイ 24:15~18)
 
この箇所を見ていきましょう。
 
マタイ 24:15 それゆえ、預言者ダニエルによ って語られたあの『荒らす憎むべき者』が、 聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよ く読み取るように。)
 
24:16 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ 逃げなさい。
 
ここでは、教会が背教した日に正しいクリ スチャンはどのように対応すればよいのかを 語っています。“荒らす憎むべき者』が、聖 なる所に立つ”とは教会が背教し、全面的に キリストを追い出し、反キリストを自分たち の神として迎え入れる日のことです。その時 に関して、主は「山へ逃げなさい。」との警 告を与えています。これは、以下のロトへの 警告と同じことばです。
 
創世記19:17 彼らを外のほうに連れ出したと き、そのひとりは言った。「いのちがけで逃 げなさい。うしろを振り返ってはいけない。 この低地のどこででも立ち止まってはならな い。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされて しまう。」
 
ここでは、滅ぼされるべきソドムにとどま らないこと、そして、山へ逃げることがロト に勧められているのです。そして、これは、 終末の日においても同じです。私たちはソド ム化し、背教化した教会にとどまるべきでな いのです。そうでないとともに滅ぼされるか らです。そうではなく、背教の教会を出て逃 げるべきなのです。
 
24:17 屋上にいる者は家の中の物を持ち出そ うと下に降りてはいけません。
 
屋上ということばは、以下の屋根の上という 言葉と同じです。
 
ネヘミヤ8:16 そこで、民は出て行って、それを持って帰り、それぞれ自分の家の屋根の上 や、庭の中、または、神の宮の庭や、水の門 の広場、エフライムの門の広場などに、自分 たちのために仮庵を作った。
 
このネヘミヤ書では、仮庵を屋上(家の 上)に造ることが語られています。仮庵は、 地下教会のたとえです。ですので、主のいわ れた、「屋上にいる者は家の中の物を持ち出 そうと下に降りてはいけません。」とのこと ばの意味合いはこうです。地下教会に入った ものは、背教した公の教会に戻るなとの警告 です。家の中、すなわち、公の教会でどれほ ど、良い収入があろうと、良い人間関係があ ろうとそれを惜しんで戻ってはいけない、と いう警告なのです。
 
 24:18 畑にいる者は着物を取りに戻ってはい けません。
 
畑にいて働く者、すなわちみことばの種を 蒔くものも家に戻らない、背教の教会に戻ら ないことが勧められています。ですので、こ こで主はたとえを通して繰り返して背教の教 会へ戻らないこと、むしろ地下教会にとどま ることを語っていることを知りましょう。 かつての日、AD70年のエルサレム攻撃の日に おいても、この主の警告を聞き、背教のエル サレムを出て、山へ逃げたクリスチャンは命 を救いました。同じ警告が我々にも与えられ ていることを知りましょう。
 
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