午後、自転車に乗って図書館へ。 なんかいい出会い(いい本)がないか、と思いつつ、普段はあまり行かない棚の前に立ってみると、古書店主の関口良雄が書いた『昔日の客』が目に付いた。岡崎武志があちらこちらの雑誌でこの本との関わりについて書いていた
今月買い替えた石油ファンヒーターの製造元がコロナという会社で、毎日、新型コロナウイルスのニュースが報じられているため、不憫に思っていたところ、大阪の「コロナホテル」がmixiニュースで取り上げられていた。https://news.mixi.jp/view_news.pl?medi
朝ごはんを食べたあと、パソコン部屋でメールやmixiをチェックしていると昨日までと一変、気温が真冬の低さだ。早々にパソコンの電源を落として、ガソリンスタンドへ灯油を買いに行くことにした。備蓄はまだあるものの、こういう時は潤沢に灯油があると安心
珈琲と紅茶は控える、という医師の勧めがあるものの、珈琲についてはやめられない。なので、量を減らすことと、飲む前に少量の水かハーブティーを飲むようにしている。 昨夜、YouTube動画でこだわりの珈琲店店主が配信しているドリップ珈琲の科学的極意を
1週間前の天気予報ではこの土日、西日本東日本ともぐずついた天気だと言っていたのだが、今日は晴れた。これならサンライズ出雲で旅に出られた(^^)//゙゙゙。それはともかく、布団を干し、念入りにトイレの掃除をし、床をざっくりワックス掛けとコマネズミのよ
昨日とは一転、今日は暖かい。雨の心配もなさそうだ。 詩人の遺した資料を整理しながら同時に読んでいこう、と昨日まで計画していたのだが、陽光が窓から射し込んでくると、何が何でも外出したくなった。2、3のメールを書いたのちに机から離れ、昼ごはんを
小さなしあわせ感ふたつ。 いただいた寒中見舞いに返信している最中、水性ボールペンのインクが切れた。何本ものボールペンを平行して使っているし、ペン先がインクで固まって書けなくなることもままあるので、こうして完全に使い切るというのは2年に1度あ
昨日、JR「みどりの窓口」から帰宅したあと、アニエスbのリュックを取り出して丸洗いした。アディダスの白いハイカットのスニーカーも洗った。今週旅に出ることを断念したものの未練がましい気持が残り、少しの準備をしたくなった。 リュックは帆布のよう
不思議なことに今年の年賀状は1枚も当たらなかった。確率的には3枚の切手シートだったのに。こういう経験は年賀状が30枚を超えた年から初めてかもしれない。 昼イチに一枚礼状を書いて然る後、郵便局へ行った。ポストの脇には記念切手シートを売るテントブ
先週土曜日の朝日新聞別刷り「be」で小池真理子さんが学生時代を振り返って「みんな貧乏自慢をしていて、押し入れさえない3畳の間借り部屋に住む友人には負けたと思った」というようなことを書いていた。同世代なので共感できた。私は約6畳の部屋に申し訳程
今朝は5時50分に起床。身体に埋め込まれた管(ステント)の抜去で一日入院することになっている。病院での受付時間は午前7時半。なんでこんなに早い時間? と以前の私なら承服しかねそうだが、この2週間あまり、ステントによるつらさが先立っていたので、
朝ごはんを食べ終わって1時間後、近所のガソリンスタンドへ灯油を買いに行った。往きは冷え冷えとした曇天だったのに、帰りには陽が射し始めた。一日一回、闘病中の友人にメールを送る、ないしは先方から届く。今日は機先を制して「灯油を買いに行って手持
風呂に浸かりながら夕刊を読んでいて、つい笑ってしまった。 それは新年歌会始の記事で、秋篠宮家の眞子さんの歌(今年の題は「望」)。望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな 見上げた夜空に浮かぶ月。月にはウサギが棲んでいると思う心をいつ
退院後に赤のコート型ジャンパーを買った。 部屋の隅っこには子ども部屋にあるようなコート掛けがあって、そこにダウンジャケットやダウンベストなどを吊り下げているのだが、ジャンパーを見るたび、旅に出たくなる。 昨夜はYouTubeで寝台特急出雲&瀬戸
昨日は3連休の3日目。通常の3連休だと観光客数は2日目から半減するのだが、意外と人出が多い感じだった。午後3時にラズリを連れて散歩に出て、駅近くの寺に行くと、蝋梅がわずか一輪だが咲いていた。蝋梅は一日にして成らず。 で、ハプニングはその3分後に
午前11時、やや重い腰を上げてマーマレード作りを始めた。ご近所さんから夏みかん10個をもらったのだが、全部は食べきれない。先祖返りをした夏みかんか、と思うほどに酸っぱく、しかし砂糖を掛けて食べるのも不健康な色合いなので気が退ける。 3個の夏み
朝9時半、NTT電話が鳴ったので、出てみたら叔母からだった。年賀状に年末は入院してました、などと近況を書いたので、心配になって電話をしてくれたようだった。 父母の世代で唯一、生きているのがこの叔母で85歳。亡くなった父とは14歳離れている末娘だ
小学校6年の正月10日まで、実家は毎年、十日戎(えべっさん)に詣でるのが慣わしだった。父はメーカー勤務のサラリーマンなので「商売繁盛、笹持ってこい」を掲げるえべっさんに信心があるあけでもなく、御利益を願う気持も薄かっただろう。それでも私たち
午後3時、ラズリと散歩だ。あまり長距離を歩きたくないので、うちから500メートルほど離れた小さなお寺へ。ラズリはいつもお腹を空かせていて道草を食むのが趣味なので、へんなものを食わないようにと、私はいつも下向きでラズリの背を見ながら歩いている。
毎年のことながら、ご近所さんから夏みかんをいただいた。今年の夏みかんはいつも以上に酸っぱいので入浴剤代わりにでもしてください、とのこと。酸っぱいもの好きなので、普通に皮を剝いて砂糖も当然掛けずに食べてみると、口全体に痺れが広がるほど
昨夜、『あの日、あの味〜「食の記憶」でたどる昭和史』(月刊望星編)を読み始めた。66人の著名人・文化人が思い出深い食について綴ったエッセイ集で、ほぼ年代順に再構成されている。昨日は昭和元年から20年までの「食うことが大変な時代」を振り返った15
退院後の診察は1月11日予定だったが、我慢できず、病院の正月休みが明けた本日朝8時半、病院に行くべく電車に乗った。土曜日ということもあって、座ることができた。 受付は午前9時から正午までなのに、既に待合室は満席状態。これならもっとゆっくり家
1月3日。 まだ年賀状を書いている。 午後3時にラズリと20分ほど散歩したあと、先月にブックオフで買った黒井千次著『高く手を振る日』を一気に読んだ。 ★ ★人生の行き止りを意識するようになった浩平は、雪の日に一度だけ接吻を交わしたこと
昨夜は参った。術後の痛みが戻って来て、ベッドの上で七転八倒状態だった。 年末の夜、私もよく知っている友人の友人が癌の化学療法による苦痛から、かかっている病院に電話するも、「ただ今、急患が多くてあなたの治療まで手が回らない」と断れたことを思
昨夜午後11時50分、石油ファンヒーターの換気がてら南と西それぞれの窓を開けた。 あちらこちらの方角から除夜の鐘が聞こえてくる。空を見上げると満天の星で、南より少し西にオリオン座が見えた。しばし考える人のふりをする。が、何も考えていなかった。