著者の原稿を編集者はどこまで忠実に受け取って載せるべきか。当たり前のことながら一つの答えがあるわけではない。
この14カ月、ずっとこの難問を抱えながら翻刻してきた。
詩人は高村光太郎に5年間に亘って250余通の書簡を送った。今で言うところのストーカーだ。その手紙の一部が残っていて、既に本の巻末に掲載されている。
その原文が山梨県立文学館に遺されていた。原文を忠実に翻刻してみたら、掲載された手紙とかなり大きな隔たりがあった。一部は書き換えられているし、駄文と言えるところは削除されていた。
原文と掲載文を比較すると、当然のことながら後者はブラッシュ・アップされている。
今日、この光太郎宛の手紙を翻刻・校正しながら、自分はこの手紙文をどう扱ったらいいのかずっと迷い苦しんでいた。優柔不断な性格ゆえ、考えても考えても結論が下せないのだ。
午後3時から「九条の会」の定例会があるので、30分前に家を出た。途中、一軒の本屋に寄って5分間の滞在。お目当ての本はなく、何も買わずに会議室へ。
午後5時前に定例会は終わって、今度は別の書店へ寄る。
『田舎暮らし毒本』はあった。
帰り道、お寺の境内を通るコースを選んだ。季節を問わず花を楽しめるお寺だ。10日前はまだムラサキシキブの実は薄い紫色だった。が、今夕、紫色はずいぶんと濃く深くなっていた。季節の移りゆく様がよく分かる。
今年は残り100日余り。たっぷり時間があるとは言えない時期になった。
焦る気持ちが強まるばかり。
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