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2021年01月06日20:09

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成人式に寄せて

 成人式について、各自治体で開催するかしないかの判断が分かれている。近年(?)は成人式に、美容院や貸衣装屋がからみ、イベント産業になっているようだが、いつから「一生に一度の記念日だから」という理屈が通るようになったのだろうか。
 昨夜遅い時間、小田嶋隆のTwitterを読んでいたら、こんなツイートをしていた。
  ★   ★
オレが生まれ育った東京の場末の話をすれば、成人式は、少なくとも40数年前(←オレが当事者だった時代)からすでにヤンキー(つまり地付きの反学歴主義的かつホモソーシャル的な、非行歴を武勇伝として語り勝ちな連中)のための絆確認の式典だった。だから大学生は行かなかったよ。
  ★   ★
 彼と私は同世代だが、東京ではそれなりにヤンキー界での一大イベントであったというようにも読み取れる。
 大学に入って私は住民票を移したのだが、成人式の案内が届いたかどうかさえ記憶にない。たとえ届いても行かないし……、そもそも大学の友人間で式典に出席した人間はいなかった(もしくは、口にするのも憚られるようなマイナー行事)。
 成人式に類するイベントとして、学校の入学式や卒業式(&謝恩会)というのも、いまや「一生に一度の記念イベント」になっていて、高校の卒業式以降、一度も出席していない身としては、なんだか世間一般が「不思議ちゃん」に思えてしまう。
 テレビのニュースは往々にして大袈裟なものだが、レンタル着物業者がうん百万円の利益が飛んだ、みたいな報道に接すると、記念式典が資本主義に於けるかっこうの餌食になっている滑稽さを感じる。
 それが憲法の保証する基本的人権の享有や(第十条)、個人の尊重(第十三条)の高まりに比例して、個々人の尊厳が高まっているのなら喜ばしい歴史的進化であるが、明らかに1990年頃から自由も平等も退化している。言っちゃなんだが、昔は馬鹿でも、労働意欲が乏しい男でも、社会的能力が著しく欠ける者でも、5つか6つの入社試験なり面接なりを受けると、正社員になれた。いい例がこの私だ。3条件ともらくらくクリアしている。しかし、現在は100社にエントリーシートを出しても全部落ちた学生とか、40年前の私の初任給と大差ない薄給の正社員がいたりして、成人式に30万円もの大金を掛ける割に、思いっきりビンボー臭い世の中になってしまった。一生に一日の喜びより、一年365日、安定的な給料をもらうほうが千倍嬉しいのが人に優しい社会ではないか。

 今日はクルマの初乗り。と言っても、目的地は隣町の大型スーパーだ。神奈川県は感染拡大の一途なので、たぶん3連休前に大勢の人がスーパーへ押し寄せるはずだ。スーパーの「密」が怖いわけではないが、レジの大行列に並ぶのはいやや。
 午前11時半のスーパーは普段通りだった。駐車場もポツポツ空いていたし、周辺での渋滞もなかった。
 クルマの中は当たり前だけど暖かい。うちは木造住宅なので、暖房をしていても底冷えがしてくるのだが、小さなクルマ(世界で最小かも)だとものの3分で車内は22度になり、足元もぽかぽかと暖気を感じる。
 もう少し遠くのスーパーまで遠征すりゃよかったかな、とさえ思う。
 サブスクのdマガジン(雑誌読み放題サービス)で、面白そうな記事をアトランダムに読んでいると、笑える記事や寄稿がたくさんある。たとえば今日だと、「週刊SPA!」に連載している小林某のコミックでコロナ感染を恐れる国民を徹底的に嗤い、本人はコロナを警戒する世論やマスコミを論破している心づもりなのだが、小学校高学年の口が立つ男の子と同程度の幼稚さで、こういうレベルの人って生きるのがラクだろうなぁ、などと思ってしまう。ある意味、参考になる。
 もちろん、クズな寄稿や記事だけを選んで読んでいるのではなく、ためになる記事や向上心をかき立てられるインタビューもあれば、実用的な参考になる記事もある。こういう点ではテレビやラジオと同じだ。
 自身の処理能力が低下していることもあって、一日24時間では足りなくなってきた。あと3時間くらいは欲しい。すなわち10から20パーセントくらい、IQが落ちてきたのだろう。
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