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2020年08月27日21:31

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讃岐うどん歴50年を超える

 昨日、日記を書き終えたあとに夕刊を読む。
 不定期連載(?)の考証「時代の栞」で、1993年刊の『恐るべきさぬきうどん』が取り上げられていた。香川県のソールフード・讃岐うどんが全国区となった嚆矢的存在だ。
 ニフティーサーブはパソコンユーザーにあって既に隆盛を極めていたが、まだネットがなかった時代。当時、讃岐うどんの存在くらいは知られていただろうが、大半の日本人にあってはローカルなうどん、くらいの認識だった。
 中学の入学1週間前に高松へ家族揃って越した。まもなく本場の讃岐うどんを食べることになった。50年以上前のことだ。
 高校に入ると、学食があった。メニューは日替わりランチ100円ときつねうどん(4枚綴り100円)の2種類だけ。うどん一杯25円で、当時の物価からしても安い食事だった。ちなみに校門前にあった中華料理店では中華そばが80円くらい。学校の不良どもはお金があると閉じられた校門を乗り越え中華そばを食べに行ったものだ。
 学食のきつねうどんでさえ、讃岐うどんだった。香川の人は毎日うどんを食べる、と茶化されているが、それは事実である。食べ盛りの自分でさえ、週に3杯か4杯は食べていた。学食のうどんはただみたいな値段だし、繁華街の老舗に行っても「セルフ」の別店舗だと天ぷら(香川県ではさつま揚げを天ぷらと称す)と素うどんで120円くらいだった。
 1998年くらいまでは、地方の美味しいB級グルメを知るにはガイドブックや食に特化した書籍、そしてきわめて少ないテレビの情報番組くらいしかなかった。いまはちょっと美味しい食べものがあると、光の速さで全国津々浦々に知れわたる。
「時代の栞」は次回、「大学受験講座」との予告。
 旺文社の「大学受験講座」(ラジオ)は、懶惰な自分にとって唯一とも言える生活習慣で、2年間1日も欠かさず聴いていた。長期の休みごとに旅行へ行っていたのだが、そんな時でさえテキストは取りあえず旅行カバンに入れ、車中で問題を解いていたくらいだった。
 どのような記事になるのだろう。私はいまだに各教科の講師の名前を言うことができる。
 夜10時半から靖国合祀拒否遺族を描く田中伸尚編著『これに増す悲しきことの何かあらん』を1時間、『買春する帝国』を1時間読んで寝た。
 前者について、もし自分が南の島で戦死というより餓死し、遺骨のあるなしにかかわらず靖国に合祀されたとしたらと想像力を働かせたら、自分は死んだら無になると思っているにもかかわらず、胸くそ悪い。安倍とネトウヨが眠る墓地に自分が埋葬される、なんて考えると虫酸が走る。
<「国難にあたり、身を挺して殉ぜられたかたがた」とありますが、叔父についてこういう言い方はないです。これはウソだというか、違います。国難と言いますが引き起こしたのは天皇を頂点とする大日本帝国です。身を挺して、と言われたって徴兵されているわけですから、抗命するなんて許されていないわけです。選びしろがなくて死んだんです>(国を提訴した遺族のお一人)。
 後者は読むのにあと3日はかかりそう。

 本日は不調なり。
 朝、詩人をよく知る人物から長文のメールを受け取る。
 端的に言うと、「無茶なことはやめろ」というアドバイスだった。気遣かっているのか、からかっているのか? 両方か。
 返事をすぐに書いた。
 最後の行で、「私は自分の原点に戻りたい、子どもに返りたい」と幼稚な宣言をして絞めた。
 頭が働かないので、ここまでの打ち込みをすべてプリントアウトした。A4用紙で70枚ほどになった。
 打ったら打ちっぱなしの状態だから、この辺でいったん、校正がてら読み直してみよう。
 やはり紙の印刷物のほうが読みやすい、というか頭に入りやすい。
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