昨夜、髪を洗うシャンプーが切れたので、購入してあった詰め替え用シャンプーを容器に移した。それから普段通り、夕刊を持って浴槽に浸かり、20分くらいぬる湯を楽しんだあと、シャンプーが入っていたビニールに水を15ccくらい入れ、ビニールを揉んでほどよく溶け出したシャンプーを使って洗髪した。
こういう貧乏くさいことを書こうと思ったのは、小田嶋隆が昨日の深夜にTwitterでこんなことをつぶやいていたから。
<本を一冊書き上げるためにはなによりもまず根気が必要で、その根気を下支えするためには、適度な貧乏(貧し過ぎると気力が湧かないし、富裕だとバカバカしくて文章なんか書けない)が不可欠だったりします。そういう意味で、才能があっても貧乏が足りてない人間はライターになれません。>
必ずしも真なりではないが、適度な貧乏というのは根気のみならず小さな努力を要求してくれるもので、とりわけストイックな生き方に憧憬を抱く者にとっては面白い。お金が無尽蔵にある人は適度な貧乏人より生きるのが10倍楽しい、とはならない。横浜の街をほっつき歩いて、これ以上歩くのは限界というところで飲む「ドトール」のブレンドは、仕事に倦んで「椿屋」(銀座)に立ち寄り一杯千円のサイフォン珈琲を心ここにあらずの状態で飲むより美味しかったりするものだ。
今日は『孤独の愉しみ方 森の生活者ソローの叡智』というソローの本から箴言を集めた本を棚から引っぱり出して読んでいた。1845年、ウォールデン湖の畔で、小屋を建てて自給自足の生活をしたシンプルライフの元祖とでも言うべき思想家、行動家。誰よりも働くことが好きで、しかも誰よりも賃労働を嫌った変人。
学生時代に読んでもっとも感じ入った本は……、インテリに語るときはマルクスの名を挙げて『ドイツ・イデオロギー』や『経済学・哲学手稿』の書名を出すものの、ちらっとソローの『森の生活』を想い浮かべることが多い。私が研究している詩人はソローの影響を、まるで波にさらわれるようにどっぷりと浸かり、大学の卒業をあと3カ月に控えたところで中退して、山に籠もった。
私は世俗的な貧乏がいやさに、ただ夢想するだけだった。まさか昭和の初期に実行する青年がいるとは!
今日はこんな一日、こんな懺悔。
ログインしてコメントを確認・投稿する