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2019年09月17日20:56

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奥本大三郎「シウマイ弁当礼賛」

 返却本があるのでやむなく図書館に行き、偶然、「お」の棚で奥本大三郎先生の『マルセイユの海鞘(ほや)』というエッセイ集を見つけた。そもそも、著者別文芸棚の「お」をくまなく見た訳は大佛次郎の『帰郷』という小説を探すためで、なぜ今になって大佛次郎の本を読みたくなったかと言うと、戦争中にひどい暴力を振るわれた上官に「お礼参り」をする、という場面が出て来るらしいからだった。
 一昨日、YouTubeで「死刑になった学徒兵の法要に訪れた無罪の上官」というドキュメントを見たあと、戦場で階級の下の兵士に暴力的な私刑をやりまくった上官が戦後、元兵士たちからフルボッコを受けなかったのだろうか、という素朴な疑問を持った。自分に引き付けて考えると、「俺ならやりかねないな」と思う。
 中学の卒業式が終わったあと職員室に行って、体育教員の谷本に食ってかかった。谷本は軍事教練上がりの教師で、なにかというと「連帯責任」で生徒に校庭5周を走らせたり、自分が部長の陸上部を退部した生徒に対して依怙贔屓の反対で殴りつけるような体罰を下す、というようなゲス男だった。退部した生徒は心優しき男で、私はかねがね彼に好感を抱いていたので、余計に腹立たしく、できることなら卒業したあと谷本を膝でも腕でもへし折ってやりたいと考えていたのだった。暴力沙汰を起こして鑑別所に行くのがイヤさに思い留まったのだが、今でも自分の器の小ささを恥じるところがある。谷本のようなゲスに教師の資格なんてないのだから、少々手荒な真似をしてもよかったのだ。
 で、大佛次郎の『帰郷』は閉架本だった(苦笑)。探している途中で奥本先生のエッセイ集が見つかったので満足してしまい、『帰郷』は借りずじまい。他に池内紀さんの本を1冊借りて帰宅した。
 収録されたエッセイで「崎陽軒のシウマイ弁当礼賛」というのがあった。

<横浜の大学に勤め始めた二十代の終わり頃から、しばらくずーっと、私はこの弁当を食べてきた。我が三十代、四十代は、この弁当と共にあった、と言いたいぐらい。
 私はその頃も遅寝遅起き、宵っ張りの朝寝坊であるから、早起きはつらい。横浜の不便な山の上にある大学で、朝八時半から始まる一時間目の授業となると死に物狂いである。
 早く寝ようとすればするほど寝つけないので、ほんの数時間の睡眠で六時には家を出る。横浜駅に着いて空腹を覚え、何か食い物を、と探す時、見つかるのはこのシウマイ弁当であった。それを買ってバスに乗り、学校の控え室で弁当の紐をほどく。
 (中略)
 カラシ醤油をつけてたべるシウマイは無論美味しいが、鮪の煮付けが、適当に弾力があってこんなに旨いものだとは、これを食うまで知らなかったし、メンマの風味と歯触り、小さな鶏の唐揚げ、細切りの大根の漬物、塩昆布、ほかほかと上手に炊けた御飯、最後に食う干し杏まで、弁当の傑作として賞味してきた。どこに何が配置されているか、まさに掌(たなごころ)を指すごとく心得ている故、目をつぶって食べることが出来たし、今もこのように書くことが出来る>

 そっかー、その場で我々に言ってくれたらよかったのに。
 たとえば。
「1時間目となっているけど、5時間目に変更しないか? 俺は朝が弱いんだ」とか。
 私はまさにその1時間目の講義を受けていて、しかも語学は出欠をとる。5割以上の出席がないと試験が受けられない、という厳しい措置があった。
 そもそも奥本先生の講義はスタンダールの『パルムの僧院』をテキストに使っていて、êtreの活用も分かっていない学生に向いて、その時々で過去だ半過去だという仏文法を教えつつもスタンダールのフランス語を理解しろと言っても無理な話だ。先生は時々、学生に指をさして「和訳してごらん」と言い、間違った答えだと、「ふん」と鼻を鳴らしてうんざり顔になる。ある時など、「予習ひとつしてこない学生相手に講義するのは馬鹿らしい」と言ったことさえある。覚えてますか、センセー(笑)?
 が、落ちこぼれ学生と同様、先生も睡眠不足でいやいや講義棟にいるのだ、と知れば、先生の不愉快さはよくわかる。
 ちなみに成績表を見てみたら、「フランス語初級 可 可」とあった。前期も可、後期も可、ということだろう。「良」と「優」の学生はいたんだろうか?
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