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2020年01月20日09:46

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ミヤコグサからの老人性妄想(1)

(ミヤコグサ(エボシグサ)の続き)
 ミヤコグサとセイヨウミヤコグサがタンポポとセイヨウタンポポの関係によく似ていると既に述べたが、その辺の関係が妙に気になってしまったのである。一応既述のものを再録しておこう。

 私が湾岸地域で初めて見たミヤコグサの群生は2m四方の小さなものだった。ミヤコグサは日本の各地から中国・台湾・ヒマラヤにも生育する多年生草本。路傍や荒れ地に生育していて、花期は長く、春と秋に数多く花を開く。冬の今でも花をつけている。近寄ってみると、つるりとした花は形も色もとても美しい(画像)。
 ガクに毛があるものはミヤコグサと同科同属でも、ヨーロッパ原産のセイヨウミヤコグサ。私が見つけたものがそのいずれかを判別するのに少々時間がかかったが、ガクに毛がなく、ミヤコグサだった。ミヤコグサとセイヨウミヤコグサの関係はタンポポとセイヨウタンポポの関係に似ていて、知らない間に在来種と外来種が身近な環境下で入れ替わっている。そこで、そのミヤコグサのルーツを辿ると、ミヤコグサ自体も遥か昔に農耕作物と共に移入した史前帰化植物(前川文夫が提唱した概念で、有史前後(3世紀前後)に日本に帰化した植物)だった。

 在来種は元々その地域にいたものだが、固有種は在来種のうち、そこにしかいものを指している。この二つの違いはわかりやすい。帰化種はその地域で定着に成功した外来種。在来種は人為的な事柄が大きく影響する外来種(外来生物)や帰化種、栽培品種(園芸品種)などの対義語とされることが多く、何を在来種と呼ぶかはそれらの定義に依存し、それゆえ、「在来」という語の地域や時間の範囲は定まっていない。国際自然保護連合(IUCN)は在来種を自然に占有している生息域内に存在するもの、あるいは人間による直接的、間接的な導入、あるいは世話などがなくても存在できる可能性のあるものとしている。これは自生種、野生種と呼んでもいい。また、 一般的には明治期以前から生息している種に対して使われることが多い。こうなると、在来種は遥か昔に帰化した種であってもよいことになる。「在来」とは何かはとても相対的であり、「江戸っ子」の定義が相対的であることはその例の一つである。
 つまり、動植物の区別で用いられる「在来種」、「外来種」に明確な線引きはなく、便宜的に次のように分類されてきたようである。「在来種」は、従来からその地域に棲息・生育する動植物の品種や系統を指す。「外来種」は、元々その地域に棲息・生育しておらず、人為的に持ち込まれた動植物の品種や系統を指す。それは、意図的に導入されたかどうかに関係なく、人間の活動によって直接的・間接的に自然分布域外に移動した種で、移入種や侵入種、帰化種と呼んでもいいだろう。「外来種」の中でも、生態系や人間の生活に多大な影響を及ぼすようなものは特に「侵略的外来種」と呼ばれる。日本で「在来種」とされるカブトムシ、金魚、タヌキ、ワカメなどが日本国外において「侵略的外来種」に分類されることも多い。
 セイタカアワダチソウ、セイヨウタンポポなどは「帰化植物」と呼ばれるが、既述のごとく、帰化植物は(意図の有無に関わらず)人の手によって外国から日本にもたらされ、野生化した植物のこと。明治維新前後以降に日本に入り、野生化したものだが、ヨーロッパ諸国との交流が始まった安土・桃山時代以後に入ってきたのものも帰化植物と呼ぶ場合がある。いずれにせよ、帰化植物として扱われる植物は「いつ頃入ってきたのか」という情報が、過去の記録として残っているもの。では、記録が残るより前に人の手により入ってきた植物、つまり帰化植物としての記録がない帰化植物はないのか。
 そこで出てきたのが史前帰化植物で、これは前川文夫によって1943年の論文において提唱されたもの(前川文夫「史前帰化植物について」、『植物分類地理』13、274−279、1943)。前川は史前帰化植物を大きく三つのグループに分けている。最初はヨーロッパなど大陸に分布し、越年生草本や春に開花する多年生草本であるもの(スイバ、ナズナ、グンバイナズナ、カタバミ、オオバコ、ハハコグサ)。これらは、有史(日本は3世紀頃)初期に日本人が大陸文化と接触した際、中国大陸から入ってきたと考えられる。次は南方にも分布し、一年生草本や夏〜秋に開花する多年生草本であるもの。アキノノゲシ、エノコログサ、コナギなど。これらは、有史以前の稲作伝来と共に入ってきたと考えられる。三つ目が中国大陸に分布し、多年生草本であるもの。ツルボ、ヒガンバナなど。これらは大陸から芋類などの運搬時に混入したと考えられる。史前帰化植物というアイデアは、前川が第二次世界大戦中に兵士として中国大陸にいるときに、現地の植生を見たのがきっかけとなっている。史前帰化植物として挙げた種が農耕地周辺では生育しているのに、自然植生の中には生育が見られないことがこの説の根拠の一つとなっている。
 昔から馴染のある日本の植物は在来種ではなく、外来種が意外に多い。古くから親しまれてきた外来植物を渡来時期順に挙げてみよう。
(1)桃は縄文時代前期の史前帰化植物。弥生時代の遺跡から種子が見つかり、弥生時代に日本に渡来したと考えられていたが、近年、長崎県の多良見町にある伊木力遺跡から桃核が出土し、縄文時代前期には日本に伝来したことがわかった。
(2)彼岸花は弥生時代以前の史前帰化植物。具体的な渡来時期や経路はわかっていない。稲作と共に中国からもたらされたとも云われ、田んぼのあぜ道などに植えられていた。その毒性を利用してモグラなどに田畑を荒らされるのを防ぐためだったらしい。
(3)梅は飛鳥、奈良時代にかけて遣唐使によって中国大陸から日本に伝来したらしい。食用、観賞、薬、など様々な形で親しまれてきた。
(4)牡丹は奈良時代(724年)に空海により中国から渡来した。『枕草子』によると8世紀には栽培されているようだが、もともとは薬用として栽培されており、観賞用に広く栽培されるようなったのは元禄時代になってから。
(5)朝顔は奈良時代末期に遣唐使によって中国から種が伝来。朝顔の種には下痢になる成分を含んでおり、奈良時代から平安時代に掛けて薬用として使用された。江戸時代に観賞用として園芸種がたくさん栽培されるようになった。
(6)菊は日本の国花だが、日本の固有種ではなく、平安時代前期に中国から日本に渡来した。鎌倉時代、後鳥羽上皇が菊の花を天皇家の家紋としたことから日本を象徴する花となった。栽培が活発になったのは江戸時代前期で、沢山の品種が生まれた。
 この他にも、蓮、水仙、向日葵、秋桜が外来種であることがわかっている。
 このように見てくると、在来種、外来種、固有種、帰化種などの定義は相対的であり、本来のもの、派生的なものなどの区別は曖昧であることがわかる。このような区別は無害なものに見えるのだが、動植物ではなく人間の場合になると、すっかり様相は変わり、しばしば差別と呼ばれることになる。試みに、次のような語彙について考えて見てほしい。どれも議論が尽きない事柄で、定義など曖昧そのものの語彙である。

人口問題、移民、移住、日本と妙高(国家と地方)、万世一系、固有種(の弱さ)

 日本が移民を大幅に認め、それを具体化するとなれば、まず解決すると思われるのは人口減少問題ではないか。イギリスのEU離脱の理由の一つが移民問題と言われるが、上述の外来の動植物に関する記述から推測できるのは、帰化植物の強さであり、移民は在来の人々と共により強い子孫を生み出すことはほぼ確かなように見える。移民に対する根強いアレルギーがあっても、国内での移住については誰も反対などしない。移民と移住は概念的には共通なものが多いにもかかわらず、大抵の人は移民と移住は大違いと考えている。その違いの理由は「国の存在」である。国民と県民の概念的な違いは歴史的、文化的なものに過ぎないのだが、それが人の本質にかかわるかのように思われ、論じられてきた。
 日本への移民と妙高への移住を同じ枠組みで考えてみると、議論は随分と変わってくるのではないか。移民と移住を共通の視点、観点から議論するとどうなるか、私にはとても興味深いのである。環境を妙高ではなく、東京、新潟と置き換えてもよい。それによって、議論の内容やターゲットが変わり、結局はそれらが環境(地域)相対的なものであることがわかるのではないか。
 日本が一つの民族からなっていたという麻生さんの最近の失言は万世一系の天皇家も含まれていた。今話題になっているイギリス王室のヘンリー王子の結婚相手は外国人で、元女優である。そのような婚姻は日本の天皇家で認められているだろうか。普通の日本国民なら婚姻の自由があるし、離婚も自由なのだが、それと同じことが天皇家にも適用されるのか。多民族からなり、他民族が入ることが許される国や社会が動植物の自然の生態に近いのに対し、万世一系は不自然な存続形態であり、その持続可能性は極めて低い。純粋な民族は幻想でしかなく、多くの人々が自由に交流し、帰化する個体の効果によって集団がより強くなることは生物レベルであれば自明この上ないことなのである。となれば、「よそ者」こそが身内だけの純粋な集団を強くし、持続可能にするということになる。
 さて、このような一連の乱暴な議論は慎重に扱わなければならないのは当然のことで、まずは読者への刺激になれば十分というのが最初の老人性妄想である。

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