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2019年01月27日16:05

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記憶の忘却:記述、説明、それとも解釈

A
 想起される記憶はその主体が作者の如くに編集し、脚色するのだが、次のような特徴をもっている。
・物語の細部や、馴染みの薄い事柄などは省略される
・つじつまの合わない事柄は、情報が加えられ合理的な説明がされる
・物語のある部分が強調されて、中心的な位置を占めるようになる
・馴染みの薄い言葉は、馴染みのある言葉に変えられる
・出来事の順序が、辻褄が合うように入れ替えられる
・物語への実験参加者の態度や情動が、再生に影響する

 変化する記憶の中で、なぜ私たちはそれを忘却するのか。その原因については次のような説がある。
記憶の減衰説
 実験参加者に物語を記憶させた後、一定の保持期間の後に再生テストを繰り返す反復再生法の実験が行われた。その実験結果は、物語の再生量は保持期間が長くなるほど減少することを示した。これは忘却の理由や原因というより、記憶が時間と共に減少するという事実をそのまま述べたものである。
記憶の干渉説
 実験参加者に意味のない10個の単語を完全に記憶させ、一定の時間睡眠をとった場合と睡眠をとらない場合の忘却の程度を比較する実験が行われた。その結果、睡眠をとらない場合の方が睡眠をとった場合よりも忘却が早く進行することがわかった。この結果から、覚醒時の方が睡眠時よりも多くの情報を取り入れるため、より多くの干渉が生じたと考えられた。つまり、忘却は時間経過によって減衰するのではなく、他の情報との干渉によって進行するというのが干渉説である。干渉には二種類あり、ある事柄についての記憶が、それ以前に経験した記憶によって干渉を受けることが順向抑制、その後に経験した記憶によって干渉を受けることが逆向抑制である。
検索失敗説
 日常生活の中で、あるきっかけによって記憶が思い出されることがある。この事実から、忘却とは記憶が単に消去されるということではないと考えられ、様々な実験が行われた。単語を記憶させるときに、その単語のカテゴリーに属する単語を記銘材料とし、そのカテゴリー名を手がかりとして与えた場合と与えない場合での、単語の再生を比較する実験が行われている。この実験の結果、手がかりが与えられていない場合には再生できなかった単語でも、手がかりが与えられると再生できる場合があることが判明し、再生できないことが忘却ではないことが示されている。他の実験では、記銘時と再生時の実験参加者の情動状態や環境的文脈が異なる場合よりも、同じ場合のほうが再生成績が良くなることが明らかにされており、これは記憶の状態依存性と呼ばれている。

B
 記憶の学習、忘却について脳内でどのような生理過程があるのか。それはAのような記憶内容に関わることが一切ない物質的な過程についての記述になっている。記憶のレベル、記憶の表示、記憶の化学など、複雑な記憶の何に関する話なのか肝に銘じておく必要があるだろう。

 人間の脳では膨大な数の神経細胞がシナプスという結び目によって結合し、電気信号を次から次へ伝達している。シナプスでの信号伝達が長期間起きやすく、あるいは起きにくくなることが記憶する過程や忘却する過程で起こっていることであり、それぞれ「長期増強」、「長期抑圧」と呼ばれている。シナプスでの信号伝達は神経細胞の表面に存在しているAMPA受容体が担っており、長期増強や長期抑圧はAMPA受容体の数の増減によって起きると考えられている。だが、その分子メカニズムについては未解明の点が多い。記憶に重要な部位といわれる海馬の神経細胞を用いて、長期抑圧時にAMPA受容体がシナプスから取り除かれる最初のステップが明らかになった。長期抑圧は、記憶の忘却に不可欠の現象と考えられていることから、記憶の学習障害の解明に役立つと思われる。
 私たちの脳は神経細胞が互いに情報を伝達しあうことで機能している。神経細胞は軸策と樹状突起の二つの領域からなっている。神経細胞の軸策は次の神経細胞の樹状突起とシナプスと呼ばれる構造によって結合する。神経細胞が興奮すると軸索の終末部からグルタミン酸が放出され、このグルタミン酸を次の神経細胞の樹状突起に存在するグルタミン酸受容体という膜タンパク質が受け取ることによって信号を伝える。特に、AMPA 型グルタミン酸受容体(AMPA 受容体)が私たちの中枢神経系における速い神経伝達を担っている。グルタミン酸と AMPA 受容体による情報伝達の起きやすさは状況に応じて変化することが知られている。この現象が「シナプス可塑性」で、記憶・学習の基礎過程であると考えられている。近年の研究結果では、樹状突起においてAMPA受容体の数が変化することこそが、シナプス可塑性の分子レベルの姿であることがわかっている。例えば、シナプス可塑性の一つである長期抑圧(LTD; Long-Term Depression)は、樹状突起におけるAMPA 受容体の数が減少することによって、シナプスでの情報伝達の効率が長期的に低下する現象である。

C
(「なぜ」と「いかに」が求めるもの)
 例えば、熱力学は現象的な理論であると言われるが、その理由は熱力学が「いかに」という現象に関する問いには答えるが、「なぜ」という理由には答えないからである。一方、進化論が説明理論と言われるのは、「なぜ」という問いに答えることができるからである。機械論的な世界観は「なぜ」ではなく「いかに」に答えるメカニズムに基づくものであるが、目的論的世界観は「なぜ」を目標に読み替えることによって世界を解釈している。これらだけでも問いの形が私たちの理解の仕方を大きく左右していることがわかる。
 では、二つの問いの形、「なぜ」と「いかに」はどのような関係になっているのか。異なる理論解釈や世界観を生み出す重要な契機になっているのであるから、二つの問いの型の間には本質的な違いがあると考えたくなる。実際、「なぜ」と「いかに」は答の型だけでなく、それら問いの発せられる環境も全く異なっているようにみえる。異なる文脈に二つの問いは存在し、したがって、それらに対する答も触れ合うことがないようにみえる
 ここではこの常識的な見解について考え直してみよう。「なぜ」と「いかに」がなぜ異なるのか、そしていかに異なるのかは十分な説明が与えられているようには思われない。二つの問いの意味するところは程度の差に過ぎない面をもつという結論を導き出してみよう。
 二つの問い「なぜ」と「いかに」の関係をフィッシャーの性比を例に考えてみよう。彼の性比の説明は「なぜ」に答えているのか、それとも「いかに」に答えているのか。通常、彼の説明は「なぜ」の答であると考えられている。しかし、答えの僅かな変更によって「いかに」の答にもなり得る。彼の説明に細かな条件を加えることによって構造的なモデルから時間発展のモデルに変更できるからである。それは彼の説明の仕方を構造的なモデルと見るか、より具体的なシミュレーションと見るかの違いでもある。構造的モデルと見れば「なぜ」に答えるものとなり、シミュレーションと見れば「いかに」に答えるものとなる。
 原因は「なぜ」の答えになると述べた。この原因に時間発展の記述が加わると、「いかに」の記述が得られる。では、「なぜ」と「いかに」の説明の区別はこれだけの違いなのか。遠い、近いが程度の差であるように、「なぜ;遠い原因」と「いかに;近くの原因」の説明の間に本質的な違いは存在しない。
 実験レベルでは「なぜ」も「いかに」も共にないと実験そのものが遂行できない。この実験による検証の比較を一般化すると、「なぜ」の追求と「いかに」の追求の特徴が出てくる。「なぜ」の実験は遡及的に組まれ、「いかに」の実験は後続系列の指定という特徴をもっているが、その一般化は次のようになるだろう。「なぜ」は遡及的に問いかける系列として、次第に系列の項目がマクロ化していく。「いかに」は機能連関の因果的な展開の系列として、次第に系列の項目がミクロ化していく。このことは空間、時間のいずれに関しても成立する。確かに、私たちは自然主義的追求において「なぜ」は歴史的な遡及であり、「いかに」は機能の周期的な連関であると言う。それは一見自然な分類にみえても、歴史と周期の常識的な違いに依存しているだけである。
 歴史と起原が「なぜ」の一つの自然主義的解答であり、原子論とプログラムやメカニズムが「いかに」の別の自然主義の解答であるというのが二つの問いの違いである。この主張が出発点であった。確かに、このように特徴づければ、二つの問いの違いは明らかになるだろう。この特徴づけは、しかし、二つの問いの違いを大幅に減じるものである。それは氏と育ちの例を考えればよい。「なぜ」は氏によって説明し、「いかに」は育ちによって説明する。この分業は自然にみえる。遠い原因としての氏と、近い原因としての育ちという分業である。この分業の妥当性はどうも伝統だけに頼ってきたように思えてならない。歴史とプログラム、起原と原子論といった組み合わせは水と油の関係のように考えられてきた。だが、これらの組み合わせは矛盾する、両立し難い組み合わせではなく、むしろ極めて自然で、興味深い組み合わせであるように思われる。

*上記A、B、Cの三つの話について、それらをどのように組み合わせると、説得的な議論ができるだろうか。

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