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2019年01月23日08:02

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記憶の捏造とその検証(1)

 記憶の内容の真偽に対する哲学的な議論の横で、とても衝撃的な捏造記憶に関する事件が20世紀の最後に起こった。記憶の有無が政治の世界ではしばしば問題になるが、記憶の真偽とその検証の問題が社会問題として多くの人を巻き込むことになったのである。それを簡単に振り返ってみたい。
 心的外傷(psychological trauma、トラウマ)は、外的、内的な要因によって肉体的、また精神的な衝撃を受けたことによって、長い間それにとらわれてしまう状態を指している。トラウマが突如として記憶に蘇り、フラッシュバックするなど特定の症状を呈し、そこに持続的に著しい苦痛が伴えば、それが急性ストレス障害であり、1か月以上の持続によって、心的外傷後ストレス障害(PTSD)となる。心的な衝撃が心の不調の原因になるため、戦争や自然災害、交通事故などの被害者の後遺症PTSDとして研究が進められてきた。
 だが、これから述べるトラウマはPTSDとは異なっている。「トラウマ」という言葉を有名にしたのはアメリカの心理学者でラディカルなフェミニストでもあるジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復(Trauma and Recovery)』(1992、みすず書房、訳1999)だった。ハーマンはこの著作で幼少期のレイプなどの虐待が「抑圧された記憶」としてトラウマとなり、成人後も多くの女性を苦しめているのだと論じた。これが世界中で広く受け入れられた理由はその圧倒的なわかりやすさにあった。幼い頃に父親によって繰り返し性的虐待を受け、心に深い傷を負ったが、父親から口外しないよう厳しく言われ、その記憶は深く抑圧されてしまった。「傷」はいつまでも生々しく残り、それがうずくたびに精神的な混乱に襲われ、やがて社会生活が破綻してしまう。これは「人間は性的欲望を無意識に抑圧している」というフロイトの精神分析理論の焼き直しではないのか。そのためか、先進国の中では例外的に精神分析が大衆化しているアメリカでハーマンの「トラウマ」は大流行することになった。
 フェミニストであるハーマンは、幼少期のトラウマによって自責や自殺願望に苦しめられている女性たちを救うためには、「抑圧された記憶」を回復させることが必要と説いた。そのために有効だとされたのが催眠療法やグループ療法で、こうした「記憶回復術」によって、被害者は失われた記憶と共に「本当の自分」を取り戻すのである。ハーマンに主導されたトラウマ理論は、1980年代から90年代にかけてアメリカ社会に大混乱を引き起こした。記憶回復療法によって抑圧されたトラウマ体験を思い出した「被害者」が、「加害者」である親を訴え始めたのである。「トラウマ」がアメリカで大流行したのは、アメリカが迷信の残る伝統的な社会だからでもある。20世紀中葉のアメリカ人の多くは深く神を信仰していた。神の実在を強く信じる社会で素人同然の催眠療法家が記憶回復療法を行なった結果、次のようなことが次々に起こった。1980年に出版された『ミシェルは覚えている』では、催眠療法を受けてトランス状態だったときに抑圧されていた記憶が蘇ったとする30歳のカナダ人女性が、「幼児期に悪魔崇拝カルトによって性的虐待を受け、母親もそのカルトの一員だった」と告白し、センセーションを巻き起こした。この本が出版されてから約3年間で、託児所が悪魔崇拝カルトの一員で、預かった子どもたちに性的な虐待を行なっていたという訴訟が全米で100件以上起きている。
 さらに1988年に出版され、75万部を超えるベストセラーとなったエレン・バス、ローラ・デイビス共著の『生きる勇気と癒す力』では、「記憶が抑圧されている可能性が高い」チェックリストのほかに、「性的虐待を受けたという記憶が蘇ってから3年以内であれば訴訟を起こすことができ、和解金の範囲は2万ドルから10万ドル」という弁護士のコメントと、こうした訴訟を専門とする弁護士の連絡先リストが掲載されていた。1990年には、現職警官が悪魔崇拝で有罪を宣告されるという衝撃的な事件が起きた。熱心なクリスチャンで共和党地方本部の代表者でもあるポール・イングラムは、記憶回復療法を受けた娘のエリカから幼児虐待、性的虐待で妻と共に告発された。驚くべきことにアメリカの裁判所は物的証拠がないにもかかわらず、悪魔崇拝の罪で父親を有罪にした。極め付きは、物語仕立ての『広い場所』が1992年のピューリッツァー賞を受けたことだった。92年から94年の3年間に「蘇った記憶」の訴訟はピークに達し、年間に100件を超えるようになった。
 記憶回復療法が全米で大ブームを巻き起こすようになると、一部の専門家から疑問の声が出始めた。記憶の回復はどのようになされるのか、回復された記憶内容が正しいかどうか等について科学的な裏付けははっきりしていなかった。だが、当初彼らには「蘇った記憶」を支持する一派から「幼児と女性に対する犯罪を擁護する学者たち」としてヒステリックな抗議が浴びせられたのだ。とりわけ、記憶研究の大家でハーマンのトラウマ理論を厳しく批判したワシントン大学のエリザベス・ロスタフは「懐疑派」の筆頭とされ、一時は身辺警護のためにボディガードを雇わなければならないほどだった。ロスタフは1992年に「ショッピング・モールの迷子記憶実験」という有名な実験を行なって、ハーマンのトラウマ理論に決定的な打撃を与えた。ロスタフは、催眠療法は抑圧されていた記憶を取り戻すのではなく、記憶を捏造するのだと論じ、極めて簡単な方法で偽りの記憶を思い出させることができると実証してみせたのである。成人の被験者対し、親や兄が「お前が5歳のとき、ショッピングセンターで迷子になったことを覚えているか」と尋ねる。そんな事実はないのだから、被験者はもちろん「覚えていない」と答える。だが、「暑い日で、お前が泣き止んでからアイスクリームをいっしょに食べたよね」などと細部の物語を積み重ねられると、被験者はその体験を思い出そうと試み、暫くすると「そんなこともあったね」と言い出す。被験者は単に親や兄の言葉に同調しただけでなく、「あのアイスクリームはチョコレート味だった」などと出来事の細部を創作したりする。これは心理学的には、「ショッピングセンターで迷子になった」という(存在しない)過去の出来事を信頼している人から指摘されたにもかかわらず、自分にはその記憶がまったくないという矛盾(認知レベルでの不協和)を解決するために、脳が無意識のうちに都合のいい物語をつくり出したのだ、とロスタフは説明した。だが、被験者はこの創作、捏造の過程を、忘れていた子ども時代の記憶を思い出しているのだと体験する。この例のように、外部から偽りの記憶を埋め込むことは意外に簡単なのである。
 この「ショッピング・モールの迷子記憶実験」は、トラウマが幼児期の「原初体験」ではないことを示唆している。なんらかの理由で社会生活に失敗し、精神的に苦しんでいる女性がトラウマ理論を知ることによって、「この苦しさの原因は幼児期の性的虐待による」という「情報」に基づき、無意識のうちに自分に都合のいい物語を紡ぎ出した可能性が考えられる。ハーマンの本に影響を受けた素人セラピストたちはこの過程に介入することによって記憶の捏造を幇助し、その記憶の中で「加害者」となった親を訴えることによってその損害賠償金から分け前を受け取ろうとしたのである。
 ロスタフの研究につづき、認知心理学者たちが次々と「記憶はつくり出せる」という研究を発表したことで、アメリカ心理学会や精神医学会は「回復した記憶が真実か否かを判断する決定的な手段はない」と結論づけ、米国医師会はついに「蘇った記憶の信頼性は不確実であり、外部からの暗示に影響されている」との声明を発表した。これを受けて司法の方針も転換され、メリーランド州裁判所は96年に、ハーマンらの研究を取りあげ、「抑圧理論を証明しようとする研究は、まったく非科学的でバイアスがかかったものである」との判断を下した。その後、各地の裁判所が「蘇った記憶」による告発を却下するようになり、爆発的に増えつづけた訴訟は95年に55件、96年には20件と激減した。その後、幼児虐待などで有罪とされ懲役刑を科せられた被告の再審が始まることになる。
 カリフォルニア州のジョージ・フランクリンは娘のアイリーンから、20年前に父親が8歳の少女を鈍器で殴り殺した記憶が蘇ったとして告発され、殺人罪で有罪判決を受けた。7年間の投獄の後、逆転無罪を勝ち取ると、ジョージは娘と当時の検察官を告訴した。さらに、「偽りの記憶」を植えつけられた女性たちが、催眠療法家やセラピストに対して損害賠償を請求する医療過誤訴訟のラッシュが始まった。親への告訴を撤回してセラピストを批判するようになった患者はリトラクター(撤回者)と呼ばれるが、彼女たちは催眠療法やグループ療法によってデタラメな記憶を思い出すように強制され、家庭や社会生活を破壊されていく体験を生々しく証言した。
 このようにして1997年には「記憶戦争」にほぼ決着がつき、「トラウマ理論」はアメリカでも知識人や専門家から相手にされなくなった。そして2002年のアメリカ精神医学会の会議で記憶回復療法論争の終結が宣言された。では、この一連の記憶捏造事件からの教訓は一体何なのだろうか。次にそれを考えてみよう。

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