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2019年01月21日08:34

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脳は生存コンピューター、だから人は夢を見る

 最近は脳が関心の的になり、「脳死」などという言葉が普通の会話によく登場します。脳に対する私たちの興味や知識が深まり、脳は人の活動のすべてをコントロールし、私たちの日常生活は正常な脳に支えられているという理解が常識になっています。つまり、脳なくして、人なしなのです。
 記憶や情報処理、機能のコントロールといった脳の機能はよくコンピューターに例えられますが、夢を見る、感情をもつことはコンピューターにはありませんし、自らを評価したり、誇ったり、そして悩んだりということもコンピューターにはありません。さらに、私たちと間違いは切っても切れないものですが、私たちが間違えるのは私たちの脳が間違えるからです。コンピューターはプログラムが正しい限り間違えません。では、なぜ脳だけが間違えるのでしょうか。間違いの典型の一つとなれば錯視です。錯視の例は近年数多く考えられ、知覚心理学の面白さを存分に教えてくれています。なぜ人は錯覚するかと言えば、その方が現実の生活に便利だからです。実利の方が数学的正しさに優先するのです。でも、錯視を敢えてさせるような情報処理をコンピューターで実現するには複雑なプログラミングが必要になります。でも、脳はそれをこともなげに、無意識に実行しています。そのような脳の情報処理は、正に実生活に即したものなのです。
 私たちの脳はものを認識するときに経験する情報のすべてを記憶するのではなく、最低限の特徴を抽出して、アバウトな情報しか記録しないのです。なぜかと言えば、まず脳には記憶容量の限界があるため不必要な情報を減らしてできるだけ多くの情報を保持できるようにするためです。もっと重要な理由は、そうすることによって、似たような情報を同じ種類の情報として類系化して認識するという、とても高度な情報処理が可能になるからなのです。例えば、正面から写したペットの写真をコンピューターのように正確に認識すると、僅かに斜め横を向いただけで同じペットと認識されなくなってしまいます。その点、アバウトな情報、例えば輪郭とか目や鼻の位置関係とかを特徴として記憶しておけば多少横を向いても同じペットとして認識できます。
 要は、脳の情報処理はアバウトだということ。これは脳が単なる記憶装置ではなく、世界を認識し、生き残るための判断を行う高度な情報処理装置だからです。つまり、脳は単純な記憶装置ではなく、その情報をどう活用し、生き延びるかを考える装置なのです。人が生活するとは色んな経験を重ねることです。人はその度に情報を類系化して関連づけながら記憶していきます。この情報の集積、つまり記憶の塊を「マインドセット(心の枠組)」と呼びます。マインドセットは人それぞれの経験がつくり出すもので、個人によって違ったものになります。では、経験によって蓄積される情報とはどんなものなのでしょうか。私たちは生物で、生存(個の保存、自然選択)と生殖(種の保存、性選択)の二つの原則に従って生きています。つまり、個体としての生命が生き続けられるように行動し、生物種として生命が続くように行動します。情報を蓄積するときにも、その情報を処理して行動を起こすときにも、脳はこの二つの原則に従っています。このとき脳は、生き残るために有益かどうかの価値を測ります。例えば、「木が多いところには果実が多い」といった食欲を満たす有利な情報や、「岩場には崖があり、危険だ」といった情報はどちらも生命維持のためには有益な情報となります。このような場合、脳は情報の重み付けを行うのですが、生きるためにプラスの情報には「快(嬉しい、楽しい)」、マイナスの情報には「不快(怖い、悲しい)」といった付加的な価値を客観的な情報と併せて記憶します。感情は生きるために必要な情報の重みを判定するための脳の機能なのです。コンピューターは生物ではないので情報を記憶したり処理したりするときに個の保存や種の保存などに縛られず、したがって、「感情」を持つ必要はないのです。
 このように説明することは簡単なのですが、生存にどれだけ有利かを測ること、そしてそれを感情によって表現することはとても巧みな工夫で、その仕組みとそれをどのように進化の歴史の中で獲得してきたかは今のところ推測の域を出ていません。でも、そのシナリオを描くためのヒントになるのが生存のための脳であり、その脳のもつ夢の存在と役割なのです。

フォト
(オディオン・ルドン「夢」1878−82)

 マインドセットはいわば脳が作る仮想世界のようなもので、脳はこの内なる仮想世界での情報を使って、外の世界で起こることを予測しながら命令を出しています。私たちは経験によって蓄積されてきた類系型の記憶に基づいて、何があってもそれほど戸惑うことなく日々生活しています。脳の間違いは、それまでに蓄積された膨大な記憶の塊に基づいて脳が判断した結果がその時の状況に合わなかったことに過ぎないのです。脳は単なる記憶装置ではなく、生命を維持するための情報蓄積処理装置であり、脳が何のために働いているかと言えば、生命を維持するために働いているのです。
 脳は寝ている時も働いていて、マインドセットという記憶の塊を最適化するために情報の整理を行っています。この時、様々な情報がランダムに呼び出されて生命の原則に沿って自分に必要な情報を取捨選択しています。前頭連合野という部分が活動して、作業記憶と呼ばれる一時的な記憶に呼び出されて必要かどうかが検討されるようです。この作業記憶にはランダムに色んな情報が入っていて、それぞれにはあまり「意味的な」関連はありません。この状態で目がさめると頭の中にはいろいろな情報が、イメージの形で残っています。このイメージを私たちの「意識」が知ることになり、そのイメージが鮮明に残っていると「ああ、夢を見ていた」となるのです。さらに、脳は都合の良いように情報を結びつけてストーリーを作ってしまう習性があるため、ランダムなイメージを無理矢理結びつけてしまい、しばしば夢が荒唐無稽な物語になってしまうわけです。つまり、夢とは、睡眠中の脳の重要な作業の一部を覚醒した意識が知り、補完作業を行った結果であると解釈できるのです。この作業は私たちが生き残るために必要なマインドセットを作り上げていくことですが、マインドセットは私たちの経験に基づく情報であり、私たち自身そのもの、つまり個性や人格形成に関わっているのです。
 もう少し細かい視点で見てみると、寝る前に経験した情報を脳の中だけで再度体験すること、その時にいらない情報は消去、排除していくことを行っています。これは生きるためのリハーサルのようなもので、次に同じような状況になった時により効率よく行動するための作業なのです。さらに、脳内で何度も再体験することによって、例えば辛い体験やトラウマなどに伴う大きな感情の動きをできるだけ小さくしていくような自己治癒的な役割も持っているようです。夢の元になっている情報は私たちに必要な情報、つまり気になっている情報がたくさん含まれて、より感情が表出した情報でした。そうすると楽しかった思い出や苦しかった出来事などが同じくらい夢に出てきても良さそうなものなのですが、どちらかというと、怖い、不安な、不思議な夢の方が多いようです。生命の原則から考えると、プラスの要因よりもマイナスな要因をしっかりと把握してマインドセットを作り上げた方がより生存には有利であるからです。辛い感情は夢の中で何度も追体験することで徐々に感情の振れ幅を抑え込めるということもあって、必然的にそんな夢を見る回数が多くなるのかも知れません。

 私たちは生きるために脳を進化させ、その過程で脳は夢を見ることによって生きるための有利さを獲得してきたのです。

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