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2019年01月20日08:50

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夢の有り様についての雑感

 忘れることも憶えることも、いずれもそれなりの努力が必要で、脳に負担がかかるか否かはわからないが、心には確かに負担となってきた。日常生活のほぼすべてにわたり、知識や技術の学習が求められ、その基本が憶えることで、忘れないようにする工夫が重ねられてきた。そこでは憶えることは当然大切なのだが、忘れないだけでなく、忘れることもそれと同じくらい重要な意味をもってくる。もしすべてのことが忘れられなくなったら、普通に生活することが困難になる。例えば、友人と喧嘩をした記憶が正確であるなら、喧嘩したというネガティブな記憶はそのままで、友人との人間関係の修復は難しくなる。だから、人は忘れなければならない。少なくとも、憶えた記憶を解釈し直すことが求められる。つまり、人はよく憶えるために、その中の幾つかを忘れるのである。
 多くの情報機器は人間の認知的負荷を低減するように作られている。例えば、普段私たちが使っている手帳は予定や約束を記憶するもの。頭の中に憶え込まなくても手帳を見れば正確な日時や場所がわかる。このような媒体は外部記憶と呼ばれる。この場合、外部記憶を使う人間を含めて考えることが重要となる。ここ百年くらいの間に手帳を使うことによって人間の記憶力は悪くなったかと問われれば、決してそんなことはない。
 そこで、夢と記憶、特に夢が記憶に残らない理由をラフに考えてみよう。人の人たる所以は何と言っても脳の存在。人の行動、思考、感情、そして人格さえもすべて脳が決めている。だから、「心の個性」は「脳の個性」である。そこから、心とは脳のことだと主張するのが心脳同一説。そこまで極端にならなくても、私たち自身を知りたければ、私たちの「脳」を知ることが不可欠であり、「脳」を知ることは、私たち自身のもつ謎を知り、それを暴くことにもなる。
 ところで、夢は記憶が変形したもの。「夢は儚い」とは至言である。この表現は、夢(願望)は叶わないという意味で使われる場合もあるが、元来は眠るときに見る夢が目が覚めると手のひらから滑り落ちていく砂のように消え去ることを意味している。また、完全に消え去っていなくても、夢の一部しか思い出せないケースが少なくない。忘れた夢は二度と思い出せない。そして、それが夢の夢たる所以なのである。
 その夢は現実とまったく無関係ではなく、現実とどこかで結びついている。事実、夢に登場する人物や風景は自分自身や知人だったり、いつか眺めた光景、見慣れた景色だったりする。夢は私たちの経験から成り立っている。脳科学では、夢は脳に刻まれた記憶をまぜ合わせて合成され、またそこに想像を加えたものだとされている。現実の世界が脳の回路を通って記憶され、その記憶が変形して夢として甦るのである。思わず目が覚めてしまうような怖い夢もある。そこには恐怖、不安、願望などがあふれているが、それは現実の恐怖や不安や願望を何らかの形で反映している。夢が現実を反映しているとしても、なぜ、夢は記憶に残らないのか。もし夢が記憶の再生であれば、確実に記憶に刻まれてもよさそうなものである。しかし、人間は夢のほんの一部しか覚えていない。どうしてなのか。人間は生きているからこそ、あらゆるものを記憶しようとするし、記憶は未来のガイドとして役に立つ。つまり、記憶は人間が生きるために存在している。誰もが交通信号の赤は危険の警告だと知り、それを覚えている。それは自身を守るための記憶であり、生きるために記憶が必要だということを証明している。一方で、夢は直接的な行動に結びつかない。現実の世界でなかなか告白できない気弱な男性でも、夢の中では意中の女性を口説くことができる。しかし、それが現実の行動に結びつくかといえば、それは別問題。このように、現実の問題と乖離し、行動に結びつかない場合、それは記憶には刻まれないのではないか。記憶は人間が生きるために存在しているが、夢の中の現象や行動は現実の生とかけ離れているからである。そのため、目が覚めるとほとんど夢を記憶していないのである。夢は確かに現実を反映している。反映しているが、それが現実に貢献することはほとんどない。
 私たちは「寝ている間」夢を見ている。どうして私たちは夢を見るのか。はたまた、夢とはどのような現象で、どんな役割があるのか。私たちは眠っている間、「ノンレム睡眠」と「レム睡眠」をそれぞれ一夜に4回ずつもいったりきたりしているが、夢に関しては「レム睡眠のときに人は夢を見る」とよく言われてきた。「起きたときに覚えている夢」というのは、通常目が覚める直前に見ていた夢。普通、人が目覚めるときは浅いノンレム睡眠やレム睡眠のタイミングであり、その「最後のレム睡眠のときに見ていた夢を鮮明に覚えている」ことから「レム睡眠=夢を見る」とされていた。1950年代に「レム睡眠中に鮮明な夢を見る」ことが発見されたが、その後の「夢見体験」の実験中、深いノンレム睡眠中に起こしてみても、頻度は低いが夢を見ていることが判明した。この「ノンレム睡眠中にも夢を見ている」という報告は、「夢見る」レム睡眠の発見と同様に当時の睡眠研究に衝撃を与えた。つまり、「私たちは眠っている間、いつも夢の世界にいる」ことがわかったのである。寝ているかぎり夢を見ない日はないのである。寝ている間、ずっと夢は脳内で上映され続けている。そして、レム睡眠、ノンレム睡眠にかかわらず、夢を見ているときは視覚に関係する脳の部位が活性化している。
 だが、「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」で見る夢は違う。夢の内容を記述してもらうと、レム睡眠中は「実体験に近い夢」、「ストーリーのある夢」、ノンレム睡眠中は「抽象的で辻褄が合わない夢」を見ていることが多いことがわかった。「身体は寝ているけれど、脳は起きている」というレム睡眠中は、覚醒時のように大脳皮質が活性化していて、夢の中での自分の動きに呼応するように大脳の運動野では手足の運動をつかさどる神経細胞が活性化している。つまり、脳の中では「視覚や身体の動きを感知して、さも現実かのように夢の世界を体感している」ので、具体的で合理的・現実的な夢を見ることが多い。そうやって定期的に大脳を活性化させておくことで、「明け方のレム睡眠」で自然と目覚めたときに寝ぼけを回避する確率が高まる。つまり、レム睡眠時に見る合理的な夢には、「起きるための準備」いう役割もあるようなのである。ちなみに、夢を見るのは「人間だけの特権」ではない。動物も確かに夢を見ることがわかっている。様々な観察から、犬もレム睡眠中はヒトと同じようにストーリーのある鮮明な夢を見ている。一方、「脳も身体も眠っている」深いノンレム睡眠中は、夢を見ても運動野の細胞は活性化することはなく、大脳の各部位の連携もよくない。だから、たとえ夢を見ていても、深いノンレム睡眠で急に起こされると、大脳は働いていないので、しばらくぼーっとしてしまい、いわゆる「寝ぼけた」状態になってしまう。だから、起きた直後、「抽象的でよくわからない」夢を記憶しているときは、ノンレム睡眠で起床したと考えられる。これは、「人はレム睡眠のとき、自然に目覚める」というパターンから外れているので、このような夢を何度も覚えているのは、眠りのパターン自体が悪いのかも知れない。逆に、起床時に覚えている夢が鮮明でストーリーがきちんとしているものであれば、レム睡眠中やレム睡眠の直後に自然と覚醒できたことになる。
 さらに、「夢はたくさん見たほうがよい」という新事実がわかった。無意識レベルにはなるが、実は「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」が入れ替わるごとに、夢の内容も切り替わっていることがわかっている。だから、夢をみた回数が多いほど、通常一夜で4〜5回生じるレム睡眠とノンレム睡眠の睡眠サイクルがきちんと機能していることになり、その意味では一晩でたくさんの夢を体験するのが自然の眠りということになる。とはいえ、これはなかなか意図してできることではない。正常なリズム通りの睡眠がとれていれば、人は8〜10回ほど、別々な夢の世界を経験していることになるわけだが、なんとも残念なことに、しっかり眠れば眠るほど、最後の夢以外は忘れてしまうのである。「見たい夢を見る」と言うと、荒唐無稽な、それこそ「夢のような話」に聞こえるかもしれないが、実は科学的に「見たい夢を見る」ことに挑戦した記録がある。「好きな夢を見ることはできるのか」が盛んに研究されたのは、20世紀中葉の「夢見る」とされたレム睡眠発見の直後。今では信じられないような実験が、当時は真剣に行われた。例えば、「見たい」と思った夢を事前に挙げ、実際にその夢を見た回数を求めるといった単純な実験。さらに、寝ている人の耳に息を吹きかけたり、冷たい水を顔にたらしたりして「音や温熱、皮膚感覚への刺激」をおこない、被験者の見ている夢の内容に変化があるかどうか、もしくは刺激が夢の内容に取り込まれるかどうかを調べた調査まであった。
 私たちの夢には現実の部分と幻の部分があり、それらがミックスされている。夢には感情、願望を含む、情緒的なものが色濃く反映され、それらが事実と組み合わされ、独特の夢の私的世界を生み出している。現実の世界に個性を反映させることは難しくても、夢の世界での実現は困難ではない。だが、その夢の大半は忘れ去られ、現実の世界に書き加えられることはない。夢は現実と願望のせめぎ合いをうまく調停する工夫であるのかも知れない。夢見る心が躍動するのは寝ている間だけで、しかも覚醒によってそれは残らない仕方で、清算されているのである。夢は脳が健全に機能するための予備運動、そしてクリーニングなのだろう。

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