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2017年07月24日06:00

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e-myokoの顕微鏡観察に寄せて

 今年も子供向けの顕微鏡の観察会が行われた。顕微鏡を観察した子供たちと父兄の方々に知ってほしいことを書いたのだが、それを転載しておこう。

子供たちへ:顕微鏡で観察すること
 e-myokoの自然観察が妙高で行われ、子供たちが顕微鏡を通してミクロな世界を垣間見た。小さなものを目を凝らしてみることは心躍る経験である。顕微鏡の発明によってミクロの世界が明らかにされ、今や電子顕微鏡の時代。裸眼は所詮裸眼で、人間を知るには不可欠でも自然を知るには大したことはなかった。だが、顕微鏡を使った成果は眼を見張るものがあった。人々はそれまで隠れていて、知らなかった世界を見てしまったのである。自分の眼では見えない世界を見ることができた結果として、私たちはミクロな世界の莫大な知識を手に入れることができた。
 顕微鏡に素直に向き合い、顕微鏡が与えてくれるデータを自分の眼で確認しながら、貪欲にデータを収集する。そんな態度は科学革命以前の知識人にはまずなかった。考えるのではなく、一心不乱に観察するのは職人であって、高貴な知識人ではなかったのだ。だが、それこそがまともな知識獲得のスタートだった。哲学者の言う法螺など信じては駄目で、自分の眼で確かめるしかなかったのである。
 おじさんやおばさんの言うことなど信用しては駄目で、自らの眼や耳を信じて自然からのメッセージを感じ、知ろう。知るには考えるのではなく、観察しなければならない。考える前に見なければならない。
 外野の知識や意見はすべて横に置き、自分がもつ感覚器官をフルに使おう。見ることに徹してみよう。その結果が科学であり、それに飽き足らずに考えることに走ったのが哲学なのだ。考えることは時には不幸をもたらす。もっと純粋に見ること、聞くことに徹し、何を見て、何を聞いたかを正すべきなのである。
 若き観察者たちに望みたい。君たちは大人が教え、喚くことなど信じないで、自分の感覚器官を信じ、感じたものを知ることに徹するべきなのである。そして、見たものは自分の手でスケッチしてほしい。それが眼と手で知ることなのである。直接に感じ知ること、それがすべてのスタートなのである。

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