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2017年07月17日06:12

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埋立地

 我が家のすぐ先、今は有明アリーナの建設が進んでいる辺りは2005年に埋め立てが完了した地域。周りを見渡せばすべてが埋立地で、何とも心穏やかならざる土地ということになる。そんなところに住むのは物好きというものだが、そもそもどのくらい埋立地があるのか気になり出した。
 2020年東京五輪の会場予定図を眺めると都心会場の多くが江東区の臨海部にある。海岸線が真っすぐな退屈な形状の人工島に、縦横に走る運河。冊子『江東区のあゆみ』によると、現在の江東区に対応する部分の面積は1882年に11.40平方キロメートルしかなかった。現在が40.16平方キロメートルだから、130年余りで約3.5倍に増えた。さらに、中央防波堤埋立地が江東区に帰属するとなれば、その広さは500ha。すると、面積は約45平方キロメートルに増え、4倍になる。もっとも、これは捕らぬ狸の皮算用で、大田区も帰属を主張しており、東京都への調停が申請されている。
 近世まで遡れば、徳川家康が江戸に来た1590年頃の江東区は川沿いに砂州があり、島が点在する程度だったらしい。江戸の都市開発と共に埋め立ても進んでいくが、一つの契機が1657年の明暦の大火。大被害にあった江戸の町を拡張するため、両国橋が架けられ、隅田川の東側の開発が本格化した。江戸初期に家康が開いた小名木川に加えて、竪川や大横川などの運河も開削。小名木川と中川が交差する場所には水運の関所として船番所が設けられた。幕末に近い1852年の地図では、海岸線は現在の永代通り辺り。木場には貯木場が置かれ、その東側の沿岸は大名の下屋敷になっていた。
 実際に住んでみると、埋立地であることを忘れるような風景で、人の知覚がいい加減であることを思い知らされるのだが、埋立地であることを心に留め置くにしても、始終意識するのも大人げないというものだろう。

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(有明アリーナの建設工事)

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(豊洲、右端は晴海大橋)

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(辰巳緑道公園)

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(東雲のタワーマンション群)
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