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2017年07月08日07:53

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七夕

 七夕を「たなばた」と読むのは至難の技。七夕は「しちせき」とも読み、古くからある日本の行事である。子供の頃は七夕が近づくと、ハロウィーンのように妙に胸が高鳴ったものだ。だが、その由来や意義となると何とも怪しい限りなのだ。
 毎年7月7日の夜に、願いごとを書いた色とりどりの短冊や飾りを笹の葉につるし、星に祈るという習慣はいまでも廃れず、幼稚園や小学校で行われているのがむしろ謎なのである。子供の頃、たくさんの短冊をつるして織姫と彦星に願いごとをしたのだが、本当に実現すると思っていたのだろうか。
 なんだか謎だらけとなれば、七夕の由来、起源を確かめたくなるのが人の常。その起源には多くの説があるが、主な三つは次の通りらしい。
(1)もともと日本の神事であった「棚機(たなばた)」
(2)おりひめとひこぼしの伝説
(3)奈良時代に中国から伝来した「乞巧奠(きこうでん)」
 「棚機」とは古い日本の禊ぎ(みそぎ)行事で、乙女が着物を織って棚にそなえ、神を迎えて秋の豊作を祈ったり人々の穢れをはらうというもの。選ばれた乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、川などの清い水辺にある機屋(はたや)にこもって神のために心をこめて着物を織る。そのときに使われた織り機が棚機。
 この行事はお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになった。現在七夕という二文字で「たなばた」と当て字で読んでいるのも、これに由来するらしい。
 琴座のベガと呼ばれる織女(しゅくじょ)星は裁縫の仕事、鷲(わし)座のアルタイルと呼ばれる牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星と考えられていた。この二つの星は旧暦7月7日に天の川をはさんで最も光り輝いているように見えることから、中国ではこの日を一年一度のめぐりあいの日と考えた。
 江戸時代になり、七夕行事が五節句の一つとなると、七夕は庶民の間にも広まり、全国的に行われるようになった。人々は野菜や果物をそなえて、詩歌や習いごとの上達を願った。五つの色の短冊に色々な願い事を書いて笹竹につるし、星に祈る祭りに変わっていった。
 「乞巧奠」は、中国の行事で7月7日に織女星にあやかってはた織りや裁縫が上達するようにと祈る風習から生まれた。庭先の祭壇に針などをそなえて、星に祈りを捧げる。やがて、はた織りだけでなく芸事や書道などの上達も願うようになった。平安時代にその話が日本に伝わると、宮中の行事として七夕行事が行われるようになった。
 こんな風に書いてきて、だから何なのか、と問いたくなる。七夕はなんだかわからないミックスされた風習でしかない。短冊と絵馬、恋人の逢瀬等、シナリオとすれば人心を奪う要素が溢れているのだが、一つの物語として完成していない。真面目な話、誰かに完結した七夕物語を書いて直木賞でも獲ってほしいものである。七夕の一貫した物語はなく、その断片的な部分の物語しかないのだから。最もそんなことを言えば、盆も正月も仏教とは関係がなく、七夕と似たり寄ったりで、それこそが日本文化の大きな特徴なのかも知れない。

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(広重「市中繁栄七夕祭」名所江戸百景)

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(豊原周延「七夕乃図」)

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(三代豊国「当世葉唄合−七夕の図ー」)
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