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2017年03月16日06:22

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欲望と煩悩に関するさらなる証拠

 今回の事例はどれも科学的な報告や説明というより、常識や習慣、通説や粗い観察が科学的な説明と混じり合ったものになっています。いずれも不自然な説明、描写とは思われず、至極普通に受け取られている内容です。科学的な要素とそうでないものがどのように混合していて、その結果が何をもたらすのか、そんなことを考えるきっかけになると思います。特に、人は傲慢なせいか、自らが科学の対象となることが気に食わないようです(これも実は習慣に過ぎないのですが…)。自らについての認識が常識的、保守的であるためか、それが自らの本性を見誤ることにつながるようです。

(1)GID(性同一性障害)
 性同一性障害の人は自分のことを生まれた時の性別と逆の性別だと認識しています。では、同性愛はどうでしょうか。生まれた時の性別をわかった上で、自分と同じ性別の方が性的に好きというのが同性愛です。これらを博物学の習慣に従って分類すると、

女性で生まれ女性と思っていて、男性が好き:世間で言うノンケ・ストレート・普通
女性で生まれ女性と思っていて、女性が好き:レズビアン
女性で生まれ男性と思っていて、女性が好き:FTM(ある意味ノンケ)

となります。
 ところで、性自認と性指向は全く別の話です。自身の性別をどう自覚するかと性的に好きになる相手の性別は何かとは、確かに違います。実は、自分の性別と好きになる性別の組み合わせは自由なのです。伝統的な基本となれば、男性は女性が好き、女性は男性が好きということです。また、ゲイなら、男性が男性を好き、レズなら、女性が女性を好きとなります。バイセクシャルなら、男女ともに好き、これらが伝統的な組み合わせです。
 性同一性障害は性指向の話ではなくて、性自認の問題です。同性愛は性指向の話。ですから、同性愛と性同一性障害は一見似ていても、まったく違うのです。そのため、性同一性障害だから同性愛でないとは限らないのです。ですから、現実にFTMまたはその反対のMTFで同性愛の人がいる可能性があるのです。したがって、

女性で生まれ女性と思っていて、男性が好き:世間で言うノンケ・ストレート・普通
女性で生まれ女性と思っていて、女性が好き:レズビアン
女性で生まれ男性と思っていて、女性が好き:FTM(ある意味ノンケ)

これらに加えて

女性で生まれ男性と思っていて、男性が好き:FTM(ゲイ)

があることになります。これ以外の組み合わせを色々考え、それぞれどのようなカップル、あるいはトリップル、その他になるか想像してみて下さい。そして、性自認と性指向について考察してみてほしいものです。そして、その考察のどの部分が科学的な分析で、どれが常識的、習慣的な見解か考えてみて下さい(上述の本文には科学的分析はありません)。

(2)薬物依存症
 薬物依存症というと、ヤクザ、マフィア、不良が連想され、決して良いイメージはないと思います。依存する薬物にも色々な種類があります。覚せい剤、麻薬、コカイン、大麻、幻覚剤、シンナーなど、ちなみに精神安定剤や鎮痛剤、アルコールも依存性薬物と言われています。日本で覚せい剤が多いのには理由があります。戦前の日本では覚せい剤を「ヒロポン」という名前で薬局で普通に売っていたからです。日本では海外でグラム数十円の薬が末端価格で数千円以上で売れます。さらに、その人が依存になれば、どんなに値を吊り上げても手に入れようとしますから、これほど儲かる商売はないことになります。 その覚せい剤で全てをなくした人のことを考えてみましょう。
 その人は30歳代の女性。山奥の車の中で練炭自殺を図り、救急病院に運ばれ、意識は回復したのですが、2週間くらいで徐々に話をしなくなり、食事を摂らなくなりました。精神的なものではないかと疑われ、総合病院に転院することになりました。彼女は元々覚せい剤中毒でした。中学生の頃から素行不良であり、学校に行かずにシンナー、大麻、覚せい剤という風に依存薬物に手を出していました。いわゆる典型的な不良少女。18歳の時に警察に逮捕され、半年後には再犯、服役1年半の実刑。出所後、すぐに覚せい剤を始め、警察に再逮捕。似たことを何度も繰り返し、結局30歳までに5回の服役。徐々に刑期は延び、出所してもすぐに再犯、彼女は20歳代のほとんどの時間を刑務所で過ごしました。30歳で出所してから、1年後に結婚しますが、覚せい剤を止める気配はなく、借金がかさみ、薬が手に入らないことからイライラして、夫とも不仲になっていきます。
 結局、離婚が成立。そのためか、彼女は練炭自殺を図ります。搬送先の病院での懸命な救命処置で、何とか一命は取りとめ、意識も改善しました。それから自力で食事も取れるくらいに回復したのですが、2週間くらいから徐々に発動性が低下、ほとんど会話をしなくなり、日中寝て過ごすことが多くなりました。色々と検査をしたのですが、結局原因は不明で、精神的なものではないかということで総合病院の精神科に転院。
 彼女は車椅子に座ったままで、全く言葉を話さない状態でした。脳のMRIの検査をすると、脳の尾状核という中心部と前頭葉の皮質下に軽度異常信号域を認めるだけで、脳波は正常でした。とにかく入院させて、内服を全部中止し、栄養管理だけ行ったのですが、症状は全く改善せず。一週間後に再度、頭部CT検査をしたところ、驚くべきことに入院時と比べると、異常信号域が拡大していました。神経内科の専門医によれば、「間欠型一酸化炭素中毒脳症」という診断。通常の一酸化炭素中毒は酸素より赤血球の結合力が強い、一酸化炭素が赤血球につくことで、組織が窒息し、比較的早期に死に至ります。間欠型と呼ばれるタイプは、組織がゆっくり死んでいきます。特徴的なのは脳の皮質下だけが壊れること、つまり外側の脳は正常です。ですから、彼女は意識が戻った時に会話ができ、脳波も正常でした。この病態は非常に稀で、原因も不明で治療法もありません。そのため、彼女は徐々に植物状態になっていきました。入院してから3週間後に瞳孔不同が出現し、脳の半分以上が変性(壊死)しており、脳ヘルニアという致命的な状態になっていました。その夜、彼女は静かに息を引き取りました。
 2回以上刑務所に入った覚せい剤中毒の人は、なかなか治りません。覚せい剤とシンナーには「人格退行」という性格変化が起こるからです。簡単に言えば、覚せい剤を使うほど、我慢が出来ない子供の性格になっていくのです。さらに、幻覚や妄想などの症状も出てきて、それが犯罪に結びつくこともあります。薬剤の禁断症状のイライラ感や常用による精神症状、幻覚や妄想には抗うつ剤や抗精神病薬が効きますが、人格退行を治す薬は存在しません。療養所の治療も厳重な管理下での入院、あとは司法と連携して患者がどのくらいの期間、止めれるかを診ていくしかありません。
 依存症の強さをサルを使って実験した例があります。残酷ですが、薬物依存状態にしたサルに点滴をつなげて檻に入れ、サルがレバーを押すと依存薬が点滴からサルの血管内に流れ込むという装置を作り、レバーを押す回数を増やしていき、何回で諦めるか実験したのです。結果はニコチンで800回、安定剤で950回、アルコールでで1600回、覚せい剤で3200回、コカインとモルヒネは何と6400回という結果でした。中には全く餌を食べずに一晩中押し続けているサルや、途中薬物過剰によるけいれん発作を起こしても、目が覚めるとすぐにレバーの所に向うサルもいたとのこと。
 完全な依存症になり、人格が退行し始めると、対処できません。長期の閉鎖病棟か刑務所などの薬を入手できないところで、認知症になるまで待つか、もしくは彼女のように命を落とすしかありません。彼女のように何度も繰り返すケースは、決して珍しくありません。 覚せい剤依存症は本当に怖い病気で、アルコール依存症とは比較になりません。
 とても興味深いエピソードですが、科学的な知識と事実の経過、さらには常識が巧みに混合されて、薬物依存、中毒、人生がないまぜになっています。彼女の人生を今少し描写し、その心理状態を描けばもっとよくわかると思う人が多い筈です。そう思う人は自ら想像して、物語として構想してみて下さい。そして、どのような事柄を加えると小説や戯曲になるのか、それを明らかにしてみてほしいものです。

*間欠型一酸化炭素中毒の重症度分類と予後関連因子
Novel clinical grading of delayed neurologic sequelae after carbon monoxide poisoning and factors associated with outcome
Kuroda H, Fujihara K, Kushimoto S, Aoki M.
Neurotoxicology. 2015;48:35-43. doi: 10.1016/j.neuro.2015.03.002.

 一酸化炭素(carbon monoxide; CO)による間欠型中毒(delayed neurologic sequelae; DNS)は急性中毒から一旦回復後に再発性の神経障害をきたすが,その長期予後については詳細な報告がなかった.また,DNSで髄液ミエリン塩基性蛋白(myelin basic protein; MBP)上昇を呈する例の報告はあったが,適切な測定時期やその臨床的有用性については不明であった.本研究の目的はDNSの長期予後と予後関連因子を明らかにすることと,CO中毒患者診療における髄液MBP測定の有用性を明らかにすることであった.
 急性CO中毒患者について臨床症状,血液・髄液検査,頭部MRIを評価し,DNS発症者については1年後まで追跡した.DNS重症度は症状極期および1年後の自立度を基にGrade 1 (consistent independence),Grade 2 (temporary dependence),Grade 3 (persistent dependence) の3型に分類した.
 対象患者は急性CO中毒患者100名で,20名(20%)がDNSを発症した.重症度はGrade 1が6名(30%),Grade 2が10名(50%),Grade 3が4名(20%)であった.予後不良(Grade 3)と関連する因子はCO暴露時の高い年齢とDNS症状の早期出現であった.髄液MBP値は急性期および1ヶ月の時点ともにDNS群が非DNS群より有意に高く,DNS群の中でも予後不良群は良好群より1ヶ月時点での髄液MBPが高値であった.MBP index(年齢×髄液MBP)を用いることで,予後予測確率をさらに高めることが可能であった.
 以上の結果により,高齢および早期発症がDNS予後不良因子であり,髄液MBP測定はDNS発症予測,診断,予後予測のすべてに有用であることが示された.

(3)ヒュームと「人間の本性」
 人間に道徳の直観が本能的に備わっているのならば、それは一体どういうものなのでしょうか。人間の本能の仕組みは常識、習慣、知恵としては色々言われてきましたが、科学的な知識と言うことになると解明しなくてはならないものが山積みです。
 1735年にヒュームが『人間本性論(A Treatise of Human Nature)』で述べたように、人間性、つまり人間の本性についての研究は人間についての唯一の学問ですが、これまで無視されてきました。これは、残念ながら21世紀になっても依然として正しいようです。私たちは「人間性」がどういうものなのか、十分な科学的知識をまだもっていません。人間性のどこまでが本能によるもので、どこからが文化的所産なのか、私たちはまだ十分に知らないのです。
 ある意味では、本来の「人間の本性」が完全に解明されたなら、倫理学という学問はほぼ完成です。というのも、「倫理学=人間本性を知るための学問」だからです。
 例えば、使い古された例について考えてみましょう。あなたは外科医で、電車事故で5人の重傷者が運び込まれたとしましょう。5人は心臓や肝臓など、それぞれ違う臓器を一つずつ致命的に損傷しています。でも、その時血液検査に来ていた人の臓器を5人に移植すれば、その人は死んでしまうが、5人は助かることが分かったとします。外科医のあなたならどうするか。これを「素朴な功利主義」で考えると、5人を助けることができるのだから、1人を犠牲にすることは正しい、ということになります。でも、多くの人はその価値判断に賛同しません。無関係な1人を犠牲にすることは絶対に許されないと誰もが感じます。そのため、「素朴な功利主義」に対する多くの人の感想は、その理論は間違っているというものになります。私たちの常識は、それは「人間性」に合わないと叫ぶのです。
 倫理理論の最初の試金石は、そういう常識、日常の感覚です。また、功利主義では、より大きな幸福のためであれば、小さな不幸は看過しうると主張するのですが、5人を生かすために無実の1人を殺すことが正当化されるのでしょうか。私たちの常識は、これらの疑問に対して、「やっぱり何かおかしい」と答えてきました。
 科学ではこういうことはありません。間違っているのは私たちの常識で、正しいのは科学の方でした。かつての常識では、地球が太陽の周りを回っているのではなく、太陽が地球の周りを回っていました。こんな誤った常識は科学史の中にいくらでも見つけることができます。
 
*ヒュームは人間の知覚を「印象」と「観念」に分け、印象は感情、感覚、感動などの力強い刺激を含み、観念は感情の動きを伴わない映像に過ぎないとします。二つは密接に関係していて、印象が観念を生み出す源になります。また、印象は感覚の印象と反省の印象に分かれ、前者は未知の原因から人間の心理に現れ、後者は観念により発現します。したがって、印象がまず感覚を刺激して快や苦を人間に知覚させ、印象が消えた後にも心に保持されるのが観念だとヒュームは考えるのです。想像は心の複雑な働きを可能にし、類似、接近、因果という三つの観念の法則に従いながら機能します。この法則こそ観念の法則で、この法則に従った複合的観念として関係、様相、実体の三つの観念が生まれます。
 ヒュームは悟性だけでなく感情面についても分析を加えており、感覚の印象が詳細に分類されています。まず、印象は感覚的印象と身体的快苦に大別され、さらに二次的な印象である反省的な印象は美醜を識別する静態的なものと愛憎や悲喜を識別する動態的なものに分けられます。さらに、…と、感情、道徳、美徳の分類が続きます。現在なら心理学の扱う事柄になるのでしょうが、ヒュームの分析に登場するキーワードはどれも常識的な語彙であり、脳の科学的な概念や用語ではありません。

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