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2020年09月23日20:07

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帰国してしまったこと

年を取って気づいた「若い頃にやっておけばよかったこと」ランキング
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=140&from=diary&id=6241382



20歳で大学2年生のとき、父親の知り合いがアメリカに招いてくれました。
1967年のことです。
当時はまだ1ドル360円の固定相場制で、
持ち出し限度額は20万円、海外旅行も自由ではありませんでした。
 
海外に行けるのは主に商社マンや駐在員、官僚など、ごく限られた人たちで、
海外留学など自由に行ける時代ではありません。
ジョンソン夫妻が日本旅行したとき、我が家に1週間滞在し、
その間僕が京都奈良を案内して回りました。
 
半年後、夫妻から家族あてに長いお礼状が来て
「往復の飛行機代を出すなら、滞在費は全て世話するから来ないか?」
という誘いでした。
一も二もなく、僕は「行きたい!」と父母に訴えました。
海外経験の長い父親はすぐに許してくれましたが、
母親は「そんな怖い外国に…」となかなか賛成してくれません。
やっと両親を説き伏せて、次の年の6月始めパン・アメリカンに乗りました。
 
ロスアンジェルスの街は繁華街をベトナム反戦のデモ隊が荒れ狂い、
警官隊が催涙弾を撃つなど荒れた雰囲気。
見物していた僕は、UCLAの学生と友だちになり、大学の集会に参加しました。
僕が日本人と知った主催者は、強引に僕をステージに引っ張っていき、
ベトナム戦争に対するオマエの意見を述べろ、と要求。
「共産主義の脅威を防いでくれるアメリカには感謝している」と言いました。
それでも集会のとげとげしい雰囲気は変わらず、あちこちから手が挙がり、
「なぜ日本の若者たちは『反対』を唱えるだけで協力しないのか?」
と訊かれました。
「東アジアを共産化から防いで血を流しているのは我々なのに、
オマエたちが主要な軍隊をなぜ出さないのか?」という質問でした。
みんなの険しい目が僕を睨んでいます。
 
明日にも徴兵されるかもしれない彼らの切実さが伝わってきます。
「日本には憲法九条があって、戦争行為を禁止している」
そして、
「そもそもこの憲法は、マッカーサーが押し付けたものじゃないのか?」
と、だんだん頭に血が上った僕はやり返しました。
 
それでも彼らは収まりません。
「そんな憲法なら、さっさと改正してしまえばいいではないか」
というのが彼らの主張でした。
僕はグゥの音も出ませんでした。
憲法を変えるという初歩的なことも思いつかなかった自分の平和ボケを
僕は初めてアメリカで思い知らされたのです。
そして思いました、日本の甘っちょろい反戦運動・平和運動とは違って、
アメリカの若者は命懸けで戦ってるんだな、と。
 
ジョンソン夫妻は親代わりになると言い、、カール(UCLAの友だち)も、
このまま現地にとどまってUCLAに入学したらどうかと勧めてくれました。
しかし親からは「もう学校が始まってるから、早く帰国しなさい」と催促。
これは人生最大の失敗なんでしょうねぇ、
あるいは、若い時代の驕りなんでしょうかね、
またいつでも戻ってこれるさと高を括って、僕は帰国してしまいました。
 
しかし人生とは皮肉なもので、再び戻れる機会は遂に来ませんでした。
あの時、親の反対を押し切ってでも留学していれば、
その後の人生は大きく変わっていたに違いありません。
 
 

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