mixiユーザー(id:64281220)

2020年02月22日16:34

53 view

芥川龍之介「トロッコ」と人車鉄道めぐり

小田原城の南、早川口交差点近くに豆相人車鉄道の小田原駅跡がある。石碑には「明治二十九年三月、熱海方面への陸上輸送路として豆相人車鉄道が開設され、早川口が小田原駅となった。……」と刻まれている。文字通り、人力で動かす鉄道がつくられ、小田原・熱海間をおよそ4時間で走った。

途中の漁港のある米神や、関所跡もある根府川などの駅跡をたどり、春めいた日差しのなか海沿いの道を歩いた。相模湾の青さも心地よい。
春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな
蕪村の句が 浮かんでくる。根府川の離れのやど星ヶ山には、人車鉄道が復元されていた。

真鶴、湯河原をへて、終点の熱海は駅前の商店街を下った先の大江戸温泉物語まえに熱海駅舎跡の記念碑が立っていた。「この人車鉄道は定員6名あるいは8名の客車を3名の人夫が押すという、きわめて原始的なものであった。……明治40年(1907)12月、軽便鉄道にかわるまでの12年間、貴重な交通として利用された」と銘板に記され、その様子がレリーフに刻まれていた。

芥川龍之介「トロッコ」は、豆相人車鉄道がようやく軽便鉄道に変わる頃のことだろうか。「この作品は、志賀直哉の『真鶴』を思い浮かべて作られたのではないだろうかと、かねてから想像して」いた臼井吉見は、「『トロッコ』の素直さは、『真鶴』にならって、意識的計画的に作り出されたもの」と見ているが、そもそも湯河原の青年から仕入れた題材とすれば、それも当然のことである。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する