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2020年05月06日14:57

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無意識無関心

■あえて三密に飛び込んでしまう人々。「自分は大丈夫」の裏にある心理状態
(HARBOR BUSINESS Online - 05月05日 16:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=219&from=diary&id=6071960

 色々と細かい分析や指摘が書いてあるけれども、平気で出歩く人々にそれほど明確な行動規範や心理的からくりが備わっているのかどうかは疑わしい。一番多いのは無意識無関心ではないのかと思う。自分が病気になったりそれで死んでしまうかもしれないということに無頓着な人は案外多い気がする。細菌やウイルスが怖くて除菌剤を片手に生活するような人や病気が怖くて予防と健康維持が暮らしのすべてになっているような人。そんな人たちは意識せずにはいられないし一度意識に上がるともうその関心を捨て去るということは絶対に出来無い。今回のコロナ騒動もそういう人々の意識が中心になって創り出されているものだということは言えると思う。

 どっち寄りの人間が多いのか少ないのかそれは実は誰にも分らないのだ。この記事を書いた人は平気で三密に突入して行くような人は少ないと見ているのか。もしかしたら大騒ぎして自粛を呼びかけるような人の方が断然少ない可能性も無いわけでは無い。お医者さんたちに拍手を送ったり家にいることを積極的に呼びかけたりBBQしてる人々を非難したりするような人が社会の中心にいるように見えるのはそれは意識と関心のなせる業である。そして情報媒体の本質は意識と関心そのものなので無意識と無関心は情報媒体に載って来ることは一切無い。そしてCOVID−19はどちらかを選んで感染するわけではない。自由に自然に向こうもまた無意識無関心で暮らしている。

 人間の意識っていうものは実に狭いものだという真実を社会は今完全に忘れている。今だけではなく知識や理解を重んじる文明人は半分以上そのことには気が付いていない可能性はある。その結果今は社会そのものが意識と恐怖に閉じ込められているかのように意識される。その外側の世界に答えがあるのかもしれないのにそこへ踏み出す何かが失われているともいえる。一言でいうなら「覚悟」辺りが妥当なのか。そういう観点はこの記事には無くそこは完全に抜け落ちている。

 政治における出口対策が難しいのは人々の意識が見出す恐怖との駆け引きが難しいのであって、もともとそういうたぐいの意識が無い人々はたいした恐怖を生み出さないから国民がみんなそんな感じだったら政治家も楽だろうと思う。

 死亡者感染者の数が多少多かろうが無意識無関心で構えていられる社会と、国民の意識が強くものすごく規制と制御が効いて死亡者も少なく抑えられる代わりに恐怖と疑念と混乱に満ちる社会とどちらを選ぶのかという選択になった場合、それは選択という事象を飛び越える形で「意識が立ち現れる社会」にしか成り得ないというのが実情だろう。ましてやこんなに教育が意識と関心を育て上げてさらに意識の伝達装置が発展した後の情報化競争社会では尚更である。つまりそんなことで今日本は新型コロナウイルス対策にみんなで?夢中になっている。

 一緒になって夢中になっていない人の心理を夢中になるべきだと考える人が暴こうとした記事がこれだ。
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