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2020年02月19日11:01

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虐待

■子への体罰禁止に新指針 「しつけで容認」6割の現実
(朝日新聞デジタル - 02月19日 07:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5978344


 むごく扱うことを、「虐待」、と言うんだと思う。問題なのは虐待。

 虐待の姿はたたいたりぶったりするという画だけだろうか。虐待という状況が存在する親と子の関係の中の一つの形いわば象徴のような位置に体罰はあるのかもしれない。しかしだからと言ってその一部の象徴を虐待撲滅の目的で取り上げて法律に仕立て上げ国民全体に強いるというやり方は味噌くそ一緒にして一掃してしまえという荒療治だと思うのだ。一頭コレラにかかると問答無用で全頭殺処分される養豚場の健康な豚やインフルエンザで全羽殺処分される養鶏場の活きのいいニワトリなんかと同等の扱いをされる愛情深い親たち。文句が出るのは当たり前。愛と信頼の存在がある因果関係の存在するそれ故に筋の通った体罰というものは当然ある。

 体罰というと大相撲とか各種スポーツとかいろいろな場面でも虐待と混同されて取り沙汰される案件だけど味噌くそ一緒で十羽ひとからげにして家畜の伝染病と同様な形で問題を解決するという発想はある意味で文化に対する、「虐待」、にも当たる気もする。様々な何とか禁止という暴挙が吹き荒れる現代社会が生きづらいのはそんな形での社会による虐待のせいかも。面倒でもことの詳細に当たって味噌とくその区別から考えるようでいなければ社会は一層つまらない大雑把な禁止にあふれていく。


 「法治社会ですから、」、と、したり顔で言われても俺たちはくそではないという思いが湧いて来るのは当たり前。豚や鶏と同じように荒っぽく法律でひとからげにしておいて黙って従えというほうも充分におかしい。今ここですぐには思いつかないけど虐待と体罰にまつわるこの話に関しては何か違った対処法を編み出すべきなんじゃないのか。世の中の他の禁止にでも同じようなジレンマを感じることは多い。

 
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