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2020年02月17日18:11

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淘汰

■植松被告に死刑求刑、遺族「極刑でも軽い」 相模原殺傷
(朝日新聞デジタル - 02月17日 12:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5976064


 自分が正しいと思うことを職場なり社会に発表する自由は誰にでもある。この人も行政あてに意見書を送ったりしていたということだけどもっともっと様々な方法を使ったり様々な相手に対して意見を伝えたり相談したり拡散させたりして外に向かって自分以外の誰かに向かって思うことを述べ続けるべきだったと思う。そうしておじいさんになるまで訴え続けるか、社会の反応に自分の意見の欠点を見出したり、誰かと議論を尽くして新たな意見へ昇華させたり、ものの見方を変えてみたり増やしてみたりして成長するべきだった。人間は誰だって間違えることはあると思う。この人が職場で感じたことはまあそれはそれでこの人のその時点での気持ちなのだから仕方が無いと思う。もしかしたらそんな気持ちを抱いて勤めている同業者は他にもいるのかもしれない。そういう人々がどうやって次へ進んでいくのかという壁を乗り越えるはずの場面だったのではないのだろうか。出来ないなら転職すればよかったのでは。

 あまりにも短絡的に目に映る元職場の入所者を殺して回るなんていう殺人の動機は孤独に閉じた極論を社会に淘汰される前に自分自身が傷つくことを恐れて自己陶酔の果てに発露しただけのもので、自分を守りたい気持ちがもともと極論に近かった想いを狂気にまで昇華させたというだけのわかりやすい話ではないのか。間違えたことを世の中に発表して淘汰されるということで得ることもあるはずなのにこの人はそれが出来なかった。

 こんなことで無残に殺されてしまった人はとてもかわいそうだ。遺族や関係者の気持ちも悲惨極まりない慰めようも無いものだと思う。裁判の中で自分の意見を詳細に述べてせめてその期間だけでも徹底的な社会の淘汰を受けるべきだ。そして自分が犯した罪の詳細をしっかりと自覚したうえでもう帰ってこない多くの人たちにきちんと謝ってほしい。

 とにかく自殺も含めて誰かを殺して物事を解決していいわけがないのだ、人間は互いにみんな生きて何かをしていく、「生き物」、なのだから。
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