mixiユーザー(id:64212523)

2020年02月17日18:11

131 view

淘汰

■植松被告に死刑求刑、遺族「極刑でも軽い」 相模原殺傷
(朝日新聞デジタル - 02月17日 12:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5976064


 自分が正しいと思うことを職場なり社会に発表する自由は誰にでもある。この人も行政あてに意見書を送ったりしていたということだけどもっともっと様々な方法を使ったり様々な相手に対して意見を伝えたり相談したり拡散させたりして外に向かって自分以外の誰かに向かって思うことを述べ続けるべきだったと思う。そうしておじいさんになるまで訴え続けるか、社会の反応に自分の意見の欠点を見出したり、誰かと議論を尽くして新たな意見へ昇華させたり、ものの見方を変えてみたり増やしてみたりして成長するべきだった。人間は誰だって間違えることはあると思う。この人が職場で感じたことはまあそれはそれでこの人のその時点での気持ちなのだから仕方が無いと思う。もしかしたらそんな気持ちを抱いて勤めている同業者は他にもいるのかもしれない。そういう人々がどうやって次へ進んでいくのかという壁を乗り越えるはずの場面だったのではないのだろうか。出来ないなら転職すればよかったのでは。

 あまりにも短絡的に目に映る元職場の入所者を殺して回るなんていう殺人の動機は孤独に閉じた極論を社会に淘汰される前に自分自身が傷つくことを恐れて自己陶酔の果てに発露しただけのもので、自分を守りたい気持ちがもともと極論に近かった想いを狂気にまで昇華させたというだけのわかりやすい話ではないのか。間違えたことを世の中に発表して淘汰されるということで得ることもあるはずなのにこの人はそれが出来なかった。

 こんなことで無残に殺されてしまった人はとてもかわいそうだ。遺族や関係者の気持ちも悲惨極まりない慰めようも無いものだと思う。裁判の中で自分の意見を詳細に述べてせめてその期間だけでも徹底的な社会の淘汰を受けるべきだ。そして自分が犯した罪の詳細をしっかりと自覚したうえでもう帰ってこない多くの人たちにきちんと謝ってほしい。

 とにかく自殺も含めて誰かを殺して物事を解決していいわけがないのだ、人間は互いにみんな生きて何かをしていく、「生き物」、なのだから。
2 7

コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年02月18日 00:54
    ニュースから失礼します 同感です。この事件の本質を捉えた意見は滅多にないと思ったのでコメントを残させていただきました
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年02月18日 17:29
    正しい・正しくないは、何らかの基準による区分けなので、正しい・正しくないと言い争っても平行線をたどるだけです。行うべきことは論理についての整合性であって、「何のために生かし続けるのか」について、植松聖は生かしておく必要性は無いとして始末することを実践しました。
    なので彼の行動に異を唱えるには、「生かし続ける」ための整合性の伴った論理が必要で、感情論では彼の論理には対抗できません。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年02月18日 18:36
    > mixiユーザー 人間は生き物は論理的に整合性のある裏付けがあるから生きているわけではない。 あなたも
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年02月18日 18:48
    > mixiユーザー 彼はどうするべきだったのかについてはつい考えてしまいます。コメントありがとうございました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年02月19日 12:41
    野生の生物は動けなくなる(自立できなくなる)ことは死を意味します。それは人間にも当てはまります。整合性のある論理とはこういうものです。整合性のない論理とは、そういう獣や人間は「何かが助けてくれるはずだ」というものです。時にはそういうことがあるにしても「常にそうとは言えない」ためです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年02月19日 15:55
    > mixiユーザー なるほど、そのあたりの話なんですね。

     色々進化して社会は保障やら余剰やらの領域がどんどん幅広くなって来てます。障害者も病人も老人もけが人もかなりの助けが行き届くようになって命の真実、あなたが言う整合性のある論理に乗っかった命、からは逸脱した手助けを必要とする命が存在すると言ってしまえる社会かもしれません。おそらく現場や当事者も困惑している場面は多々あるんだと思います。様々な矛盾や葛藤は間違いなく有るんでしょう。

     そのあたりの命の倫理みたいな議論はこれからだんだんと技術などがさらに進化発展すればするほどどんどん深まりを見せて行くんだろうと思います。もうすでにそういう社会の現実は割と多くの人々の間で感じられていますよね。 ただ、植松被告のような行動はあまりにも。

     彼はもっともっと慎重に冷静に社会に関わるべきでした。  と、自分は思っているんです。

     彼はまずはひとり手助けをやめてとりあえずそういう人を見捨てるという立場をとるだけで十分だったのではないでしょうか。


     整合性のある手助けを必要とする命の論理はこれからの話ですよね。


     あなたが何か先のことを考えて何かしらの回答のようなものを持っているのでしたら教えていただけませんか。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年02月21日 12:51
    > mixiユーザー  お忙しいとは思いますが。

     あなたが言う論理的な命と社会の構造が一致する世の中になれば、そちらの日記にあった三文芝居はおよそなくなると思いますが、現代は多くの暮らしが三文芝居の上に成り立って夢も希望も経済も回っている。

     植松被告はこの分野においては確かにそこへ一石を投じたと言える。しかしこのやり方ではせっかくの問題定義もあなたのようなタイプの人間か極一部の遺族や関係者にしか伝わらないでしょう。そしてこれでは死刑は妥当ということ。もったいない、という気持ちが自分にはあります。でも、やはり死刑が妥当です。あまりに乱暴で人の心には届くはずもない。

mixiユーザー

ログインしてコメントを投稿する

<2020年02月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829

最近の日記

もっと見る