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2019年10月14日12:19

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違和感

■台風対応の市職員死亡=避難所開設終え帰宅中−福島・南相馬
(時事通信社 - 10月13日 22:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5825276


 この巨大台風の避難所を準備していた職員が帰り道に増水事故に遭うというのは殉職というものではない気がする。

 水の危険を本当には知らないということだし、深夜の目が効かない状況についても認識が甘かったということだし、普段暮らしている地域の地形や特徴にも気が行っていないということだし、何か危険を察知する能力みたいなものから乖離していない限りこういうことにはならないように思う。

 現代日本人にこういう人は多いんだろう。みんなが仕事仕事と言って日々取り組んでいる何かも人間の生き物としての必要性に沿うものはそう多くはないような気もする。仕事だからと割り切って張り切る。割り切らないとできないことを毎日繰り返す。暮らせば暮らすほど概念に定められた目的を達成するというだけのお仕事に日々を費やすことになる。規則や習慣与えられた分の遂行そういうお仕事ばかり繰り返すことで概念が優先する思考が育つ。余剰に生きるのが現代人だからそれが当たり前だと言えばそれまで。何か簡単にわかりそうな事よりも周りの空気や自分の予定の方が先に立つ。そんな風に生き物としての人生と日々の暮らしが端から乖離している現代だからこそこういうことが殉職扱いで美談にもなる。
 死んでしまった人はとてもかわいそうだと思うけど、なんでそんな深夜の台風の中へ帰って行ったのかというその感覚がかわいそうで仕方が無い。そこへの違和感を抱く人があまりいないどころか殉職扱いすることが現代を象徴している気がする。みんな仕方なく自分を犠牲にして働いているんだと感じられる。

 社会を覆う説明しにくい閉塞感長引くデフレの本質は案外そういう一人一人の矛盾を一人一人が抱えたまま惰性で暮らしていることなのかもしれないというところまで思考が伸びて行く。今あるものから進路を選ぶという発想をいつ誰から教えてもらうのか知らないけど生き物として真っ当に生きることを考えた時に既存の暮らしが本当に役に立つのかどうか足元から心の芯から考えて景色をうのみにしないことが本当は求められているんじゃないのか。
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