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2019年05月19日21:58

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こだわるもの

宇垣美里が“自分貫く”理由「何にでもなれると思って飛び出した」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=5625447


 日昼TBSラジオを聴きながら仕事をしていて夕方6時になると歌丸が出て来る。ラッパーの。あっちはもうあの世なので当然、ラッパーの。宇垣アナもそこに出て来る。この時間になるとうちは夕飯時になる。

 荒川強啓がいなくなって日替わりで若手文化人が出て来るのが歌丸の前。この4月からラジオも大きく変化して、そして令和になった。歌丸は平成には既に出ていたけど。

 昭和44年生まれの50男は歌丸についていけない。

 嫌いではないんだけど、20〜30分聞いていると耳が別のものを欲するのだ。歌丸の声が聞こえて来なくなりテレビなどに切り替えてしまう。たいていNHKのニュース。無難だから。時々なんでなのかなぁと考えることもある。

 

 おそらく、情報化時代の令和、身から出るものよりも情報に傾倒する傾向にあるからなんだろうという結論に至る。


 宇垣アナも身から出るものというよりも情報にこだわっているように感じられる。時代の子なのだ。情報として発信された世界のどこに身を置くのかということに腐心する姿勢は、野蛮極まりない昭和の野生児からすると物足りない。端末が世界になる現代人はどうせ移り行くどこかの誰かの発信した情報という仮想世界に執着せざるを得ない暮らしを送っているように感じてしまう。即ちどうしてもこじんまりとした小手先の人生を送らざるを得ない。情報という誰かの過去を追いかける窮屈さに閉じ込められているという哀しみに包まれているようにさえ見えてくる。きっとこのことで心が離れて行くのが20〜30分という時間なのだろう。歌丸の早口は情報をどれだけ網羅するかということに腐心してのもの。一緒に出て来る相方も似たような人ばかり。これが時代なんだろう。番組はあと2時間半ほど続く予定らしいがもう聴こえて来なくなる。


 情報、そして、情報が作り出す、世界、みたいなもの。その原点には誰かが居てその誰かがその人の意識で切り取ったある世界が端末から垂れ流されて情報になることに若い人たちは気が付いていないと思う。気が付くことなく情報が作り出す世界を世界だと思い込んで追いかける。情報は誰かの意識を通過した跡。それはすでに過去なのだ。それは誰かが既に選別した生の世界の一部なのだ。この時代若者は誰かの意識の跡を追いかけるためにその貴重なあふれだす若い情熱を費やしている。


 宇垣アナもそんな情報に振り回される若い人の一人に見える。


 情報が紡ぎ出される前の生の世の中がどれぐらい広くて混沌としていて野蛮なものなのか。そしてその野蛮な世界からこの身を通じて出て来るその人なりの世界がどういうものなのか。その個性を追求することが情報の氾濫によってうずもれかけている。情報という誰かの過去が氾濫して仮想世界を形成する前、人生はそんな生の宇宙とのかかわりに満ちていた。生の宇宙、現実、それは音楽や芸術や言葉になる前の目の前の世界。何を見るのか何を感じるのかそこが個性なので、こだわるなら宇宙における個性にこだわってほしい気がしてしまう。いつだって今だって変わらなく宇宙は目の前にある。


 なんでも出来上がったものを覚えようとする世の中がきっと人間の大切な感覚を鈍らせる。いくら早口で情報を網羅しても、目の前の生の宇宙を相手に出来たことにはならないし個性に辿り着くことも出来ないだろう。


 宇垣アナなんかを見ていると、令和はどんどんそんな風にして人間が情報に閉じ込められて、人間の人生が誰かの過去に閉じ込められて、閉塞感がもっともっと蔓延して不自由になって行く時代になりそうな予感もする。


 情報、学問、規則、法律、教育、、、そういうものから距離を置くことは単純明快な健康な宇宙を正しく感じる生き物らしい暮らしに通じるのかもしれず、TBSがめざす情報に敏な都会人とは趣を異とする生活感が時代の閉塞感を突き破る可能性はあるんじゃないのか、そんなこともついでに考えてしまった、。


 
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