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2016年01月22日15:33

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信徒の方々に、OSHOと王仁三郎の奇妙な符号について語る

 19日、大本信徒連合会愛善荘での「出口王仁三郎聖師毎年祭り」でスピーチをさせて頂きました。OSHOと王仁三郎の足跡の奇妙な符号について触れながら、昭和の初頭に大本教がやろうとしていた弥勒降臨計画と呼応して、海外では神智学協会による弥勒降臨計画がクリシュナムルティを器として進められていたことを紹介し、また国内における、ナオと王仁三郎の火と水が交差する経綸が、世界的にはクリシュナムルティとOSHOとの間で繰り広げられたことを伝え、昭和3年3月3日の王仁三郎による弥勒下生宣言のちょうど60年後の昭和63年3月3日に、OSHOは天河神社で柿坂宮司を特使として任命、弥勒回帰の宣言を代読せしめたことに触れました。

 また『霊界物語』に描かれたスサナルノオオカミのいわれなき罪を背負って世界漂泊する姿は、罪もないのにアメリカで毒を盛られ追放され、世界をさすらったOSHOの姿とダブってしまうこと……OSHOのコミューンにも2度にわたる外部からの強い政治的弾圧があり、またOSHOが去ったあと内部分裂が生じたことも似ていることを告げました。

 この話が信徒連合会のみなさまにどのように受け取られたのかはわかりませんが、数名の方から、なぜハルヒさんがビジェイと組んで二人の月命日祭りを続けていたのか、やっとわかりましたとおっしゃっていただけました。

 式典は、畑で採られた新鮮な野菜と松の木が目立ちました……玉串もまた、榊ではなく松の枝が使われるのです。大本といえば、「三千世界一度に開く梅の花」のセリフとともに梅が前面に出る印象があるのですが、実は、松が重要なのです。「梅で開いて、松でおさめる」とも言われているように、松はシンボリックな面でも、実用的な面でもとても重要な存在です。

 式典の後は直会があり、それが終わると、ハルヒさんに連れられ、大本教関連施設を巡り、最後に熊野新宮神社にお参りして、その境内に建てられている歌碑とコンタクトしてきました。この歌碑は、王仁三郎が日本全国48箇所に建てた歌碑の第一号です。

 そして、OSHO瞑想の紹介は、この熊野新宮神社に隣接する会館で行われました。OSHOが残してくれた瞑想法の特徴をざっと説明したあと、みんなでナーダブラーマ瞑想を味わいました。

 

 

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