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2020年06月07日10:01

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大森荘蔵のエッセー「確率と人生」を再度読み返して考えてみた。

 なぜ私達は未来の予測をするのか? おそらく、そうしないと生き残れなかったからだろう。大森の言うように、私達はそのようにして生き残ってきたものの子孫に違いない。私たちは本能的に未来の予測をしたくなるのである。私たちの理性は明らかに、この世界を整合的なものとして把握したがっている。そして、私たち自身の行動も整合的であることが要請されるのである。しかし、未来のことは根本的に不可知である。それを前もって知ることは絶対できない。大森は、「確率を云々することは自分が生きる上での心構えの表現である」と言う。心構えというのは自分の理性を納得させるという意味だろう。確率が不可知な未来への行動に暫定的な合理性を与えるのである。暫定的というのは、もちろんその企図が外れる場合もあるからである。

 それにしても確率という概念はつくづく不思議なものだと思う。事前には確率は確かに意味をもっているように思えるのであるが、事後にはもはやその意味は失われている。結果が出てから確率の妥当性を云々することは、巌流島の決闘の後で、「本当は佐々木小次郎の技量の方が武蔵を上回っていた。」と言うに等しい。そのことを検証する手立てはどこにもないのである。
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