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2019年12月16日10:47

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不完全記号

 岩波文庫「ラッセルのパラドックス」(三浦俊彦)をやっと読了。内容は決して易しくないが、とても平明に説明している良書だと思った。特に後半の記述理論についての説明はとても勉強になった。

 私は約一年前に「『シューベルト』という名前はシューベルトに完全にぴったりと合う」という記事を書いた。以下にその内容を再掲してみる。

【 私はあるとき新聞のコラムで「ウィトゲンシュタイン」という名を知った。その時は20世紀を代表する哲学者であるとだけ知っただけで、その他のことは何も知らなかった。もちろんあったこともなければ顔さえ知らない。その後「論理哲学論考」を読み、何となく異彩を放つ哲学者であると感じ、オーストリアの大富豪の息子でありながら相続放棄をしただとか、兄弟が3人も自殺しているだとか、情報はどんどん蓄積されていった。人物像はどんどん変化していく。当然、最初に名前だけを知っていた時と現在ではまったく違う人物像になっているはずなのに、「ウィトゲンシュタイン」という名で指示される人物は一貫してウィトゲンシュタインその人であったという「感じ」がする。】

 固有名詞の働きというものに不思議を感じていたのだが、この本を読んでみてそのことに得心がいった。ラッセルによれば、日常言語の固有名というのは偽装した確定記述だというのだ。指示対象を厳密に規定する”論理的固有名”というものは、現実には存在しない。あくまで、それは不完全記号であるというのだ。
 よくよく考えてみればそれは当然のことに違いない。指示対象には保留部分が永久についてまわる。そういう意味で、厳密なコミュニケーションなどというものはどこにも存在しない。固有名が不完全記号であるからこそ、我々は円滑に会話できるということに思い至った。
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