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2019年12月09日10:21

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悪循環原理と排中律

 自己言及がパラドックスを引き起こす。悪循環原理によれば、不特定の全体に言及しなければ定義できないような定義が自己言及を生む、ということが分かった。ということであれば、直接自己言及したり悪循環となるような表現を、避ければ良いではないかという話なのだが、数学や論理学の世界ではそう簡単ではないらしい。排中律が悪循環原理に抵触するというのだ。

 排中律は任意の命題Pについて、Pまたは非Pであることを主張する。言い換えれば、

  『すべての命題は真か真以外である。』ということになる。

 問題は「すべての命題」に言及していることである。当然この『すべての命題は真か真以外である。』という命題そのものも、その「すべての命題」の中の一つである、というわけで自己言及が起きている。悪循環原理に従えば、「すべての命題」の集合は全体をもたないということになる。つまり、この命題も無意味であるということになってしまう。

 三浦俊彦氏によれば、『すべての命題は真か真以外である。』を「すべての命題」から独立に実在していると見做す理由は見当たらないと述べている。が、私個人の見解では、排中律のような論理法則は他の命題と同列に扱うべきではないのではないかと考えている。無矛盾律、排中律、同一律、モーダスポネンスのような論理法則は、私たちのアプリオリな直感そのものであり、その他の「すべての命題」よりも特権的な位置にあるように感じる。

 つまり、排中律は他の何よりも先んじて正しい。そして排中律が言及する『すべての命題』の中に排中律自身は含まれていない、と考えるのが妥当だと思う。あくまで個人的見解だけれど‥‥。
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