今日、10月22日は中原中也の命日である。82年前に29歳の若さでこの世を去った天才詩人は悲しい人であった。ある種の傲慢ささえ感じるほど自分の才能を信じている人であったが、世に認められるいとまもない短い人生であったのは残念である。
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘かはごろも
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠けだいのうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気おぢけづき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
悲しみが汚れるというようなことがあるだろうか? 実際にそのようなことがあろうはずはない。
本当のところは、中也は自分が汚れていることを自ら揶揄しているのである。風が吹きすぎても、小雪がかかってちちこまっても、倦怠のうちに死を夢みようと、なすところなく日は暮れたとしても、悲しみは汚れはしない。中也がみじめになればなるだけ、悲しみのその純粋さと透明さが際立つ、この詩の美しさはそういうところにあるのだと思う。
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