もう一つ納得いかなかった。
柄谷さんは、フェティッシュだとか「霊的な力」とかを合理的なものとして措定しようとしているのだが、そのアイデアに執着しすぎているようにも思える。哲学者の目から見れば逆説的でもなんでもないことを画期的なアイデアであるかのように錯覚しているかのようだ。
先日「『力』について」でも述べたが、あらゆる現象の背後には『力が働いている』という想定が可能である。問題はその「力」が例えば数学的なベクトルとして定義できて、「いろんなことを説明」できなければその存在論的意義はない。
柄谷氏は、交換様式Aには「呪術的な力」が働いていると言うが、その「呪術的な力」の具体性には全然触れていない。つまり、「呪術的な力がある」ということは「交換様式Aが成立している」ということの単なる言いかえでしかない。
彼は交換様式には4つのタイプがあり、どの交換様式が支配的であるかによって社会構成体の性格も決定されるという。
【交換様式】 【 力 】 【社会構成体】
A. 互酬(贈与と返礼) 呪力 氏族社会
B.再分配(略取と保護) 政治権力 国家
C.商品交換(貨幣と商品) 金の力 世界帝国
D. X 神の力 X
柄谷氏によれば、DはA,B,Cを廃棄するものとして出現するが、それは普遍宗教としてすでに表れているという。だとしたら、世界はいずれ神の国として統合されるのか? というようなことを決定的に言っているようでもない。分からないのはそれぞれの交換様式に働いている「力」がお互いにどのように関係しあうのかということだ。その辺を詳細に論じることが可能にならなければ、この理論の発展性はないだろう。
個人的な感想を言うと、A,B,C,Dは併存していきながら、Cが他の交換様式を圧倒し続けるような気がする。
ログインしてコメントを確認・投稿する