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2019年05月06日04:05

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226事件北一輝が書いた決起趣意書

リンク先より一部を抜粋して日記にします複数本

https://blog.goo.ne.jp/tennouheikano/e/39aed6927badba6e63289f5c6c79ef40

226事件とは陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こしたクーデター未遂事件ですが、自分達は天皇の軍隊であり天皇が頂点に政治をすべきであるとの主張です。

一見この時代においては正統な論理ですが、北一輝が関与している時点で皇室否定の共産主義思想を皇室と皇軍を利用した国家転覆であるといえます。

つまり陸軍内部にもっともらしい思想を持ち込み疲弊する青年将校の意識をマインドコントロールし、クーデターへと導いた事件であったと言えます。

日本人は情報戦に弱い、その原因は日本だけが万世一系の皇室をいただく純粋な国民であるという美徳は国外の不安定で極めて緻密な企みや謀略性には弱点と成り得るということでしょう。

それを見抜いておられた昭和天皇がここまで強硬な政治判断をなさったのも今思えば自然であり、まさに自然の猛威の様な国體を守ろうとする底知れぬ力をだされたと考えるのが極めて当然であり、

三島由紀夫が神格であるべき天皇が個人の意志を語ってしまっている事を批判していますが、混沌とした時代であるが故の共産主義にほんの僅か傾倒してしまったといえる批判であるのです。

青年将校に同情的な意見も当時から見られますが明らかに騙され操られていたことを考えますと、憎むべきは共産主義思想であることが殊更に肝に銘じることと、皇室、皇統を利用してはならないと言うことでしょう。

《昭和天皇の御発言》

【本庄武官長に対し】

「朕、自らが近衛師団を率いて、その鎮圧に当たらん」

「比較的早く事件が片付き、さしたる影響もなかった。本当によかった」

事件の翌年、1937年(昭和12年)の夏、昭和天皇は中島鉄蔵侍従武官に提灯を所望したという。中島侍従武官が幾つ、用意したら良いのかと尋ねると、「15個ほど用意するように」と仰せつかったという。そして、15個の提灯は御盆に人目の付かない軒先に吊るされていたと証言している。

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