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2019年10月10日17:35

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教諭いじめ 校長が会見し釈明

教諭いじめ 校長が会見し釈明
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5820054

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神戸市須磨区の市立東須磨小学校で20代の男性教諭が先輩教員4人から暴行などのいじめを受けていた問題で、同校の仁王(におう)美貴校長が9日、問題発覚後初めて記者会見し、7月に問題を把握しつつも市教委に報告しなかったことを認めたが、「隠蔽(いんぺい)の意図は一切なかった」と釈明した。一方、市教委によると、加害側の4教員は校内で教職員全体を指導する立場にあったといい、他の同僚が注意しづらい環境にあったとみられる。

 仁王校長は、昨年4月に同校に教頭として赴任し今春、校長に就任。7月までいじめの存在も知らず「ハラスメント行為に対する認識が甘かった」と対応の不備を認め、「児童、保護者に迷惑をかけた」と謝罪した。

 加害側の4教員のうち2人は校内でいじめ対策をする生徒指導の担当。学校側の聞き取りに、4教員のうちの1人は「自分が面白ければよかった。悪ふざけでやっていた」と話したという。

 被害に遭った教諭は昨年以降、30代の男性教員3人と40代の女性教員1人から「ボケ」「カス」などと暴言を浴び、今年4〜6月にはコピー用紙の芯で尻をたたかれ、みみず腫れができるなどした。

 被害教諭が校内で激辛のカレーを無理やり食べさせられたり、所有する車の上に乗られたりする動画や画像が残っており、仁王校長は9月に入手したと説明。動画などについて「すぐ市教委に渡した。絶対に許されるものではない」と涙を浮かべた。さらに、加害教員が被害教諭の学級の児童に、「反抗して学級をつぶしたれ」という趣旨の発言をしたとの情報があることも明らかにした。

 また今回の問題とは別に、仁王校長が教頭時代、教員から前校長のハラスメントについて相談を受け、これについても事実関係を調べているという。

 市教委は、全市立小中学校と幼稚園、特別支援学校計約300校・園で、教職員間の暴力やハラスメントがなかったか緊急調査する。【反橋希美、春増翔太、峰本浩二】
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この4教員には女性も含まれているそうで、明らかに言える事は、これは複数人だから起きた事で、おそらく一人ひとりでは決して起きなかったという事だ。

このように集団がゆえに起きた事件というのは、歴史には幾らでも転がっていて、枚挙に暇がない。有名なところでは山本直樹のレッドにもなった連合赤軍事件か。

いずれにしろ、人間の強さは集団の大きさによって決定する、これは群れを作る動物として本能レベルで根差してる自然、野性的な振る舞いであろう。だから、集団は幾つも生まれる。特に閉鎖的な集団の中では、幾つもの子集団が生まれるはずだ。

さかなクンが指摘して有名になったように、魚でも狭い空間に多くを入れると、互いに攻撃しあうという。エヴァンゲリオンでは、ヤマアラシのジレンマだとか、ATフィールドという創作を持ち込み、人の孤独と集団を主題として作品の原動力とした。

集団が人類では、国家を生み出す。国家の体制については何千前年も前から多くの人々が考えを尽くしてきた。そして、最終結論が今も出ていないのは世界を見れば分かる。

強い集団に加わる事は、自分の立場を上げる最も簡単な方法である。一方で、自分自身を守るためにストックホルム症候群を起こす場合もある。いずれにしろ、集団が暴力組織に変遷するのは、多分に中心人物の個体に依存する部分が大きいと思われる。そういう人間の心理については、既に研究し尽くされていて、恐らくは名前もついているだろう。

人々の行動は、場の空気や同調圧力によって、エスカレートしやすい。それは集団内においても競争原理が働くので、Aの行為に後発のBはそれ以上の結果を目指そうとするからであろう。だから小さな暴力が、すぐに大きくなるのは自然だ。それがどの程度で、飽和するか、それとも歯止めなく増長して、遂には殺人まで進むのかは、全くの偶然、運というしかない。

人間は最終的には地球人であることを誇りにすればいいと思うが、当然であるが、我々は簡単に国を誇りに思う。ノーベル賞を受賞する人がいれば、日本人の誇りなどと簡単に言う。

もちろん、家族や親せき、友人、同僚、同じ企業の人には、喜ぶだけの理由がある。嬉しいと思うのは当然である。だが、さて、誇りに思うか?そういう人は、その友人を誇りに思うか?それは英語でゆう所の i am proud for you とは違う。

自分のアイデンティティを赤の他人に託すな、という話がある。八木宇田アンテナが日本人の誇りと語っている人がいたが、あのアンテナが示すものは、日本人の一部には世界的にも優れた研究者がいるという事で、と同時に大部分の日本人が間抜けでどうしようもない連中である、というだけの事である。どこが誇りなのか理解できない。

もし違う場所で出会っていたら、こんな犯罪者になる事もなかっただろう。何かが、彼らの闘争本能を解放した。そうしなければ、群れの中で自分たちの立場を維持できなかった。そういう恐怖心のようなものが背景にあったのだろう。何が、その恐怖心であったかは知らない。

だが、たまたまそこに居た人が目を付けられ、対象となった。対象がいる事が、彼らの団結力を強化する。それが帰属意識を明瞭化する。それが自分たちの幸福感を上昇させたのは間違いない。なぜなら、そういう状態の場合には脳の中で快楽物質が放出されただろうから。

そういう意味ではこの事件に面白みのある部分はどこにもない。あくまで無意識的で、野性的で、たんなる集団内のでも脳内物質の放出に従っただけの事件だ。それがある時から依存症的なものになっただろうとも考えられる。

熊が街に降りてきたら射殺される、それと同様に考えれば、これが人間でなければ処分される程度のメカニズムしかない事件のはずである。だが、逆に言えば、だれもがこの四人の中にいた可能性がある。

前校長に相談した教師の存在が異質であって、それでも前校長は間抜けであった。だから事件はそれからも続いた。なめられていた、といっても過言でない。そして、今もなめられていたという事に気付いていないように思われる。

集団のトップに立つ人は、たとえば、邦画のような下らなさの極致のような作品であれ、それを率いる監督やプロデューサーは、500人近い人を率い、全員を一つの目標に向かって走らせなければならない。はねっかえりの女優だの、道徳の欠片も持たないような俳優も含めて、野心と金に群がる連中である。何かあれば、写真を撮って、ゴシップ紙に売り渡すのに何のためらいもない人々も含まれるのである。こういう人々を率いるのは本当にしんどい仕事だと思う、そして、強靭さが必要なのだ。そういう群れを率いるというのは、そりゃ一匹狼なんかにゃ絶対無理なのだ。つまり、力がどうであれ、必須のはずなのだ。

なめられたらタダじゃおかない。これは何も反社会的な集団だけの専売特許ではない。どのような組織でもそうである。エマニュエルトッドが指摘する、平等主義核家族、直系家族、外婚制共同体家族、絶対核家族などの家族内にある平等と階層の関係が、そのまま社会システム、政治体制にまえ敷衍できる点で、人間の集団というのは、あくまで幾つもの類型化が可能であり、それを決定するのは、自然であったり周囲などの外的要因への対応が誕生した理由であろう。

学校というシステムであれ、官僚であれ、大企業であれ、多くの競争原理の中で這い上がってきた人たちが上に立つ。そういう人たちは、当然だが戦い方も知っていれば、勝つという事も知っている。だが、それだけの戦いを潜り抜けてきた人たちでさえ、それとは違う戦い方をされてきたら脆い部分がある。どんな人でも自分の知らない戦い方をされたら必ずしも勝てるとは言えない。

ゴルゴ13だって、将棋で勝負を挑まれたら、そこいらのおじさんにも負けるのである。同様に、勝負の世界で生きてきた、その世界で培った勝負勘というものは、他の戦いでも役に立つ、という話はある。だが、それは逆なのである、他の戦いをしている人の考え方が自分の戦いにも役に立つという事があっても、自分の戦い以外の場所で自分も戦えるという訳ではない。

だから、自分の知らない競争原理、闘争が発生すると簡単に陥落する。関西電力ほどの大企業が簡単に福井県高浜町の助役に翻弄される。たかが一万人程度の町である。下手をしたら、関西電力の全グループ企業、関連企業の労働者の数より少ないのである。町の予算と関西電力の売り上げを比較しても到底相手にならない。どころが、簡単に言い負かされている。おそらく彼らの知らない戦い方を繰り広げられたからだ。

官僚たちは、官邸の意向に逆らえない。法律があろうが、なかろうが、言いくるめられてしまう。法律に違反している?それを言えるのは裁判所だけだよ、問題があると思うなら、裁判に持ち込みたまえ、その結審まで君が無事に退官できたらいいね、くらい言われたら、官僚は戦い方を知らない。

逆に言えば、官僚たちも法律に従わなくても、官邸を従わせる方法を得た。分かりました、この議事録をすべて公開します、その一言で官邸は何も言えなくなる。では、議事録はなかったことにして報告しておきましょう。なに、何か問題があれば、どこかのロッカーから見つかったとでも釈明すればいいのですから。

世界中で、これまでの戦い方、自由と民主主義、平等と共産主義というイデオロギーの冷戦構造が終わった。この対立は、マルクスが仕込んだ資本経済が100年長らえる施策であった。だから、冷戦の終焉とともに資本主義は人間に牙をむく。資本主義もまた、貧しい人々から搾取する効率的なシステムに変わりつつある。敵対する人々がいなくなれば、自分たち自身を攻撃し始める、人間の免疫システムにさえ見られる一般的な行動である。

さて、新しい世界は、どのような戦い方を要諦しているのか、経済的搾取、は余りに悲しい結論である。それ以外の何かだろうが、それもまた人間という動物がもつ、野性的自然的なものに根付くと思われる。



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