このまま寝てたら明日も忘れてたかもしれない。
2月22日。
去年の今日。
令和2年2月22日。
覚えやすいんだけどね。
夕飯の頃、妹の旦那からラインあって思い出した。
今でもあまり実感ないんだよね。
同じ市内に住んでるけど、お互い家庭があってそれぞれ生活してたし、顔を合わせるのは正月とかゴールデンウィークとかお盆とかぐらいだったし。
そうか。
もう一年か。
ガンが見つかったのは平成30年春。
再発が見つかったのが令和元年夏。
12月で抗がん剤治療を止めた。
今まで会いに行くこともなかったし、電話で話することもなかった。
メールもラインも知らない。
何もしてやれないし、何を話していいのかわからないし、どんな顔して行っていいのかもわからなくて、直接連絡することはなかった。
僕の背中を押してくれたのは前に付き合っていた彼女だった。
わたしが妹さんの立場だったらやっぱり嬉しいと思うって。
妹にはじめてショートメッセージを送ったのは11月で、後から聞いたけどその頃は比較的体調が良かったそうで、旦那や子供と遊びに出掛けたりしていたらしい。
そして、12月に治療を止めた。
正月は実家で2年ぶりに顔を合わせた。
痩せてはいたけど思ったより元気そうで、ウィッグだったけどショートカットの髪型がよく似合っていた。
小さい時から中学生ぐらいまではずっとショートカットだったから僕はその方が妹らしくていいなと思った。
1月の下旬に余命宣告を受けた。
この時も彼女が僕の背中を押してくれた。
会いに行ってあげてって。
毎週仕事が休みの日に行くことにしたけど、妹の体調は一気に悪くなっていった。
2回ぐらいは妹の家に行ったかな。
よほど痛みが耐えられなくなったようで入院したと連絡が来て、仕事が終わって病院に行った。
病院と言っても治療はしない。
それでも冗談も話せるし笑顔も見られた。
次の日も会社の帰りに病院に行ったらバルーン着けてモルヒネか何かの点滴がされていた。
半分眠って半分起きてるような感じ。
それでも僕の話に突っ込みを入れて笑わせるぐらいだった。
明日病院に行く時はバルーンが隠せる袋を用意して行くつもりだった。
その日の深夜に息を引き取った。
20数年ぶりに妹の手を握った。
子供の頃が思い浮かんで涙が溢れた。
妹が高校生のころ喧嘩して強く顔を叩いてしまったことがある。
ずっと後悔していていつかあの時の事を謝ろうと思ってたのに、直接伝えられなかった。
現実にもう二度と生きてる妹には会えない。
自慢じゃないけど41才の年齢よりずっと若く見えて可愛い妹だった。
ごめんな。
全然いいお兄ちゃんじゃなくて。
あ、そうか。
それでか。
5日ほど前に妹の夢見た。
内容はほとんど覚えてないけど、僕の部屋に何故か妹の写真があって、誰の写真て聞かれて妹の写真て答えた。
可愛いだろって得意気に言ってたわ。
彼女には本当に感謝してる。
彼女がいなかったらもっと後悔してると思うから。
来年も忘れてるかもしれんな。
一年なんてすぐ経ってしまうから。
あなたはいいお兄ちゃんだったんですよ。じゃないと夢で帰ってきません。妹さんは痛みや苦しみから解放されて今自由にやってるよって報告に来たんです。月並みな言い方ですが、思い出の中でいつまでも生きてるんです。覚えている限り生きてるんです。
ありがとうございます。
妹は本当によく頑張ったと思います。
生まれた時に少しだけ障害があり、小さな時に数回手術を受けていました。
大きくなる頃には全くわからない程度でしたが、女の子ですから辛い思いもしたと思います。
結婚した矢先にある病気になり子供が出来なくなるかもしれないと不安になったこともありました。
それでも二人の子供に恵まれ子供達の成長を楽しみにしていました。
妹の代わりにはなれませんが甥っ子達の成長を見守っていきたいと思います。