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2020年05月08日10:23

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(再掲載)気になった記事を2つ転載します

山梨・高速バス移動女性の新型コロナ陽性発表・報道に見る「私刑」の構図

https://news.yahoo.co.jp/byline/fujiiryo/20200505-00177040/

5月2日に山梨県が発表した新型コロナウイルス感染症で陽性となった20代女性の公表により、テレビ各局が報道。その行動が問題視されている。ネットでも「同情の余地は一切ない」「もはやテロリスト」「もう逮捕でいい」といった声が上がっている。

 まず、県の発表を見てみると、以下のように「症状・経過」と「行動歴」が記されている。

(6)症状・経過

4月26日〜 味覚・嗅覚異常。

5月1日 帰国者・接触者相談センターに相談。帰国者・接触者外来を受診。

5月2日 PCR検査の結果、陽性判明。
現在、自宅で待機中。現在の症状はなし。

(7)行動歴(発症前 2 週間以内の渡航歴:なし)

〜4月28日 東京の勤務先に出勤。

4月29日 高速バス(15:15 バスタ新宿発山中湖旭日丘行、京王バス)で県内の実家に帰省。(新宿で乗車、富士急ハイランドバス停で下車、親族の運転する自家用車で帰宅)

4月29日〜5月1日 友人(56例目)と複数回接触。

4月30日 県内の友人宅でバーベキュー。

5月1日  整骨院を受診。友人とゴルフ練習。

5月2日 高速バス(9:25 山中湖旭日丘発バスタ新宿行、京王バス)で帰宅。(富士急ハイランドバス停で乗車、新宿で下車、徒歩で帰宅)

出典:新型コロナウイルス感染症患者の発生について(県内55例目)
 高速バスの移動と友人との接触により感染が広がったことが記載されているのはいいとして、友人宅でバーベキューしたことや、整骨院に行って、ゴルフをしたということは、新型コロナの感染予防という観点から言えば発表する必要がなかったのではないか。濃厚接触者が11人中10人が陰性だったということを発表すれば済むことだ。ちなみに、山梨県の発表でここまで詳細に行動歴が記載された例は他に見当たらなかった。
 県は後になって女性への批判や中傷が「インターネット上で」起きていることに対して、「女性や家族に配慮してほしい」としている(参照)。が、そもそもが行動歴をここまで明らかにしなければ済むことだった。また、ネット以上にテレビなどのマスメディアでの報道が、批判へのトリガーになっている。

 例えばUTYテレビ山梨は、県の発表をそのままストレートニュースとして報道している。

 都内と山梨の実家を往復した20代女性の新型コロナ感染者の濃厚接触者 11人中10人が陰性 ゴルフの練習をしていたことが判明 (UTYテレビ山梨)

 ネット配信の記事に関しては、同局のサイトだと「新型コロナ感染者の濃厚接触者 11人中10人が陰性」となっている。つまり、Yahoo!ニュース向きにタイトルを変えている。明らかにネットでのアクセスを意識した変更と言えるだろう。この記事を発端にTwitterなどのSNSで陽性女性への批判が増えているから、その試みは(悪い意味で)「成功」したことになる。

 さらに、デイリースポーツは5月4日に「山梨・女性が感染判明後に高速バス、虚偽も…TV一斉報道、ネットに厳しい声多く」とテレビ局の報道とネットでの反応のまとめ記事を配信。産経新聞も「山梨帰省女性 整骨院→PCR検査→ゴルフ練習→男性と会う」とまるでネットメディアのようなタイトルの記事を出している。
 最近、テレビ朝日『モーニングショー』のまとめ記事を出すことが日課のようになっているスポーツ報知に至っては、コメンテーターの玉川徹氏が「自分の車で帰るとかだったらいいのかもしれないですけど、公共交通機関を使うという事も問題点。もしかすると、法律でそういう風な事に対しては、罰則がある法律を作ってもいいのかもしれないですね」という発言をタイトルに入れている(参照)。

 ここで、この女性を擁護する意図はない。だが、犯罪を犯したわけでもないのにテレビ各局が時間を割いて報道して、それがネットでのバッシングを呼び起こしているというのは明らかにやりすぎだ。移動の制限といった法律を提唱するなど論外とはいえ、まるでロックダウン(都市遮断)を国民が望むようにマスメディアが誘導するというのは、それこそ政府・行政の私権の制限を容認する空気を醸成しかねず、非常に危険だ。
 今回の一件は、一見ネット上での「私刑」の広がりが問題視されている(少なくとも山梨県はそう呼びかけている)ようでいて、実はメディアが率先して「私刑」を行いさらに煽るという構図になっている。もっと言うならば、新型コロナでひとたび陽性と判定されたならば、誰しもがプライバシーを配慮されなくなるということだ。本来ならば「自粛」という言葉で行動の自制を「お願いする」という行政の姿勢について議論すべきところを、叩きやすいところを叩いて、視聴率なりアクセス数を稼ぐというメディアの「暴力」を目の当たりにしていると感じるべきだろう。




2つ目

心のウイルス

https://s.japanese.joins.com/JArticle/262078?sectcode=120&servcode=100

中国武漢近隣で発生したことが分かった新型コロナウイルスで韓国各地が落ち着かない。目に見えることも触れることもできないウイルスが、私の周辺の誰かの衣服の一部についていて、それが私の家族と隣人を狙っているという考えこそ怖いものはないだろう。さらに、それが初めて見つかった「新型」ウイルスというもの、その正確な破壊力や伝播力、そして伝播経路さえも分かっていないという事実、すなわちその相当部分がまだ私たちの無知の領域にあるという事実はこのような恐怖をさらに大きくしている。

私たちは思いがけなくふと、すでにお馴染みの心のウイルスに感染している自分自身を発見する。不安、恐怖から始まり、嫌悪、排除、扇動につながる選挙工学も観察される。感染させるのはウイルスの仕業だが、感染して伝播するのは人のやることという意味で、根本的に疫学は社会的で政治的であるという事実を再確認する。新型ウイルスに対する恐れが潜伏していた、もしかしたらそれよりも何倍も恐ろしい心のウイルスを猛スピードでまき散らしているといえる。

おそらく最も深刻なのは人種主義という心のウイルスではないだろうか。たとえば、青瓦台(チョンワデ、大統領府)国民請願掲示板には「中国人入国禁止要請」という請願が1月23日に投稿されてから、60万人に迫る人々が署名に参加した。また別の請願は韓国国民も中国に出港できないようにしてほしいという内容を含んでいる。相手国がどこであろうと外交・通商と国際法を全面的に無視して、ある日突然両国間の出入りを一方的に遮断できる改命した現代国家はない。ちょうど北朝鮮は中国との出入国を全面的に遮断したと伝えられた。

これに足並みをそろえるようにして、韓国メディアも中国と中国人とその食文化、いや文化全般を新型ウイルスと関連づけて報道するのに忙しかった。武漢の伝統市場通りとソウルの大林洞(テリムドン)チャイナタウンの「衛生状態」に対するルポを書いて出す一方、ある中国人がコウモリを食べる映像がネット上に公然と出回ることもあった。しかし、コウモリが新型ウイルスの宿主という内容はまだ仮設の段階であり、該当の動画は3年前、それも太平洋制度のパラオで撮影されたことが分かった。新型コロナウイルスと全く関係がない、中国人に対する人種主義的嫌悪が報道の主題だった。

社会科学研究は、過去の原初的で露骨な人種主義が現代社会では象徴的かつ潜在的人種主義として進化している場面をとらえている。自分とは違うから嫌いなのではなく、嫌悪の理由を探して正当化するということだ。そのため米国の主流層はこのように言うだろう。自分と違うから嫌いなのではなく、彼らは努力しないでいいところだけを取り犯罪を犯して機会を奪っていくから嫌いなだけだと。同じ論理で誰かはこう言うだろう。外国人だから嫌いなのではなく、雇用と生活の基盤が奪われるので外国人労働者を排斥するのだと。中国人だから嫌いなのではなく、彼らがきれいとはいえない生活環境の中に暮らしていて病原菌を移してくるから嫌なのだと。もしかしたらもっと深刻な病原菌とウイルスは我々の心の中の人種主義かもしれない。

こちらで人種主義は規範的に正しくないという話をするつもりはない。もしかしたら人間は誰でも、自身と異なる他人と彼らの馴染みの薄い生活様式を恐れて拒否するようにプログラミングされているのかもしれない。もしかしたら子どもの頃に、教科書で「純粋で高潔な白衣民族」の叙事を読んだ瞬間、すでに心の中に境界線が深く引かれてしまったのかもしれないからだ。しかし、それが人種主義として爆発的に発現することは問題を少しも解決できないどころかむしろ悪化させるだけだ。

人種主義ウイルスのもう一つの変種は排他主義でもある。自分と他人の間に境界を引く基準も、実は思っていたほど明確ではないということを私たちは武漢から帰国する海外同胞を見つめる一部の視角を通して今回いやというほど知ることになった。チャーター機に乗った人々が降り立つ場所を見つけられないこの共同体は誰の共同体なのか。彼らは私たちの中にいるのか外にいるのか。悲しみと苦しみを共感できず、相手に対する嫌悪と恐れだけ残った場所に共同体が入る場所はない。

嫌悪と排除のウイルスが荒れ狂う場所で、それを滋養分とする政党と候補がいるということは選挙工学が証明している。与野党問わず、これを近づく総選挙の選挙運動の一環として考える予備候補の政治的未来は、実際にはいますぐ予測するのは難しいが、選挙が嫌悪と排除によって蚕食された場所から健康的な政策的議論が消えるのは確実だ。そして、嫌悪と排除のウイルスが通り過ぎたところに、共同体は破壊されて塵のような個人しか残っていないだろう。


(転載は以上です)


最後に 何かを「感じて」ください











■「さらし上げ見せしめに」感染女性中傷に山梨県が対策へ
(朝日新聞デジタル - 05月08日 09:39)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6074446

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