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2020年05月08日07:05

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Yahooニュースと それに関するコメントを転載します

監視、嫌がらせ、吊し上げ――自分の「正義」が暴走する「自粛ポリス」の心理

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200507-00010000-ytokushu-soci&p=4


緊急事態宣言や外出自粛要請が出るなかで、「自粛ポリス」の存在感が日に日に増している。店舗に貼り紙をする、県外ナンバーの車を監視する、バーベキューの写真を投稿した個人のSNSを晒す、芸能人がSNSに投稿した写真の粗探しをする――。こうした嫌がらせだけでなく、無自覚に行う相互監視も含まれる自粛ポリス。「他罰する快楽」に溺れてしまう人々が後を絶たないのはなぜなのか。緊急事態が私たちの心を蝕み、「ポリス化」する背景を探った。(取材・文:山野井春絵/Yahoo!ニュース 特集編集部)

監視、嫌がらせ、吊し上げ――自分の「正義」が暴走する「自粛ポリス」の心理
碓井真史さん

「正義」だから堂々とやってしまう
「ちょっと喉がつっかえてゴホンと言っただけで、『コロナだ! あっちいけ!』となる。県外ナンバーの車も、本当はどこからきているのか確かめる術がないのに、『とにかく危なっかしい奴らは出ていけ』。店の貼り紙も投石も、自粛ポリス的な発想の人たちには『正義』ですから、堂々とやってしまうんです」

社会心理学者の碓井真史さんは、「自粛ポリス」とも呼ばれる人々の心理をこう分析する。

「生活への不安や欲求不満で、攻撃性が高まるんですね。みんな、イライラをぶつける相手を探している。それが家族への八つ当たりだったり、県外ナンバー車の監視だったり、お店や役所への文句なんでしょうね。ある意味、私たちの中にある防衛本能でもあるんです。不安が高まれば、自分を守りたくなる。それが『よそ者』への攻撃に向かっていくんです」

今、日本中に広まりつつあるのは、人それぞれの「正義」だ。非常時に人々がパニック状態になり、よそ者や少数派を攻撃する心理は、SF映画などでもよく描かれてきた。理由を探し出し、独自の正義感から悪に対して鉄槌を振るう。

「コロナ禍の現在は、県外ナンバーも、人が集まる商店も、少し咳をしている人も、仲間ではなく敵。『敵は追い出さねばならない、それが正義だ』という発想です。それを受けて、感染した人が『申し訳ない』と謝ってしまう。心に余裕があれば、他人を攻撃する必要はない。病気への不安、経済的な不安から、『他人の行動が許せない』という怒りを増大させていると思います」

損をしてでも相手を貶めたい
「何でやってるの? 休場にしろよ」(原文ママ)

ツイッターで、こんなダイレクトメッセージを送られた弁当店もある。

SNSでの誹謗中傷は、毎日止むことはない。すでに多数の裁判事件になっているのだが……。

「人の感情は『比較』なんですよね。相手と自分とどっちが上なのかっていう風に考えると、損してでもいいから相手の収入を減らしてやれ、っていう発想になる。SNSの誹謗中傷も貼り紙行為も違法行為になりかねませんが、リスクを冒してでも相手を貶めたい。当人にとっては正義の鉄槌なんです。正義のためなら、違法なことも許されると思っているんです」

公園で遊んでいる子どもたちが、白い目で見られてしまうこともある。

「科学的な根拠は特になく、目にした情報を集めて、自己流のルールを作ってしまう。絶対に私は正しいぞ、と思っている。自分の気に食わない情報は排除する。自粛ポリスの考え方は、こういうものです。非常時では、普段隠れている偏見や差別が出てくることもある。でも、これは、ほとんどの人たちにも当てはまる。パーソナリティーって結局、環境次第なんですよ」

監視、嫌がらせ、吊し上げ――自分の「正義」が暴走する「自粛ポリス」の心理
写真:つのだよしお/アフロ

SNSで攻撃性は伝染する
芸能人のSNSにも異変が起きている。レジャーや優雅な暮らしぶりが「不謹慎だ」と叩かれるため、写真公開時に「これは緊急事態宣言の前に撮ったものです」といったエクスキューズが見られるようになった。

「芸能人は、いわば『反撃してこない隣人』。だから、自粛ポリスの正義からすれば、攻撃しても良い相手ですよね。居酒屋で芸能人の悪口を言っても何の問題もなかった。でも、それをネットの公の場で言うことの意味を自粛ポリスは理解していない。心の奥底にある攻撃したい思いと、攻撃できるターゲットがそろった時に、自粛ポリスが発生する。それがこのコロナ禍で、条件が揃ってしまっているのかもしれませんね。そして伝染していくんです」

自粛ポリスに近い心理を誰しも抱きうる、とも碓井さんは指摘する。冷静に他者とコミュニケーションを図るには、どうしたらいいのか。

「人間の思考回路は、『近道的な思考回路』と『遠回りにゆっくり考える』という2通りだと心理学では考えられています。例えば『ドイツ人は真面目だ』とか『アフリカ系アメリカ人はリズム感がいい』みたいなのが近道な考え方。実際には、真面目じゃないドイツ人も、特に音楽が好きではないアフリカ系アメリカ人もいます。ゆっくり考える思考パターンに戻せば、短絡的な思考を離れて冷静になれる。まずは『心の中のパニックを沈めろ、落ち着け』です。情報から離れることも一つの手段でしょう」

短絡的な行動をする人たちを頭ごなしに責めるのは効果的ではない、と碓井さんは言う。

「『なるほど、あなたの考え方はごもっともですね、今はこういう時ですしね。でも、ちょっとゆっくり考えてみたいですね』という共感的な対応が必要だと思っています」

デマという「情報ウイルス」
今年のゴールデンウイーク中に放送された「サザエさん」(フジテレビ系)に、家族でレジャーに出かけるシーンがあった。それが「不謹慎だ」と「炎上」したという一部報道があった。実際には、せいぜい「ボヤ」以下だったのだが、こうした一部メディアの大袈裟な「炎上」報道が、本物の炎上を呼ぶ危険性も指摘されている。ネット上の自粛ポリスと、それに便乗するマスコミ。この構図について、SNSコミュニケーションに精通するブロガーの徳力基彦さんはこう分析する。

「テレビの場合は、視聴者が数百万人の単位。そのうちツイートする人が仮に1%だとして、そのうちの1/10がネガティブな投稿をしたら、数千件はネガティブな投稿が出る。メディアからすると、『これはまとめれば炎上に見えなくもない』っていう状況が、実は毎日起こっています。ただ、それを炎上と呼んでいたらキリがない。マスメディアの世の中の取り上げ方もポイントです。発信をしている人間のレベルアップが求められていると思うんです」

監視、嫌がらせ、吊し上げ――自分の「正義」が暴走する「自粛ポリス」の心理
写真: AP/アフロ

出来事を伝えようとするとき、どうしても伝える人のバイアスがかかる。ネットを素材に、賛否両論の出来事を都合よく加工しやすい時代になっている、と徳力さんは言う。

「毎日ネガティブなニュースの爆撃を受け続けていたら、どんなに精神的に健全な人でも、やっぱりメンタルがやられると思うんですよ。特にコロナ禍の現在、たいして炎上していないのに『炎上』と書くのは、今はやめませんか、と言いたいですね」

背景には、日本でのメディアリテラシー教育の遅れがある、と徳力さんは指摘する。

「メディアリテラシー教育では、『メディアの報道は間違う可能性がある』という前提を基本とします。ただ、日本はメディアが正しいのが前提になっている人が多く、間違った報道を信じてしまいがち。当然、個人でも間違った情報を発信することがあるわけです。去年、常磐自動車道での煽り運転事件のとき、『犯人と同乗していた』と別の人の名前がネットで書かれてしまったように。リツイートですら、責任ある行為だと認識しなきゃいけないんです」

ついつい、目にした情報を是としてLINEで知人に回してしまったり、ツイッターの情報も気軽にリツイートしてしまうものだ。

「『正義感』なんですよね。いい話を聞いたから教えてあげようっていう、その行為自体は正しいと思うんですよ。でも、『情報ウイルス』にも人間は犯されやすくなっているんですよね。情報リテラシーが低いから、デマに感染するとすぐに広めてしまう」

それを防ぐためのリーダーシップを、政治や企業がとるべきだと徳力さんは語る。

「自粛ポリスとして活動する正義感があるなら、その力を本当に困っている人を救うことに使う方法を彼らに提示してあげるべきだと思います。『何かやりたい』というエネルギーの向け方が何も提示されずに、『Stay Home』だけになっちゃうと、持て余す人がいるのはある意味当然。自粛ポリスのエネルギーをいい方に使えるように、困っている人と自粛ポリス的な人を、インターネットの力でつなげることはできると思います」

緊急事態宣言は5月末まで延長され、政府の専門家会議が提示した「新しい生活様式」という言葉が話題を呼んでいる。今は新しい常識を作ろうとしている時間なのだ、と碓井さんは言う。

「以前は『列は詰めてください』が常識でした。今は、『少し距離をあけましょう』となってきている。でも、何が正しいマナーなのか、まだみんながよくわかっていない。みんな自分は正しいと思っていますから。でも、携帯電話のマナーのように、新しい常識が確立されていくはずです。それまでは、まずは意識できる人たちから、共感的なコミュニケーションを積み重ねていくことが大切だと思います」


以下 Yahooコメントです

日本にはそういう人間って多いと思いますよ。
学校の道徳教育で差別はいけないって学びながらも、そういうことって平気でするでしょ。
やってる本人には、そういう自覚なんてないんですよ。
そもそも一個人が他人の考えを変えさせるって事自体が傲慢ですよ。

マスコミの報道の仕方にも問題がありますよね。
軽率な行動の結果、感染した方ももちろんいます。そして、そのような方をあまりに報道すると、感染した人すべてに落ち度があるように受け止められます。けれど、多くの方は気を付けて生活していても感染してしまう。それがこのウイルスの怖いところですよね。過剰に「ウイルスとの戦い」と強調すると感染した方を敵と見なす心理が働くとも言われています。
こんな時だからこそ、他人の立場に立って物事を見られるように、自分の言動が誰かを傷つけないか、無意識にストレスのはけ口を探していないか等、深呼吸して心にゆとりを持ちたいです。


弱いものや抵抗しないものには向かっていくけど、強いものや権力には向かっていかない。むしろ強いものの側に立って叩く。
そして、情報化時代の匿名性が拍車をかける。
でも、そんなのは「正義」とは言わない。ストレスのはけ口を探しているだけ。錯覚による高揚感を満たしているだけなのでしょう。
誰もがそこに陥るかもしれないのだから、自分も気を付けなければいけない。

私の知人も、元々はボランティア活動をしているような人だったのに、自粛ポリスになり、正義の成敗屋さんになっていきました。
最初はコロナ関連の周知だったのが、いつの間にかお店の冷蔵庫のドアを長く開けているから注意してやった!とか、地元のスーパーで便利な場所に駐車しているのが県外ナンバーだ!とか。日々、それがFacebookで知らされるのが不快になり、距離を置きました。
冷蔵庫のドアを長く開けないと、力が弱くて品物を取れない人かもしれません。
私の父は単身赴任なので、県外ナンバーで他県のスーパーを利用しています。
それぞれに事情がある場合もあります。

たお年玉を使ってフェースシールドを作って、自分の通う歯科医などに50個も配ったそう。
またとあるお店(個人店だと思います)ではレジでのお金の受け渡しを避けるために自分の大事なおもちゃの電車を使ってと言った子供も。
どちらも夕方のニュースで紹介されてたのですが、自粛信者の狂った大人より子供のほうがよっぽど強く賢いなぁとつくづく思いました。
監視や嫌がらせや吊し上げで悦に入るなんて大の大人が恥ずかしいと思います。

正義感面しているが、面と向かって
相対せず、よしんば、相対しても客と店員など、
反撃されない有利な条件を選ぶ時点で
そいつのレベルはたかが知れている。
ヤフコメで自分と違う意見に絡んだり、
アンチ活動をしている奴も大体、同類なんだろう。
インスタを見ると絡み傾向の不謹慎狩りを
警戒して撮影時以外はマスクをつけていますとか、
2019年何月の撮影ですと書いているのを見ると
何だか殺伐としているなと感じてしまう。


警察に通報したり、SNSに勝手に写真をアップしたり、そういう連中はどうかしていると思うけど、最大の自粛警察はワイドショー。
わざわざ非難されるようなシーンを切り取って報道して、ワイドショーの報道を信じてしまう視聴者を煽っているのは自粛警察に他ならない。
報道も過度に不安を煽る一方で、あの存在は百害あって一利なし。

嫌がらせと言うより、やった人は歪んだ正義感を持っているのではないかな?
パチンコ店の前で拡声器を持って訴えている人も含め

「自分は自粛しているのに何でお前は自粛しないんだ」と思っているが故に歪みが生じて変な正義感になり、それが強要や脅迫になっている事が欠落してしまっている

こういう歪んだ正義感は後に他人へ危害を加えたりする様になるから、ある意味こういう行動をする人は危険因子

そもそも、こういう行動をする人は自粛要請の内容を理解して無さ過ぎ
思い込みや被害妄想が激しく自分が可愛いだけの偏屈者

正義ではなく不義である事を理解してもらいたい


震災や豪雨被害の時には、みんな、こういう時こそ助け合おうといった、素晴らしい雰囲気が醸成されていたように思う。
今回のウイルス騒ぎは何故、こんな雰囲気になってしまったのですかね?
罹患してしまった人の回復を願うべきなのに、その人の感染した経緯を分析して批判ばかり。
目に見えず、得体の知れないものへの恐怖心は、ある程度理解は出来ますけども。



おまけ:
韓国の中央日報の 1月31日のコラムです

心のウイルス

https://s.japanese.joins.com/JArticle/262078?sectcode=120&servcode=100


中国武漢近隣で発生したことが分かった新型コロナウイルスで韓国各地が落ち着かない。目に見えることも触れることもできないウイルスが、私の周辺の誰かの衣服の一部についていて、それが私の家族と隣人を狙っているという考えこそ怖いものはないだろう。さらに、それが初めて見つかった「新型」ウイルスというもの、その正確な破壊力や伝播力、そして伝播経路さえも分かっていないという事実、すなわちその相当部分がまだ私たちの無知の領域にあるという事実はこのような恐怖をさらに大きくしている。

私たちは思いがけなくふと、すでにお馴染みの心のウイルスに感染している自分自身を発見する。不安、恐怖から始まり、嫌悪、排除、扇動につながる選挙工学も観察される。感染させるのはウイルスの仕業だが、感染して伝播するのは人のやることという意味で、根本的に疫学は社会的で政治的であるという事実を再確認する。新型ウイルスに対する恐れが潜伏していた、もしかしたらそれよりも何倍も恐ろしい心のウイルスを猛スピードでまき散らしているといえる。

おそらく最も深刻なのは人種主義という心のウイルスではないだろうか。たとえば、青瓦台(チョンワデ、大統領府)国民請願掲示板には「中国人入国禁止要請」という請願が1月23日に投稿されてから、60万人に迫る人々が署名に参加した。また別の請願は韓国国民も中国に出港できないようにしてほしいという内容を含んでいる。相手国がどこであろうと外交・通商と国際法を全面的に無視して、ある日突然両国間の出入りを一方的に遮断できる改命した現代国家はない。ちょうど北朝鮮は中国との出入国を全面的に遮断したと伝えられた。

これに足並みをそろえるようにして、韓国メディアも中国と中国人とその食文化、いや文化全般を新型ウイルスと関連づけて報道するのに忙しかった。武漢の伝統市場通りとソウルの大林洞(テリムドン)チャイナタウンの「衛生状態」に対するルポを書いて出す一方、ある中国人がコウモリを食べる映像がネット上に公然と出回ることもあった。しかし、コウモリが新型ウイルスの宿主という内容はまだ仮設の段階であり、該当の動画は3年前、それも太平洋制度のパラオで撮影されたことが分かった。新型コロナウイルスと全く関係がない、中国人に対する人種主義的嫌悪が報道の主題だった。

社会科学研究は、過去の原初的で露骨な人種主義が現代社会では象徴的かつ潜在的人種主義として進化している場面をとらえている。自分とは違うから嫌いなのではなく、嫌悪の理由を探して正当化するということだ。そのため米国の主流層はこのように言うだろう。自分と違うから嫌いなのではなく、彼らは努力しないでいいところだけを取り犯罪を犯して機会を奪っていくから嫌いなだけだと。同じ論理で誰かはこう言うだろう。外国人だから嫌いなのではなく、雇用と生活の基盤が奪われるので外国人労働者を排斥するのだと。中国人だから嫌いなのではなく、彼らがきれいとはいえない生活環境の中に暮らしていて病原菌を移してくるから嫌なのだと。もしかしたらもっと深刻な病原菌とウイルスは我々の心の中の人種主義かもしれない。

こちらで人種主義は規範的に正しくないという話をするつもりはない。もしかしたら人間は誰でも、自身と異なる他人と彼らの馴染みの薄い生活様式を恐れて拒否するようにプログラミングされているのかもしれない。もしかしたら子どもの頃に、教科書で「純粋で高潔な白衣民族」の叙事を読んだ瞬間、すでに心の中に境界線が深く引かれてしまったのかもしれないからだ。しかし、それが人種主義として爆発的に発現することは問題を少しも解決できないどころかむしろ悪化させるだけだ。

人種主義ウイルスのもう一つの変種は排他主義でもある。自分と他人の間に境界を引く基準も、実は思っていたほど明確ではないということを私たちは武漢から帰国する海外同胞を見つめる一部の視角を通して今回いやというほど知ることになった。チャーター機に乗った人々が降り立つ場所を見つけられないこの共同体は誰の共同体なのか。彼らは私たちの中にいるのか外にいるのか。悲しみと苦しみを共感できず、相手に対する嫌悪と恐れだけ残った場所に共同体が入る場所はない。

嫌悪と排除のウイルスが荒れ狂う場所で、それを滋養分とする政党と候補がいるということは選挙工学が証明している。与野党問わず、これを近づく総選挙の選挙運動の一環として考える予備候補の政治的未来は、実際にはいますぐ予測するのは難しいが、選挙が嫌悪と排除によって蚕食された場所から健康的な政策的議論が消えるのは確実だ。そして、嫌悪と排除のウイルスが通り過ぎたところに、共同体は破壊されて塵のような個人しか残っていないだろう。

しかし希望的な場面もあった。梁承晁(ヤン・スンジョ)忠清南道(チュンチョンナムド)知事は水曜日の記者会見を通じて、武漢海外同胞の帰国を積極支援する道内臨時生活施設を設置することに対し、詳しい決定理由と経過を説明して、透明な情報公開を約束して道民の支持を求めるリーダーシップを発揮してくれた。新型コロナウイルスと私たちの心の中のウイルスが消滅する出発点は忠清南道だったと記録されるだろう。

パク・ウォンホ/ソウル大学政治外交学部教授


この指摘が 今の日本社会に あまりにも的確過ぎます…











GW外出自粛 後半は「緩み」も
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6073906
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