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2021年01月10日18:27

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モンドリアンの生涯 1/

モンドリアンの生涯

これは連作戯曲「風土と存在」第二十八番目の試みである





時 二〇一一年十二月三一日納庚申より約二ヶ月間
所 行田旧市街旧商店街、大圦(いり)地区集会所
人 高麗川(こまがわ)誠(宗教法人刀根道(とねどう)教祖、日高町出身)
  差鍋(さすなべ)マキ(独立行政法人内水面機構重役の娘、妻沼町在住)
  おみなえし(そのカルトな友人、家事手伝い、妻沼町在住)
  苧婆谷(おばたに)すヾね(画家、加須市出身)
  その他信者たち
  




祝詞(のりと) 定型と惑乱

モンドリアン その悩みもて 途切れる線は
抽象の    あるべき象(すがた)  見極めんとす
我もまた   田舎とまちの せめぎあえる場
前衛は    断絶の果て  幸をや招(よ)ばん


第一場 3000年(2011・12・31)

高麗川 みなさんご無沙汰してました、お元気でしたか? さて、もうとっぷり暮れましたので始めます。庚申待ちのたびに何人かの方々とはまぁお会いしてたんですが今日は一年ぶりの納め庚申、少し規模も大きく、今年二〇一一年はたまたま大晦日に当たるということで、アホみたいなんですがカウントダウンしながらの茶話会ということになりました。でもたまにはこういうのもいいですね気分が高まって。いつものルーズな感じの昼間のお茶会もあれはあれで刀根道ぽくていいですけど、夜だとこう、ある精神的なステージがすこし進んだ気がします。最近なにか大きなトピックのあった方いますか?
信者1 はい。三〇年ぶりに両親の墓参りに行ってきました。
高麗川 ああ、そりゃいいですね。どちらです。
1 岡山の津山です。
高麗川 遠いですね。貝尾ですか。
1 はい、いえ坂元ですけど…よくご存知で。
高麗川 すると、ご両親は亡くなった三〇人には入られず生き残ったんですね。よくご無事でしたねえ。
1 はい。よくご存知で。いちど拾った命ですからたっぷり生きたいと思います。
高麗川 そうですね。はい、あなたは。
信者2 あの、前回ご案内いただきまして、いよいよアイルランドに行ってきました。
高麗川 ああ、そうですか! それはいい。どうでした。
2 すべてが良かった。最高でした。ダブリンで空港降りた時からからからの晴天で、手のひらからつむじからフォースがざーっと空に抜けていくんですね。寺院もすばらしくて、もう杖なんか捨てちゃって丘に登って、大声で御詠歌うたって、真言と真言が響き合って、もうほんと幸せでした。
高麗川 どこの教会です。
2 ジャイアント・コーズウェイにある大きな教会でした。
高麗川 ああ、いいですねえ。アイルランドでいちばん霊的な地場の強いところです。
2 そうなんですか。
高麗川 ええ。つまり数々のストーン・ヘンジだってそもそもはジャイアント・コーズウェイの玄武岩の鍵盤に感心した古代のドルイド僧がモデルにして作ったわけですから、その原点に行かれたのはとてもいいですね。あとで詳しくお話ししましょう。
2 お願いします。
高麗川 ――では始めます。
えー、今日はいつものように私の方から少しお話ししましてから、しばらく質疑の時間を持ちます。そのあとおときですが、大晦日ですのですこしはりきって用意してあります。庚申さんの風俗では精進料理を食べてつましく過ごすという考えと大騒ぎして宴会するというのと両方あるんですが、今日はより古い方で十穀米のおこわとけんちん汁がありますのでのちほどどうぞ。差し入れはジャンクフード含めて歓迎です。お酒はお酒奉行の酒巻さんに一任してありますんでなんか出てくると思います。
信者3 あ、特製のどぶろくがありますんで。
高麗川 もちろん密造ですね。
3 みなさん税務署に言わないでください。
高麗川 ――さて。年末ですので恒例の、来年の予言をいたします。中国の八卦思想によりますと、来年は「艮(ごん)」の年です。艮は方位でいいますと丑寅(うしとら)、東北ですね。古来の八卦が日本の陰陽五行に発展したさい最も重要なキーになる方位として位置づけられました。艮の暗示は山です。来年はおおまかに言って山の年になるということです。
昨年暮れに来年は水の年だと申しましたが、見事に的中しまして今年はほんっとうに、西も東も日本中が水にひたされた年になりました。埼玉は関東から東北太平洋岸にかけての一都十県のうち唯一震災による死者の出なかった県ですが、それでも、みなさんもおそらく今でも体のあちこちに、水漬くかばねとなった死者たちの無念が痛みやしこりになって影響を及ぼしてるんじゃないですか。私もいいかげん節々が痛んでリューマチみたいでこれはほんとうにキツイです。でもキツがってばかりもいられませんから、生き残った者として彼らの無念と痛みを引き受けて、また新しい年、新しい埼玉の利根ヶ原を拓いていくのが努めだと思いますね。
で、水の次は山の年です。山というのはこの場合、ただ出っぱった突きだしたものを指すというよりは、積みかさなって大きく高くなったものを指すのだと考えていただけると、僕らの来年のありようが見えてくると思います。長年積み重ねてきた努力とか、そういうものが花開く年です。だいたい翌年起きることというのは前年から予兆の形で気をつけてれば見えるものなんですが、津波に隠されて地震のメカニズムははっきり説明されていませんが、どうやら随分長いこと太平洋プレートにひっかかっていたかなり大きな岩塊が、つっかえが取れて海溝に落ち込んだことによって311の地震は起きたようなんですね。つまり積み重ね積み重ねられたエネルギーというか重量が、持ちこたえられなくなって転落したと。するとこれはやはり山によるなんらかの動きがこれから起きてくるという予兆だととらえるのが自然だと思います。
実際の山がどれほどの変化を起こすかは分かりませんが、桜島から新燃岳(しんもえだけ)の活動は単独のものとは思えない規模ですので、マントル対流の同じ流れに乗っているという意味で、埼玉的にはやはり浅間山の動向には注意をはらっておく必要があるでしょう。那須岳や赤城山もここから見えますがあれらは当面は休火山なので後まわしとして、ともあれ浅間が揺れたり吹いたりする可能性が来年はだいぶ高まると考えていいと思います。少なくとも一度か二度の噴き上げはあるでしょうね。ミクロレベルでは、ご近所に浅間社のある方は、土台の崩れとかがないかどうかちょっと注意して見てください。えー、そしてこれは同時に、太平洋岸の地震そのもののエネルギーはおおむね放出されつくして、海洋ぜんたいが陸地を襲うのではなく局部的な地殻変動に推移したトピックが見えてくるということだと言っていいと思います。今後の地面の動きは直接にプレート全体の大ストレスを要因とするのではなく、もう少し地域的な出来事に移ってくるでしょう。それでもね、おそらく天明の大噴火のようなことにはならず――つまりもう水の年は終わっていますから――かつて浅間大噴火の火山灰がもたらした利根川の河床上昇と堰きとめによる大水害というような連鎖は起きないように思います。艮(ごん)というのは基本的にそんなに不幸のどん底の状況は導きにくい卦なんですね。熱く、そして重層的に盛り上がっているというイメージですから、不幸が起きる場合にもそれとともに常にある人間の元気といいますか、それらもろもろも含むために、全体としては良い方に動くということになるはずです。
世の中のことに目を向けましょう。震災のため、正直経済は停滞傾向です。ですが、考えてみますとですね、経済の停滞は今に始まったことじゃなくて、基本的には日本の置かれた経済構造的な地位のためです。何年か前にリーマンが倒れた余波を、遠く離れたはずの僕らがてきめんにかぶりましたよね。これは僕らが大きな支配構造の下位の一員であることを端的に示しています。そう考えるとこの不況はかならずしも震災のせいではない。とすれば現在の停滞を敢えて震災のせいととらえて暗くなるよりも、もとからあった不況に震災が何かの力をつけ加えたのだと考える方が妥当でしょう。そしてその何かとは、天災ですから一見不幸な何かのように見える。しかし不幸というのはある一瞬を切り取った時にだけ見えてくる一種のメンタルなフィクションでありまして、人はけっこう長いこと生きていくわけですからどちらかといえばある激しいトピックからも、長期的には不幸よりその不幸を生き抜く力を見いだしていくことの方が多いし、その方がいいわけです。地震の瞬間とその直後にはかなりの絶望感を持ったけど、僕ら、ほとんどその日のうちに、何が何でも生き抜くぞ、立ち直るぞと思いなおしたじゃないですか。日記的な記録を残している方は見なおしてご覧なさい、立ち直ることに決めたタイミングの早さは世界に誇っていいレベルの勇気のはずです。すごいことだと思うけど、それはいつか必ず来る大震災に対しての長年の心構えの積み重ねを僕らが持っていたからに他なりませんよね。少し前に気仙沼の海底の植生が震災以前のレベルにまで回復したという報道がありました、これこそ多年にわたる蓄積の成果ですよね、岩盤の上にあやうく根を張って生きるという意味においてワカメと人類とどれだけの違いがあるというのでしょう。炭酸カルシウムの構造物にすがって生きるという意味では造礁サンゴと人類とはほとんど見分けがたいほど似た生き物です。今日もメカブのお吸い物を用意してありますが、ワカメの回復は同類である僕らを励ますひじょうな希望として聞こえますよね。それに加えて僕らにはつちかってきた比類なき労働の伝統があります。良し悪しは別としてです。日本は中東戦争の犠牲者よりたくさんの人が一年で自殺しちゃう国です。僕らは生きていくことができなくなりかねないほどの過酷な労働に日々取り組んでるわけですから、充分働いているかどうかに関してだけは掛け値なくイエスが言えるわけです。フランスみたいに二時間も昼飯食ってたり、アメリカみたいに何も生産せずに電子マネーを転がして設けたりしている人たちにはどうしてもどこか後ろめたさがあって、それを隠すためか無意識のうちにやたら他国に対して攻撃的になる。世界一働いている僕らにはそういう引け目はみじんもありませんからそこだけは穏やかに胸を張っていられる。このことは、ちりが積もって山となるようにひとときの不幸を押し戻し幸福な日常を取り戻すだけの生活力――生活の活力というんでしょうか――そういうものにやがて繋がると僕は考えますね。山ということはそういうことで、来年の日本はそんな年になると思います。
さて、山ということになりますと我が刀根道としては八卦中もっとも気になる年です。刀根道のもとになったのは、何度もお話ししていますけれども江戸後期にこの埼玉の鳩ヶ谷を中心に興った不二道です。ごく素朴で単純明快な富士山信仰ですけれども、二千を越す寄り合いが組織されたり高さ二〇メートルもあろうというミニチュアの富士を関東全域に千基ちかくもつくったりと民間宗教としては相当に大規模でした。その基本単位になってるのは富士講というまぁこの庚申待ちみたいな地味ーな集会で、地味ーにご祈祷とかお焚きあげとかをして、ごくごく少額のお布施をみんなで貯蓄して富士塚を建てるわけです。官製のものじゃないからピラミッド建築の人夫なんかみんな集落のあんちゃんたちのボランティアです。山頂近くに積みあげる熔岩も、てっぺんに据える緑泥岩の御神体も、みんなでお金を出しあって実際に富士山とかまで集落代表を派遣して背負って帰らせて据えるわけです。そういう庶民のつましい、そしてどこか火山的な噴出する勢いへのシンパシーを含んだ信仰の総体として富士塚と不二道は成立しました。とてもいい話だと思いますねぇ。富士浅間神社の御祭神はコノハナサクヤですから、積みかさなったものがかならず花開くことまできちんと伝えてくれているわけですね。
もっとも、花の開き方が問題です。つまり、僕らが蓄積してきた生活倫理が、震災前までの生活の堕落が一掃されたいま良い形で世の中を動かしだす契機となるのが二〇一二年だと考えられるわけですが、その動きを導くリーダーが花開く可能性があるのか、あるとしたらそれは誰なのかということですね。それが既存の執権層から出てくる可能性があるだろうか。みなさんどう思われます? 私は、ちょっとあるかも知れない気がします。つまり、現政権は地味ですよね。自民民主を問わず、俺が俺がと言って総理や華々しいポストに就きたがった人はほとんど消費されてしまって、いいかえれば短距離走的に疲れ果ててしまってお役御免になりました。いま残っているのは地道に距離を刻んできた長距離ランナーみたいな人たちです。野田総理という人は住宅ローンが残っているそうですね。そういう地道な人たちがトップにいるということは、花開くための土壌だけはなんとか整備されてきたということだという気が僕はします。ただ、まあ、鮮やかなリーダーは民間の産業界から出てくると考える方が妥当かも知れません。アップルコンピューターのスティーヴ・ジョブズさんが亡くなりましたね。こういう大きな仕事をした方がいなくなると、そこの穴を埋めるように新しい才能が出てくる。世の中ってそういうものです。見たこともないテクノロジーというのはまだまだ誕生する余地を持っているもので、人間のイマジネーションとカンというのは見くびったものじゃありません。
ボトリオコッカスはご存知ですね、下水処理に使われる海藻を培養して石油に替わるオイルを精製してしまおうという計画で、これを早期に実用化すべく、いま筑波大の渡邉信という教授のチーム主導で実験用のプラントを作るところまで急ピッチに研究が進められています。プラントは仙台に作られています。どうしてこのタイミングで被災地最大の都市が選ばれたのかってことがわりかし重要です。表層的にはいろんな事情があるんでしょうが、傍観している僕らから見ると、震災の痛手を震災前の平時運転に戻すのではなく――ていうかそれですと正直元のレベルまでは戻りませんから――平時以上の活力を持った仙台をゼロから新たに作りなおすというイメージで取り組むことが復興への近道だという精神的な流れが起きているように見えるわけです。イメージに過ぎませんがこういうイメージはひじょうに大切です。経済なんてものはイメージの集積ですから、経済立て直しには強力なイマジネーションが不可欠なわけです。この渡邉信という人なんか、来年の日本を牽引するそうとう大きなキーマンになる可能性がありますよね。
僕ら庶民としては、そういうキーマンやキーワードに敏感でありつつ、その足を引っぱらないで協力する、すくなくとも精神世界の一員としてきっちり協力するという姿勢が大切です。来年僕が一番懸念するのは、保守的な貯蓄主義の台頭ですね。震災の余波は継続して財布の紐を引き締めさせるだろうと予想されるわけです。山、積みあげる、ということには貯蓄みたいな意味も含まれますから、この流れは間違いなく起きる。そもそもバンクという英語ですが、銀行のことですが、これは競輪のバンクとかゴルフのバンカーとかと同じ語源で、川の緩くカーヴしたところに大きな砂州が溜まりますね、あれのことを元はバンクというわけです。どっさりどさっと積みあがっていることがバンクです。ですが、そのバンクを積みあげる作業は今年までにしておいて、来年はその貯蓄をどう活用するかに目を向けることが艮(ごん)の卦に倣うことになるはずです。貯めたお金が市場に出回らなきゃ世の中は回らないわけですから、貯蓄をどうやって花開かせるかに対するカンと工夫が必要になってきますね。何でもいいんです。地震と猛暑と台風でガタがきた自分ちの雨漏りを修繕するために定期をいっこ解約するとか、節電で遊蕩費に使ってた分が使えなくなった割り分をなにか古典全集のシリーズでも購入して落ちついたアフターファイヴを過ごすとか、タバコ税値上げをきっかけにパイプや葉巻に代えてみて瞑想の時間を確保するとか、いろいろあると思います。それが次の生産活動への契機になるわけです。いちばんやめとくべきなのはタダだというんでテレビやパソコンに張りついて現実の生産に関わらずに、精神的日常活動的に生産的な方に向こうとしている人や社会の足を引っぱるような言葉をまき散らすこと。ちょっと来年は若い方はインターネット言説は控え気味にした方がいいかも知れません。
というのはですね、簡単なことのようですが、横並びの小作人生活に慣れてきた日本人にはちょっとした嫉妬で出る杭を叩く傾向がありますから、これはかなり気をつけなけりゃならないでしょう。貯蓄主義、倹約主義、贅沢は敵だ的な流行は、ある種ファシズムのように蔓延すると思いますね。バレンタインだクリスマスだといって騒ぐな、アイドルだ韓流だといって乗るな、きゃりーぱみゅぱみゅなんか認めるな。そういう消費動向への非難の目というのは今年以上に厳しくなってきます。質素に生きないと罰金。自然に優しく生きないと殺す。そういう殺伐とした空気は間違いなく起きてくるでしょう。ですがそれははっきり申して社会に対する視野狭窄でして、たしかにハロウィンだ韓流だAKBだといったいかにも売らんかなの事象に対しての苦々しさというのはあるんですが、そういうのは生産という大きなサイクルのなかから産みだされた小さなトピックに過ぎないわけでして、ぜんたいとして社会がちゃんと健全に回っている余剰分としてそういうものは出てくるわけです。無駄に見えるけど無駄とも言い切れない。これが八〇年代から九〇年代にかけてだったら事情は違って、儲けを設備投資に使わずにさらなる目先の儲けのために全投入していたがための流行歌や飽食やデート主義の氾濫で、ポッキリ折れるまで加速し続けるというダメなサイクルだったわけですが、今は違いますよね、当時の反省を踏まえて、もっとずっと社会は堅実になっている。ですからきちんと世の中ぜんたいを見ていれば、売れ線の足を引っぱるというようなことの不毛さには気づけるはずなんです。
今年後半の大きなトピックとして、リビアのカダフィ氏が亡くなりました。これは華々しく謂われているようなネットを媒介とした新民主主義の台頭なんでしょうか。民主革命だったんでしょうか。もっともらしい説明ですが、どこかにうさんくさい、キナ臭い嘘が隠されているような感じを、みなさんカンで感じ取りませんか? 十月に国道17号沿いの吹上の仙道ってフライ屋ありますよね、B級グルメでちょっと有名な、あすこで友人と四〇〇円の焼きそば食ってたら、ふと頭痛がしましてね、頭の後ろの方にチョビ髭の男が頭からブーッと血を吹いて倒れる映像が浮かんだんです。谷岡ヤスジの鼻血ブーみたいだったんですが、ああ、これ誰か死んだな、誰かチョビ髭のおやじが死んだみたいだって言ったら、最近は便利ですねえ、みんな一斉に携帯で調べて、ああどうやらカダフィが死んだらしいって。タイミング的にまだ日本語のニュースは出てない時点でしたね。カダフィはなぜ殺されなきゃならなかったんでしょう。
ツイッターによる市民運動が一気に爆発したんだという説はマユツバです。これって明らかにアメリカとロックフェラー財団がやってることで、リビア市民は踊らされてるに過ぎないと考えるのが妥当でしょう。ネット革命はチュニジアからエジプトを経由してリビアを下しシリアに移行しているとニュースでは言うし言うしかないんですが、本当のところはロックオンされてたのはカダフィ氏個人で、チュニジアからシリアまでを覆したネットの力とか言うもっともらしい世界史は商業的に作られたストーリーだと考えるべきでしょうね。カダフィ氏はひじょうにとっぽい男でして、僕は個人的にかなり好きなんですが、損得考えずにただ守るべきものを絶対に守り抜き発展させることについて絶大な自信を持っている人です。あと、発想がむちゃくちゃシンプルですよね。言いたいことがあったら自分が町へ出てそこらへんの人に話しかけて説得するみたいな、アホみたいに原始的な方法でアメリカの世界秩序を脅かすところまで行っちゃった人です。直接民主制を信じてた、効率が悪そうなことが実は効率がよいことを実証してくれた人です。彼はとにかくアフリカで四番目に広いのに六〇〇万人しかいない、ヘクタールあたり一・七人しかいないリビアの沙漠をちゃんと独立国にするところから始め、それがユダヤ金融とまったく関係ない独自の経済圏を築くことと、西にも東にも依拠せず――とりわけ新興国を浸食したコミンテルンの策動に屈せずにてんで赤くない――革命国家を作ったこと、オイルマネーを取引材料にせずにあくまでも原油を自国自慢の特産品としてだけ売り抜いたこと、それらが新世界秩序にとって脅威だったために殺されたわけです。まあ力関係からして排除されるのは仕方なかったわけでもありますが、取引関係に陥ったために邪魔になったら殺されたサダム・フセインとかとはまったく違う。カダフィの死により、正義はアメリカとロックフェラーの側にはどう考えてもないということ、このことを僕らは否応なく覚えました。二度と忘れないと思いますよね。もし興味ある方がいましたら、ドルに替わる基本通貨としてアフリカンディナール「金貨」――じつに兌換貨幣でなく金貨です――をアフリカ五四ヶ国に導入しようとしたカダフィの野望を文書でお調べください。ユーロの失墜を狙ってギリシアの経済破綻を導いたのとほとんど同じ、アメリカ主導の世界通貨主義の策動がだんだん見えてくるはずです。そしてこれは僕ら日本人が戦後を通して一生死ぬほど働いても年収二〇〇万台とかを脱せないこと、伸(の)してきているように見える中国の庶民の生活がおそらく半世紀経っても貧困レヴェルを脱せないことなどとぴたりと一致した世界規模の利権構造なわけです。膨大になりますのであとはみさなんご自分でどうぞ。
ですので、なんというか、こういうカダフィみたいなきちんとしたリーダーを見逃さない庶民の感覚がすごく必要とされてると思いますね。難しいとは思うけど、そこはやらなきゃいけない。占い師である私が言うのはなんか変なんですが、運命に任せるのではなく運命を切り開く態度が必要だと思いますね。その意味では去年あたりから云われている二〇一二年問題ですが、あれはほとんど何も起きずに平穏に過ぎそうですのでご心配なく。
つらつら思いますに、たぶん、分かりやすくドカッと価値を提示してくれるようなものが来年は流行るんじゃないですかねえ。メガ盛りとか。特大のどんぶりにラーメンがふた玉入っててモヤシがどっさり乗っててライスついて六〇〇円とか。そういう分かりやすい売り文句がウケる時だと思います。山の年ですからね。そういう基本的な流行に支えられて、これまで一生かけて研鑽を積んできた人たちのテクノロジーや職人芸や学際性が静かに認められていく、という年になると思います。そうなるといいですね。
――私の方からは以上です。何か質問がありますか?(大勢が手を挙げる)では、シモ手のかたからどうぞ。






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