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2021年09月26日06:29

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風林火山伝 第63話 三田村合戦の悲劇

武田信玄は石田佐吉を再び信玄の馬に乗せ、早馬にて武田本隊に合流した。そして信玄は佐吉をしばし、信玄のそば近くにおき、進軍をした。

一方、武田信廉率いる別働隊約1万、酉の刻(午後6時前)に信玄の武田本隊
到着を待って、番場(米原)にて約1週間ぶりに武田本隊と合流し、武田軍は約3万の
軍となった。そして、3月5日夜は、浅井家臣 磯野員昌が守る佐和山城にて夜陣をはる手はずとなっていた。

佐和山城では城主の磯野員昌がすでに朝倉、浅井、武田軍の夜陣の準備を整えていたのであった。最後尾の武田信玄の軍が佐和山城に到着したのは、酉の刻遅く(午後7時)であった。

その後、信玄は武田信繁、武田勝頼を呼び寄せ、新たに家臣に加わった石田佐吉を紹介した。
「これは長浜にて縁があり、新たに家臣加わった石田佐吉である。この若者はとてもよく気が付き、このわしにとても美味な近江のお茶を仕立ててくれた。見るからにとても頼もしい顔つきをしており、とても気にいったので、わしの側近として仕えることを命じた。この佐吉をよろしう頼む。」と信玄は信廉、勝頼に言った。

信廉は「見たからに立派な若者にございます。今後はぜひとも武田の右腕となって励んでくだされ。」と佐吉に言った。

佐「今後は武田家の家臣として一生励む所存にございます。なにとぞよろしう頼みます。仇である憎き織田信長を倒しとうございます。」と佐吉は挨拶した。

勝頼は「お主は信長が仇だと言ったが、信長にどのような目にあったのか?」と佐吉に
尋ねた。

佐吉は「今から3年前の元亀元年6月28日(1570年)の三田村合戦(姉川の戦い)にて
母 実子たちおなごが茶畑で仕事をしているとき、織田軍の兵士にさらわれ、連れ去られたおなごは母を含め5〜6人ぐらいと聞いております。その日に戦は織田軍の勝利に終わり、その後、兵士たちは近くの横山城におなごたちを連れ帰り夜の餌食にしたとのことでございます。さらには兵士たちは、翌日、おなごたちを美濃に強引に連れ帰ろうとしたところ、おなごたちが強く抵抗したため、兵士たちは母をふくめたおなごを皆殺しに姉川の河原に遺体を捨てたのでございます。私は母にこのようなみじめな仕打ちをした織田の兵を許すことはできません。私にとってはとてもやさしい母上でございました。なんとしても母の無念を晴らしとうございます。」と涙を流しながら言った。

信廉は「織田の兵士はなんと残酷なことをするのだ。おそらくこれは織田の家臣 
羽柴秀吉の手のものしわざと察する。お主の織田を仇とする気持ち、わしにもよく分かる。
その秀吉であるが、忍び 九の二の知らせによれば、武田の成敗が下り、今、伊勢長島城で生死をさまよう重い病とうなされていると聞いている。数日後、秀吉はあの世へ行くであろう。」と佐吉を慰めた。

そのころ、伊勢長島城では秀吉は1日たっても、いまだに意識は回復せず危篤の状態であった。一方、おねは、薬師より秀吉が狐にばけた巫女と浮気をし、巫女が元の狐の姿に戻り、秀吉の右手に噛みついたことが今回の病が発症したことを聞いた。そして、秀吉の浮気のくやしさを隠し切れずことができず、泣きながら秀吉のほおを気が済むまでひっぱたいていたのであった。しかし、秀吉は目を覚まそうとしなかった。


                                 つづく














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