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2019年08月23日11:24

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「戦争遺跡 人手不足の影〜原爆ドーム保存工事できず」

【原爆ドーム保存工事できず 五輪影響 入札不調相次ぐ】
こんなバカげたことあってはならない!
あんな不正疑惑だらけ(予算も環境も)のオリンピック優先なんて絶対にあり得ない!!


広島市の世界遺産・原爆ドームの保存工事の入札が、二回連続で不調となっている。市発注で参加した大手ゼネコンなどが、すべて辞退したのだ。建設業界は東京五輪などに伴う人手不足や資材高騰に悩まされており、他の戦争遺跡や資料館でも影響が出ている。戦争体験者が高齢化する中、次世代への継承を担う施設の保存継承も課題となっている。
 「来年の八月六日までには工事を終えたいんですが…」
 保存工事が始まる見通しが立たない原爆ドームについて、広島市公園整備課の佐々木正治課長は困惑した様子を隠さない。
 原爆ドームの保存工事は、年月の経過で建物が劣化するのを防ぐために一九六七年に初めて実施され、今回が五回目。二〇一五〜一六年の耐震補強工事以来で、約三年ぶりとなる。劣化が進んでいるドームの屋根部分やらせん階段の鋼材を塗り替えて被爆当時の状態に近づけるほか、レンガの接ぎ目部分の補修や、窓部分にある柱の補修も予定している。
 市は一八年度当初予算に工事費五千八百万円を計上。本来は同年度に着工し、一九年度に終わる予定だった。だが、二月に市が大手ゼネコンを含む十二社を対象に指名競争入札を実施したところ、全社が辞退。市は着工を遅らせるなどして六月に二回目の入札を実施したが、全十一社が辞退して、またも不調に終わった。
 保存工事は原爆で破壊された直後の状態に近づけつつ、遺構として長く残すために劣化を抑える特殊な工法を用いる。そのため入札では文化財の補修で実績のある業者も対象にしたが、辞退が相次いだ。東京五輪関連工事などの影響で、文化財保存の経験がある技術者を確保できない業者が多いという。
 さらに、過去四回の保存工事を手がけた清水建設(東京)が、リニア中央新幹線関連工事を巡る談合事件などの影響で今年九月下旬まで指名停止になっていることも一因という。市は今秋、三回目の入札を行う予定だ。
 同様の事態は、他の被爆建造物でも起きている。
 爆心地から約三百八十メートルほどにある市重要文化財・旧日本銀行広島支店の内装修復工事は、入札不調が一七年以降で三回続き、いまだに着工できていない。市は国の重要文化財指定を目指しており、壁や天井を修復し、後年に壁に付けられたボードを撤去する予定。市文化振興課は「できるだけ早く完成させたい」と焦りをにじませる。
 被爆者からも、早期の工事を望む声が上がる。各地で証言活動を続けている豊永恵三郎さん(83)=同市安芸区=は原爆ドームの壁などの劣化を心配し、「今の状態のままでいいとは思わない。原爆ドームや旧日銀広島支店は、被爆の歴史を将来にわたって伝えるために必要だ」と話す。
 豊永さんは原爆投下翌日に広島入りし、急性放射線障害とみられる下痢などに苦しんだ。爆心地近くの自宅を破壊され、母はやけどで顔が膨れ上がり、弟も急性症状で苦しんだ。原爆ドームの保存工事の遅れに対して「東京五輪などの事情もあるようだが、必要な補修工事はできるだけ優先的に進めてほしい」と願っている。
 戦争遺跡の保存が遅れているのは、広島だけではない。大分県宇佐(うさ)市が二〇二〇年度開館を目指していた「市平和ミュージアム(仮称)」の建設工事でも、入札が不調に終わった。
 ミュージアムは、太平洋戦争末期に特攻隊の基地となった旧宇佐海軍航空隊の歴史を通じて「平和の大切さと命の尊さについて感じ、考える機会の創出」という目的で計画されている。航空隊跡に残る、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)などを空襲から守る格納庫「城井(じょうい)一号掩体壕(えんたいごう)」の隣に、二階建て延べ約三千三百平方メートルの建物を建設。ゼロ戦や特攻機「桜花」のレプリカを展示し、空襲の映像を上映する計画だ。
 しかし、昨年八月の建物本体工事(約九億五千万円)の入札当日、参加を申し込んでいた二つの共同企業体(JV)が辞退した。本体工事の契約ができないため、他の電気工事などの入札もストップ。開館が遅れている。
 市で調べた結果、人件費や資材費の実勢価格が、予定価格を大きく上回っていたことが一因とみられた。東京五輪まで高騰が続くと判断し、来年度の入札を目指す。
 同市内では一七年七、九月の二回、安心院(あじむ)支所の新庁舎建設の入札が不調となり、三回目に予定価格を上げてようやく成立した。市の担当者は、人件費や資材費の高騰について「建築物全般で同様の情勢だ」と話す。
 建設業界では東日本大震災以降、復興工事による人手や資材の不足が問題となった。そこへ東京五輪の施設整備や再開発で、建設現場が急増。特に今も続く人手不足に対応するため、公共工事の人件費算定の基準となる「労務単価」が、七年連続で引き上げられた。今年三月から適用される単価は、公表を始めた一九九七年度以降で最高値となっている。
 それでも、国の労働力調査によると、就業者の総数がほぼ横ばい傾向にあるのに対し、建設業は九七年の六百八十五万人をピークに減少傾向で、昨年は五百三万人だった。
 特に少ないのが十〜二十代の若者。全国建設労働組合総連合(全建総連)が国勢調査を基にまとめたデータによると、十代の大工は京都府や三重県など十四府県で二十人以下、二十代でも山陰、四国、北陸地方を中心に十二県で二百人以下となっている。
 人手不足の要因について、全建総連の田口正俊書記次長は「震災からの復興や五輪も理由としては確かにあるだろうが、そもそも人が少ない。特に若い人が少なく、ベテランが頑張って持ちこたえているのが実態だ」と明かす。
 戦争体験者が高齢化し、戦争遺跡の平和の語り部としての役割が大きくなっている中、終戦直前の空襲で二千五百人以上の犠牲者を出した愛知県豊川市の旧豊川海軍工廠(こうしょう)跡地に昨年六月、平和公園が完成した。二百ヘクタールあった工廠のうち、市が取得して公園に整備したのは三ヘクタールにとどまる。それでも、当時の火薬庫や信管置き場が残され、語り継ぎボランティアとともに後世に伝えていこうとしている。
 戦争遺構の調査、保存を進めている戦争遺跡保存全国ネットワーク(長野市)共同代表の十菱駿武(じゅうびししゅんぶ)・山梨学院大客員教授は、豊川市の平和公園の取り組みを評価した上で、こう語る。
 「亡くなる戦争体験者が増え、語り継ぐことが難しくなっている。あと数年たったら体験者の声を聴けなくなるのではと憂慮している。現代に残る戦争遺跡の保存は急務だ」
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