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2021年06月18日05:21

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小津作品の中では“特異”で“レア”だとありがたがるのは“間違い”です。小津安二郎監督「風の中の牝雞」(1948)。

この映画のタイトルは「風の中の牝雞」ですが、“雞”という文字が機種依存文字だそうで、「風の中の牝鷄」とか「風の中の牝鳥」とか表記されているようです。小津安二郎は戦後帰国第1作として「長屋紳士録」(1947)を撮り、「月は上りぬ」の脚本を書きますがいろいろな事情で撮れなくなります。そこで作ったのがこの「風の中の牝雞」とのこと。

“作品というものには、必ず失敗作があるね、それが自分にプラスする失敗ならいいんだ。しかし、この「牝雞」はあまりいい失敗作ではなかったね”と本人が述べています。本人が失敗作だと言う作品なので、僕は今回が初見。素材はNHK-BSの「生誕100年記念放送」の録画です。

物語は、戦地から夫(佐野周二)が戻らないため、知人一家(坂本武、高松栄子)の2階に間借りしている時子(田中絹代)の話です。幼い息子・正一(青木放屁)を抱えて仕事もなく、生きるために“たけのこ生活”をしている時子ですが、正一が大病して入院費を稼がなければいけなくなる。そこで…という展開。

“たけのこ生活”という言葉を知らない人も多いと思うので解説しますが、日々の生活費のために持っていた衣類を一枚また一枚と売っていく(食うために皮を剥がす)生活のことです。僕の母も僕が小学生の時、“結婚のとき持ってきた着物は全部米に変わった”とこぼしていました。ということで高松栄子のセリフ“また一枚包んで持って出かけたわよ”が結構突き刺さります。

時子は親友の井田秋子(村田知英子、写真2)に“前と同じ値段でいいから”と依頼します。井田は、そういう品物を扱う女とつきあってはいますが、そんな女を信用してはいないらしい。つまり、品物を持ち込む生活苦に乗じて売春させようとしているからです。しかし時子は、正一の入院費を払うためにその誘いに乗ってしまう。

時子のそんな行動を知った井田は、“なんで私に相談してくれなかったの”と詰め寄る場面が秀逸でした。井田に対して時子は“あんたにこれ以上負担させたくなかったのよ”と言うと井田は、“私はあんたと一緒に泣くしかできないかも知れないけど、せめて話してほしかった”と返す。終戦後の食うや食わずの世相を、この会話は痛烈に語っていました。

で、正一が回復したところへ戦地から夫が戻ります。めでたい話なのですが、時子は夫に問い詰められて売春を告白してしまう。夫は親友の佐竹(笠智衆)の職場に復帰(だと思う)しますが、時子のしたことが許せない。妻の行為を確認するため客を装って女を呼ぶことにします。そこで出会った売春婦(文谷千代子)に、仕事を世話してほしいと佐竹に話す。

僕は、夫のこの倫理観についていけません。妻は許せず、しかし若い売春婦には仕事を世話する。そしてはずみで妻を階段に突き落とし、その妻を助け起こすことなく、なんとか二階に上ってきた妻に“忘れよう”と言い放つ。戦争を体験した小津は帰国して、戦場に比べたらこれからの生活は全肯定だという意味の言葉を残しています。その“全肯定”が、こんな夫の身勝手さでいいのか?と僕は思う。

もちろん、自分の30センチ隣で命を落とした戦友がいたという体験は、だから生きていてすることを全肯定するという考え方になるかもしれない。しかし僕は、その全肯定を“許し合う”と置き換えるわけにはいかないのです。許すしかない事実と、是正するべき現実とがある、と僕は考えています。

かつて「私が棄てた女」(1969)の試写でお会いした浦山桐郎監督は、自作の主人公に対し“彼女は生活のために売春をした。でも今は遊びのために売春をするんですよ”と、語気を強めて語っていました。僕はその倫理観に感じた矛盾と同じものを、この小津作品に感じます。

小津は自身の生活条件として、“なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う”との名文句を残しています。しかし僕は知っています、道徳というものが是正するべき社会の仕組みを支えてきた元凶だと。それは体制保持の言い訳でしかないのです。

たしかに“生きること”を全肯定する戦争体験者の言葉には重みがあります。僕も人間の基本的人権として、生きることを全肯定したいと思う。それはしかし、公正な社会において実現されるべき問題なのであり、やみくもに全肯定されるべきではないと僕は知っています。小津安二郎の足元にも近寄れない僕が、小津を批判するなんてありえないわけですが、小津の戦争体験による全肯定を、現状維持に加担させてはいけないと思うのです。

ということで僕は、この「風の中の牝雞」は失敗作として小津の作品群から外してしまおうと考えます。僕は道徳を語る気がなく、道徳論議をするつもりもありません。道徳ではなく“基本的人権”についてなら語り合えるし、ある意味全肯定していますが。

ということで、本人が失敗だと考えている作品を、ことさら持ち上げるというマニアっぽい愚行は、やはり避けようではありませんか。写真3は、「戸田家の兄妹」にも見られた移動撮影シーン。後ろ姿をとらえるのが好きな監督さんですね。
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