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2021年06月17日06:29

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小津安二郎が“やっとこのころから入るようになった”と語っています。小津安二郎監督「戸田家の兄妹」(1941)。

小津安二郎によると(キネマ旬報別冊「小津安二郎 人と芸術」=1964年2月号増刊)、“今まで小津映画は当たらんという定評を破って、まあ大入りだったんだね。やっとこの時からかな、入るようになったのは?”だそうです。佐分利信、高峰三枝子とも初めて仕事をしたらしい。←“絢爛たるスター陣だった”とも言ってます。

僕は小津安二郎生誕100年記念という、NHK−BSでの放送バージョンを録画していますが、この時点ではまだひとコマずつ修復するデジタル・リマスターが行われていなかったらしく、“雨降り”が酷いし画面傷も多い。なにより困るのはセリフが聞き取れないことが多いのです。イヤホーンで見れば聞こえるでしょうけど、そこまではしたくない。

物語は、母親(葛城文子)の還暦祝いに集まった戸田家の様子から始まります。長男進一郎夫婦(斎藤達雄、三宅邦子)と長女千鶴夫婦(吉川満子)が仕切っていて、独身で仕事にかこつけて関西へ鯛釣りに出かけたりしている次男(佐分利信)は、兄や姉からバカにされている。両親は嫁入り前の三女(高峰三枝子)と女中(飯田蝶子)らと暮らしているという展開。

ところが還暦祝いのパーティーが終わったあと父親が倒れ、そのまま帰らぬ人となります。すると知人の手形振出人などになっていた父親は財産を残すどころか負債を抱えていたと分かる。三女の婚約は破談となり、母親と三女は長男一家に居候生活を余儀なくされます。三女はそれでも、母親から小遣いをもらって友人時子(桑野通子)と会いに行く。

母親と三女は、兄や姉夫婦から邪魔者扱いされるのに嫌気が差し、鵠沼の別荘で暮らすことになりますが、一周忌で天津から戻ってきた次男がそれを知り、一周忌の会食の席上で兄や姉をなじります。こういう場面が堂々と出てくるのは、小津映画としては実に珍しいと思いました。でも「東京暮色」や「早春」にもあったか。

基本的には「東京物語」によって書き換えられているオハナシですから、今更この映画を見てもと思います。しかし戦地から帰ってきて「お茶漬の味」を作ろうとして、軍部から“赤飯で祝うべき出征に茶漬けとはけしからん”と却下された小津としては、次男の正論を中心に据えて兄姉(=軍部に協力した先輩映画人でしょう)に反旗を翻したということ。

結局母親と三女は、天津から帰国した次男と共に暮らすようになり、三女の友人時子を結婚相手に勧められて、照れ隠しに浜辺に逃げ出すシーンで終わっています。←これは“この撮影はおしまいを急がされてね。今日あげないと封切りに間に合わんという、時間はあと二時間。そこで仕方なくロングでカラカラ廻しちゃったよ”とのことでした。写真2はスチール写真ですが、こんな映像はありません。

撮影は厚田雄治(雄春ではなく雄治と表記)でした。トーキーも、「茂原式トーキー」とも呼ばれるSMSシステム(スーパー・モハラ・サウンド・システム)ではなく土橋式。←SMSとしているけど本名は茂原英雄(しげはらひでお)なんですかね?←変なの。このトーキーシステムに本腰を入れたために、小津作品の撮影は茂原から厚田雄春へと引き継がれていくわけですね。

それにしても長男嫁を演じた三宅邦子はこの時25歳ですか。高峰三枝子が23歳、桑野通子が24歳らしいです(娘桑野みゆきは、この映画の翌年の生まれ)。長女の吉川満子だけは40歳なんですね。みなさん今ならAKBなどで活躍しているお年だ。

ということで、「18禁 映画塾」第2回に向けての準備は着々と進んでいます。問題はコロナ禍の収束がいつになるかだけですわ。
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