今まで何度かジャニス・ジョプリンのドキュメンタリーを見ました。また、彼女が出演したウッドストックやカナダのフェスティバル・エクスプレスに関するドキュメンタリーも見ました。しかし今回見た「ジャニス:リトル・ガール・ブルー」が、僕にはいちばんしっくり来ました。ここには人間味あふれるジャニスがいるから。
たとえば2〜3日前に20分ちょいのテレビ番組を見たわけです。さらっと“伝説の歌手ジャニス・ジョプリン”を紹介するヤツ。そんな番組であっても、彼女の歌声は強烈なタイムマシーンとなりました。僕がヘビーロックに夢中になっていたころの、あの時代を思い出させる。そのとき、この「ジャニス:リトル・ガール・ブルー」があることに気づいたわけです。
このドキュメンタリーが今までと違うのは、ジャニスの妹と弟が姉について語ることと、ジャニスの手紙をキャット・パワーという女性(歌手で俳優でもあるらしい)が朗読するという部分でしょう。さらにビッグブラザーとホールディング・カンパニーの面々も、インタビューに応じています。今までは取材に応じなかったのかな?
つまり、ジャニスの才能に気づいたレコード会社が、“邪魔な”バンドメンバーたちからジャニスを取り上げてスター歌手にしようとした、その動きが詳しく描かれるわけです。高校でいじめにあっていたジャニスの心境も、手紙などでよく分かる。←だからといって、薬に手を出して自滅した彼女を正当化はしません。
ということで映像的には、ほとんど出尽くしていたはずなのですが、妹と弟のインタビューがかぶさると、以前見た雰囲気とはかなり違います。そしてまた、カナダのフェスティバル・エクスプレスで感じたツアーの楽しさは健在だから、そしてステージ上で満面の笑みを浮かべるジャニスの姿が痛々しいから、僕には意味のあるドキュメンタリーでした。
このドキュメンタリーを見て、いまさら“ロックスター、27歳の悲劇”だとか、69年前後のヒッピー文化などを持ち出す気はありません。クスリに手を出して過剰摂取のため世を去ったレジェンドの悲劇という、夕刊紙でももう扱わないネタを重視するのではなく、あの時代に“自分らしく生きる”と言いつつクスリへと傾倒した弱さを反省してほしいとも思う。
たまたまNHKで放送した、和歌山県白浜町の“いのちの電話”に関するドキュメンタリーを見ました。自殺の名所で保護された人々が、再生をかけて生きる話です。生きることがうまくいかず、死んでしまおうと考えた人たちが再生を試みます。僕はやはり、人生は命あっての物種だと思う。死んで花実が咲くものか、と。
それにしても、「チープ・スリル」「コズミック・ブルースを歌う」「パール」と、3枚のLPしか残さなかったジャニス・ジョプリンですが、高校卒業から10年を生き抜いたほぼ全貌を見た気がします。何よりも、あの歌声の存在感が際立っている。そんなレジェンドを死へと追いやった“社会”は、恥を知らないといけない。
「パール」というアルバムの最後には、ジャニスが死んだためにヴォーカルが未収録のカラオケが入っています。その虚しさが、ジャニス・ジョプリンそのもの。しかし、あの時代を知る我々全員が世を去ったら、あの時代そのものが“なかったこと”になるのでしょう。体験しなかった皆さん、残念でしたね。
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