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2021年04月10日02:48

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“法治国家の現実”に肉薄し“人の優しさ”の限界を描いた、手応え十分な家庭劇。フィリダ・ロイド監督「サンドラの小さな家」(2020)。

フィリダ・ロイドという監督の映画は、「マンマ・ミーア!」(2008)と「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(2011)を見ています。前者ではABBAの音楽をいい音で楽しみ、後者ではサッチャー政権の本質が描かれなかった不満がありました。今回は、主演女優のクレア・ダンが脚本を書いていることもあり、社会的な問題にいい観点から切り込んでいると好感が持てました。

物語は、小学生の二人の娘を持つサンドラ(クレア・ダン)が、夫のDVから逃れようとする話です。彼女と娘たちは、収容に適した公共住宅が見つからず、しばらくホテルに住むことになります。しかしホテルは、商売上そのような家族がロビーをうろうろするのは困ると、露骨に言ってくる。

あるいは夫ゲリー(イアン・ロイド・アンダーソン)は、カウンセリングも受けたし態度を変えるからと復縁を迫ってくる。サンドラの心は揺らぎますが、下の娘が頑なに父親の家に行きたくないと主張するため、病気だと偽るのですが…、という展開です。

アイルランドの映画ですが、やはりイギリス同様高度な福祉国家なようで、DVの事実からサンドラを守ってくれます。役所の担当者も親切だし、手続きさえ踏めばさまざまな保護を受けられる。でも念願の公営住宅に入るには、長く順番が来るのを待つ必要がある。そんなとき娘たちの昔話などから、自分たちで家を作れば安上がりだと気づきます。

この夢のような展開が、次々実現へと進むあたりがとても楽しいので、見事な娯楽映画だと思いました。話を持ちかけると建築業の人間が、“この国に見返りを求めない人間なんかいない”と切り返すあたり、ケン・ローチの映画を見ているような小気味よさでした。そんな様々な障害を、人々の善意で乗り越えたかに見えるのですが…という映画です。

サンドラの母親もシングルマザーだったという話や、しかしその母親が他人には親切だったことなどからサンドラを助ける女医ペギー(ハリエット・ウォルター、写真3)が手を差し伸べます。ペギーが野戦病院で体を壊し、サンドラに清掃の仕事を依頼しているのですが、頑なで心を閉ざしているように見える。そんなペギーが、サンドラの母親とは雇用関係をこえて友人だったというあたり、なかなかの雰囲気でした。

とはいえ、ケン・ローチほどの社会構造を明確にする視点というものには至らない映画です。だから僕は娯楽映画と言ったわけですが、細かい描写の中には人と人の機微というものが散見できるので、それは評価したいと思う。建築業のオヤジの息子に障碍があるらしいとか、ボランティアの男がちゃらんぽらんだったりとか、多彩な描き方は楽しい。

しかし同時に、周囲の人々の親切心が花開くのに対し、裁判というものが手続きや原則を重んじて、弱者保護の原則を置き去りにしているあたりを、もっと明確にしてほしかった。裁判官もその事実を突きつけられて逆上する(とまではいかないけど)気持ちもわかるのですが、そういう手続論を前面に出しても“意味”はないと僕は思うのです。あるいは、全てが手続き論で形骸化されている事実をもっと暴露するとか。

てなわけで我々弱者は、せいぜい仲間内で合言葉“ブラック・ウィドウ”を共通項にして、非常事態から逃げることだけは心がけたいと考えます。逃げる場所がない? そうでしょうね。それだから今の世の中、おしまいなんですよ。それもこれも、鉄の女サッチャーに代表される“福祉予算減らし”が元凶。バイデン大統領が富裕層に増税と言うけれど、それすらトランプ大統領前の水準以下だという事実が、“弱者から搾取”という原則に沿っているのだと忘れてはなりません。

とりあえず、そういう諸問題に直面させてくれるだけでも、この映画には意味がある、ということでした。そこは“よくやった”と褒めるべきでしょう。
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