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2021年03月02日03:59

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登場人物それぞれの立場が立体的に絡まる、みごとな心理サスペンス劇でした。ギャヴィン・フッド監督「オフィシャル・シークレット」(2019)。

恥ずかしながら、昨年の封切りでは見ませんでした。そして1月3日のスターチャンネルでの放送を録画しながらも、昨日まで見もしませんでした。主演女優が僕には今では魅力的ではないキライニ・ナットレイですから、放置したのも当然です。でもギャビン・フッド(またしても後の検索用にわざと表記替え)監督作だということで録画していたという事実を、全く忘れていたのが情けない。

物語は、イギリスの情報分析組織GCHQが舞台です。2004年、GCHQで中国語の資料分析が仕事のキャサリン・ガン(キーラ・ナイトレイ)が、アメリカから届いた極秘メールをリークしたということで機密保持法違反に問われ裁判になる。そして1年前へと戻り、キャサリンがなぜリークに踏み切ったのかが描かれます。

キャサリンの夫がクルド人で、亡命してきたイギリスから国外追放されかけたため結婚したという経歴ですが、3歳から大人になるまで台湾で過ごしたキャサリンは、北京語に堪能なのでGCHQに職を得ます。同僚のミウン(ニシー・リン)とは北京語で会話している(らしい←北京語を知らんものでスンマセン)。

はじめはキャサリンの“青臭い正義感”に眉つばだったのですが、“イラクに核兵器があるから侵攻する”というブッシュ政権の言い分に“?”を持つのは正しかったと知っているだけに、キライニ・ナットレイと突き放さず見続けました。そのリーク文書を反戦活動家マスコミに持ち込んでも、どこも本気にしないところがいい。

ただ1社、オブザーバー紙がこれを受け入れ、戦争賛成だった紙の方針を変更してまで掲載します。このあたりのマスコミとしての使命を貫徹するかどうかの会議が、僕にはとても面白かった。多くの記者たちが、リーク文書が本物だとしても、と逡巡するわけです。しかし内閣のご機嫌伺いだけでいいのかとの記者魂(というと今では小さな意味にしかならないのが残念)が、リーク文書の分析が“本物”という結論から、方針を大きく変えていきます。

さらに訴追されたキャサリンに国選弁護人が付きますが、その弁護士が“私は刑事事件専門なので”と人権問題などの専門チーム“リバティ”を紹介します。そのリバティのベン・エマーソン(レイフ・ファインズ)らが事件を吟味する過程で、フォークランド紛争での判例として“国民の知る権利が優先する”を引用しますが、その直後サッチャー政権が機密保持法を改定した事実をポンと提示する。

このあたりから、このリーク事件を取り巻く新聞や情報機関、そして政府の動向が、くっきりと見え始めるから面白い。つまりこの特ダネになぜ他社の新聞が飛びつかなかったかと言うと、内閣とのベタベタな関係があるからです。もちろんリーク文書がガセではないかという疑問もあったでしょう。しかしオブザーバー紙が事実だと判断したのに、他紙がオブザーバー紙の記事内容を引用して“アメリカからの文書なのにイギリス的表現がある”と、カセだと言いはるあたり、本当の文書を持っているくせにそれを隠してまでオブザーバー紙を叩こうとする姑息な対抗策には呆れました。

つまりサッチャー以後、全世界で政府がマスコミを懐柔し始め、現在ではこの映画に描かれたように、もはやエド・マローのようなジャーナリストは存在し得ないのだということです。この映画は、ひとつの国家機密漏洩事件を映画化するにあたり、この半世紀程度のわずかな期間に、民主主義の原則がスポイルされてきた事実を明確に描きます。

さすが「ツォツィ」と「Rendition(国家誘拐)」を作ったギャビン・フッドです。「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」(2015)というスリリングな娯楽作もありました。だから僕は、「エンダーのゲーム」という駄作をなんとか忘れてあげようと思っていたのです。今回のこの「オフィシャル・シークレット」があれば、「エンダーのゲーム」や「ペケメンなんたら」というアメコミ原作の駄作なんか、忘れてあげます。←しっかり覚えているけどね。

しかしまぁ、なんですねぇ。僕たちがすがってきた民主主義が、まさに換骨奪胎されてしまっていますね。この映画で描かれた結末はハッピーエンドでしたが、実際のキャサリンたちは、その後クルド系の夫が国外追放となったため今はトルコで暮らしいてるそうです。だから現実的にハッピーエンドと言えるかどうか。

要するに、仕事における機密は、国民の利益のためという上位の命題に反してでも守らせようとする政府権力による“見せしめ”に、我々個人は屈してしまうわけです。人権派弁護士たちの活動は、なかなか全員を救うには至らない。そんな弁護士に対して、訴追を仕掛けた本人たちは、事件後何食わぬ顔をして友だちであり続けようと近寄ります。ベン・エマーソンはせいぜい並んで釣りをすることを拒むことしかできない。これは痛烈でした。

ということで僕はこの映画を、ジョージ・クルーニーの「グッドナイト&グッドラック」と並べて、今後様々な機会に褒めたいと考えます。だからってキーラ・ナイトレイに惚れ直したわけではありません。だって、僕の目に麗しいあまたの新星が、すでに僕の脳内ハーレムに挙っているのですから、いまさら彼女を招く必要はないのです。実際にお会いできるなら、喜んでお伺いしますけどね。
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