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2021年02月24日03:11

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僕は、シェークスピアなんか知らないよ。でも17世紀初頭の家庭劇としては面白い。ケネス・ブラナー監督・主演「シェイクスピアの庭」(2018)。

世界的な劇作家ウィリアム・シェークスピア(ケネス・ブラナー)の晩年を描いた物語です。ブラナーが、肖像画そっくりのメイクで画面に現れ、その妻アンをジュディ・デンチが演じます。さらにイアン・マッケランが出てくるなど、前半部分はシェークスピアに無知な僕には辛い作品でした。

しかし当時、女性は読み書きという教育を受けられず、ひたすら世継ぎの男子をもうけることを強いられていたと、女性蔑視最高潮(?)の時代に生きたシェイクスピアの妻と2人の娘へとシフトし始めると、物語は変貌します。ウィリアムが大いなる期待を抱いた幼い息子ハムネット(11歳で死んでいます)の詩作を、実は姉のジュディスが口述したものをハムネットが書き取っていただけだった。

ウィリアムは“妻のアンは私よりも知性にあふれている”とは言うものの、世の中の男性優位に異を唱えるわけではありません。ウィリアムは周囲の人々の心の動きなどには敏感だけれど、世の中をどうするべきかという発想がない。しかし劇作には人間性が生き生きと取り込まれていて、当時の人々には大いに受けたらしい。

最愛の息子の死に、ウィリアムは芝居の上演があったため帰郷しませんでした。そして駆けつけたとき疫病に倒れたハムネットの遺体は厳重に埋葬されてしまっていた。そのあたりの事情を気にする暇さえなく多忙だったウィリアムが、グローブ座焼失事件から帰郷を決断するなど、やはり前半部分は僕には人間関係があまり見えず、楽しくありませんでした。

とはいえ、独身のジュディスと、夫との愛が冷めかけているスザンナ、そして妻のアンたちとの語らいから、ハムネット少年死亡の真相にいたる展開は、シェークスピアになんら関心がない僕にも、興味深く見ることができました。つまり、女性発言で問題になったオリンピック関係者であっても、この映画を見たら封建時代からの女性蔑視という実情については理解を示すだろう、という意味です。

問題は、理解を示すことではなく、偏見を持たないことなのですが、偏見を持っていることすら理解できない“常識家”たちは、自分の発言のどこが問題なのかすら理解できない。この映画に描かれたウィルが、まさにそうなのですが彼は理解しようとすらしません。こういう部分について、他人の振り見て我が振り直せという常套句がぴったり合う。

つまり僕自身の中に、正すべき発想やそれによる発言や行動が未だ残っている事実をどうするべきか。そういう事実を思い起こさせてくれました。だからこそこの映画は、“すべて事実”という原題なのです。しかし事実を理解してもなお、自らを改めない限り意味がないのに、その一歩を踏み出さない。そんな自分自身を見ているようで、後半部分には強く惹きつけられたのでした。

それでもなお、あの時代の暗い室内場面の連続は、やはり滅入るなぁ。と、問題を忘れようとする自分がいます。←このようにアラン・レネの「夜と霧」を気取ってみても、事実は変わりませんね。それもこれもひっくるめて“All Is True”なのでした。
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